安堵

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安堵

 システムの定期アップデートを完了し、警察の協力によって、店前に五人の警備員が配置されていた。なりゆきで、政府施設を思わせるセキュリティを獲得した当店は、コンビニとは何かという哲学的問題を私へと投げかけた。どこから見ても、コンビニエンスからは程遠く議論はすぐに結論へと達した。これはコンビニではない。  開店してから、最初のお客さんが来店した。そこに、二人の警備員が近づく。どうやら、身分証明書を確認しているようだ。続いて次のお客さんもやって来た。彼女もまた身分証明書を確認された。どうやらこれが一日続くらしい。今日の売上は期待できないなと内心思う。下手すれば、今度にも影響するかもしれない。それは、勘弁してほしい。  店の中も、工夫がされていた。これは多田野さんと家無さんがやってくれた、陳列棚を一つ撤去し、店の真ん中に見やすいようにそれは陳列されていた。この店で一番高価な商品。二リットルのスポーツ用水筒二万円だった。仕入れたのは、多田野さんだ。学校でバスケットボール部に所属する彼女は、これが欲しかったらしい。商品で並べるなら、君は買えないと伝えると、その手には二つ目の水筒があった。どうやら二つ仕入れていたようだ。抜かりないやつめ。当然、店の仕入れはネット通販ではないときつく説教しておいた。  そのもう一つの水筒が、店の中心にあった。次第に、ことの成り行きを見守ろうと店に居座る人が出てきた。これでは、万引きどころではない。店の中で商品を手に取るだけで、気付かれてしまう。気付かれずに店の外に持ち出すのは不可能だ。  万引きキッドはなかなか現れなかった。待ちくたびれたのか、多田野さんは店のチロルチョコをつまみ食いしていた。警備員さん、ここに万引き犯がいます。たぶん、彼女は万引きキッドではないでしょうが、万引きしました。という目で警備員さんを見つめるが、警備員は外を向いたままこっちに気が付かなかった。まあ、後で払ってもらえばいいか。    すでに日は暮れていた。外の警備より涼しい店内で水筒を見守っていればいいやとようやく気がついた警備員も一緒に水筒を囲って見つめていた。日付が変わるまで残り十分。水筒はまだ目の前にあった。 警備員さんが急遽持ってきてくれた大きな時計を全員で眺める。秒針の動きをゆっくりと見つめるが、時間はあまり進まない。警備員もチロルチョコを口に放り込んでいた。  その間にも、万引きキッドは現れなかった。もしかしたら、動画の出演者も万引きキッドではなかったのでは、そんな疑問が頭をよぎる。 しばらくして、日付が変わったことを知らせる時計のアラームが鳴った。あくびをこらえた警備員が、ダルそうに立ち上がる。水筒を確認してから、 「店の商品に変化はありませんか」  と全体に訪ねた。すかさず返答したのは、多田野さんだった。 「チロルチョコがありません」 「ただの食べ過ぎです」  私がすぐにツッコミを入れる。 すると、これは、これは、と警備員が頭を下げた。つい美味しかったものですから。お代は後で。 「いや、結構ですよ。警備も大変でしょうし」  そう、言うしかなかった。 「そ、そうですか。では、お言葉に甘えて」  警備員さんは、やけに素直に食い下がった。    店の外にバイクの音が響く。誰か来た。店に入ってきたのは、ランニングウェアに身を包んだ爽やかな青年だった。  その風貌をみて、一瞬張り詰めた空気はすぐに弛緩した。 「万引きキッドは来ましたか」 「それが、現れずに時間が来てしまいました」 「あっ、それ新商品の」  青年が目を輝かせて指さしたのは、例の水筒だった。 「そうです。二日放置しても氷が溶けない魔法瓶仕様の水筒です」  彼の話に乗ったのは、水筒の仕入れ担当者である多田野さんだ。 「小さい魔法瓶はたくさんあるし、それなりに冷たさも持つ。けど、この大きさで二日も持つのは今までになかった」  青年は、この水筒を初めて手にした多田野さんと同じ表情をしていた。それくらい、この水筒は魅力的らしい。私にはわからないが。  警備員さんは、帰り支度を始めていた。それも、そうだろう。万引きキッドは現れなかった。これで、この件は解決だ。 「まさに、技術の集大成だね。最高の水筒だよ」 「そう思いますよね。私も買ったんです」  多田野さんと青年は意気投合していた。 「よかったら買いますか?万引きキッドは来なかったので」  水筒を舐めるように眺める青年に多田野さんが提案する。 「えっ、いいの」  そのあまりにも嬉しそうな表情を前に、どうしたらいいのか分からなくなったのか、多田野さんは助けを求めるようにこちらを見た。 「店長、売ってもいいですか」 「そんなに気に入ってくれたなら、売るしかないよ。この機会を逃したら、売れない気がするし」  後半のセリフが本音だった。こんな性能ボッタクリ水筒なんて売れない。在庫処分できるなら早い方が良い。  警備員も彼が購入するとわかって、仕事が終わった雰囲気になっていた。 「俺たちの警備に恐れをなして逃げたんだろう」  そう口々に言って大きな声で笑っていた。
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