錯誤ピーピング・トム

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「それにしても、さすがというか、肝が据わってましたね、小林投手。同学年のはずなんだけどなあ」  メモや資料を整頓しながら、しみじみと綾野が言う。  たしかにそれには頷ける。綾野と違い刑事事件とは無縁だろうに、犯罪に巻き込まれ、容疑者確保の現場に居合わせたとうのに、慌てたところが見えなかった。捜査にも快く応じてくれた上、「たいしたことはなかったから」と『ごだい』の店主を擁護してもいた。 「あれでも高校の頃から数万人の前でマウンドに上がってるからな。鍛え方が違うだろ」 「ニュースで見るよりかっこいいですよね。あれ、大阪のほうもひとり暮らしなんですか? 野球選手って結婚早い気がするんですけど、まだ独身なんですね」  確かにその通りで、晩婚化が進む世間に比べると珍しい業界だ。そういえば、齋藤さんが浮いた話がないことを嘆いていたな、と鷹司が思い出していると、 「そうだな。同期の連中はケントも柳澤も早かったし、松延も去年だったし……でも、あいつは最後まで残る」 「ずいぶんはっきり言い切りますね。なにか理由が?」 「そりゃ、俺のだからだよ」 「……なるほど」  衝撃のひと言を、たったそれだけで飲み込んだ綾野を今日ばかりは尊敬した。鷹司は精一杯、自然に見えるよう珈琲を飲み下す。  しかしなるほど、山科が自分の被害には無関心に見えて、容疑者確保に非常に積極的だった理由もわかる。  確実に盗聴犯を捕まえたかった理由は、彼らにこそあったのだ。 「じゃあ、さっさとSECOMでも導入して下さい」 「そうしよう」 「てか、そもそも、なんで山科先輩がプロ野球選手と知り合ったのかとか、そこから聞くべきでしたよね。今度ゆっくり事情聴取するんで」 「それは……まあいいけど、それなら黒板と関数電卓用意しておけ」 「はい??」  落ち着いた二人のやり取りを聞くにつけ、動揺している自分の方が未熟に思えて、密かに姿勢を正す鷹司だった。  時代は動いているのだろう、間違いなく。 「あ、あと小林投手のご家族は北海道でしたっけ? この件、どうお伝えしてるんですか?」  スピード解決したおかげで盗聴の被害者にはならなかった小林家だが、勿論、本来の所有者である。鷹司達が事情聴取に赴くことはなかったが、家族会議ぐらいは行われているのだろうか。  しかし、山科は渋い顔でカップを置く。 「それが、ご両親は今、海外に居てな」 「おおっと」 「細かいことは帰国してから、と。それから弟たちは高校の寮だから……」  ほほう、と軽く頷いた綾野と鷹司だが、続く山科の言葉に勢い同時に突っ込んだ。 「まだ伝えてないらしい」 「嘘でしょ」 「それはない」  事件発覚当初、山科が小林投手に黙っていたのも有り得ないが、更に時間の尺も状況も違う。「意味が解らない」「どうかしてる」と口々に非難する二人に、山科も困惑しながら曰く、 「それが、もう都大路が近いからって」  あっ、と今度は鷹司が絶句した。 「みやこおおじ?」 「……高校駅伝ですよ、もうあと二週間ぐらいです。警備計画出てます。というか、駅伝の小林兄弟って、小林投手の弟さんなんですか?」  まさかそんな繋がりがあるとは思わず、つい質問してしまった。山科はひどく不思議そうにこちらを見返す。 「あ、はい。鷹司さん、あの兄弟をご存じですか?」 「ああ……妻が、別れた妻が、白バイの先導をやっていたので、駅伝のニュースは幾らか」  知っています、と言い切る前に。 「先導の白バイ警官…! 楽しそうですね」 「かっこいい! えっ、いつの大会ですか? 映像探します」  そこかよ、と一瞬思わないでもないが、もうそんなこともどうでもよかった。世の中、誰もが予想通りの行動を取るわけでもない。そんな当たり前のことを今更、実感したりしている。本当に……自分は未熟だったのだろう。  鷹司はむしろ清々しい気持ちで二人を適当にいなしながら、起訴までのスケジュールや当日のコースなどを思い返す。  大会当日はどうか晴れると良い、と思いながら。
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