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後悔
青年は、水筒を手に取ったまま出口へと向う。入り口にある決済機にスマホをかざすと決済音が鳴る。お疲れ様でしたと店を出ていく青年はどこか焦っているように見えた。青年は急いでバイクのエンジンをかけ、またがった。
次の瞬間、時計のアラーム音が鳴り響いた。大きな時計のものではない。警備員たちの腕時計から鳴っていた。どうして、今。何かの異変に気がついた家無さんがスマホを確認する。
「今が、十二時です」
大きな時計は、途中から時間がずれていたのだ。そのズレは、わずか五分。気が抜けてしまっていた私達はまんまとはめられてしまった。
バイクの音が店から遠ざかっていく。警備員たちが慌てて店を出る。
だが、決済は完了していたはずだ。私はレジの履歴を調べるために、管理モニターに目を向ける。画面は真っ黒なままだった。すぐさまシステムを起動させるが、水筒の決済履歴はそこにはなかった。
訳がわからない。
「システムが止まっていた。じゃあ、決済音はどうして」
そこに、多田野さんがスマートフォンを差し出した。
彼女がボタンを押すと決済音が鳴った。
「ただの音声なら、スマホがあれば再生できます」
私達は完敗してしまったようだ。ふざけた名前の万引きキッドに。彼は、素の姿で正面から入り、商品を持って堂々と店を出た。見事な手口だった。まさに誰も予想できなかった。
しばらくして、警備員たちが戻ってきた。肩の下がった様子から逃げられたことは明らかだ。私は疑問になっていたことを訪ねる。
「この時計は誰が用意したんですか」
私は、店の真ん中に用意された大きな時計を指す。五分進んだその時計を。
その瞬間、警備員四人が一人の警備員を取り押さえる。その男は、床に倒れ込み身動きが取れなくなった。
「俺じゃあありません。先輩が出発する前に、俺に渡したんじゃないですか。忘れたんですか」
「あいにく、わしにそんな記憶はない」
警備員の先輩は、押さえつける手に更に力を込めた。
「お前が、万引きキッドの仲間か」
「痛っ、違います。その時計を俺に渡したのが先輩じゃないなら、それが万引きキッドだったんですよ」
追い詰められた男の必死の証言は真に迫ったものがあった。警備員たちは、彼を離した。
警備員たちは、少し店の外で話し合った後、再び店に戻ってきた。こちらの正面を向いて、
「この度は、犯人を取り逃してしまい申し訳ありません。防犯カメラの映像などから、今後捜査を進めていきたいと思います。ちょうど、カメラもたくさんついていることですし」
「大変申し上げにくいのですが、犯人はシステムを停止させていたようです。カメラ映像はおそらくないでしょう」
警備員の先輩はハンカチで冷汗を拭く。
「でも、うちには若いもんがいるので、私達より記憶力は抜群ですよ。犯人の顔を覚えているはずです」
「その若いもんというのは、身内に変装した万引きキッドから時計を受け取り、まったく気が付かなかった人ですか」
店内に沈黙が流れる。その警備員は、静かにポケットに手を突っ込み、右手を差し出した。
「これは、チロルチョコの代金です」
警備員たちは、頭を下げながら店を後にした。水筒が戻ってくる希望は薄そうだ。
こうして、私達の店に残ったのは、万引きされた水筒の負債と、一日で五分も進む使えない時計となった。
外部からシステムを停止できるという、致命的な欠陥が判明したこのシステムを、私はすぐに解約した。サブスクで契約していて良かった。
そして、万引きキッドだが、当然、あの警備員の記憶力では見つからなかったらしい。逮捕のきっかけとなったのは、例の犯行声明動画だった。彼は自宅からそれをアップロードしたらしく、そこで足がついたようだ。
きれいな状態で戻ってきたクソ高い水筒をどうやって売るか、それが次の問題である。
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