きっと、消えゆく味

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「私たちは、決して許さない!」 「そうだ! よく言った!」 「このような蛮行を、見過ごせるものか!」  旅人のルイスが広場に着き最初に聞いたのは、周囲の木々を倒さんばかりの大声だった。  井戸を中心に作られたであろうその場所は、数十人の若者に占拠されている。それぞれがみすぼらしい木製のプラカードを掲げて、思い思いに声を上げていた。  ルイスは困った表情を浮かべた。するとプラカードを持った一人の女性が彼に気付き、集団を離れて声をかけてきた。 「どうされましたか?」  先ほどまで上げていた強い声とは対照的な、気遣いのある優しい声だった。 「水を飲みたくて。井戸で汲ませていただこうと思ったのですが、今は立て込んでいるようで」 「ああ、それは失礼しました。……少し、待っていてくださいね」  女性は人込みをかき分け井戸に駆け寄ると、木製のジョッキで水を汲んできてくれた。 「どうぞ」 「感謝します。……長旅だったもので」  ルイスは受け取った水をごくごくと飲み干すと、広場で声を上げる人たちを見やった。 「ところで、皆さんは何をされているのですか?」 「ああ……」  女性は肩に乗せていたプラカードを下げ、申し訳なさそうな表情をする。 「よその方の前で、お恥ずかしいです。……あそこに、大きな館があるでしょう。あれはこの村の領主の館なのですが……」  女性が指し示した方には、片田舎には似つかわしくない立派な建物があった。広場を見下ろすように建つそれは、権力の象徴のようでもある。  ルイスは井戸の方ばかり見ていたので気づかなかったが、広場に集まった人たちは、その建物に向かって声を上げていたのだ。  ふと、群衆の中から初老の男が館に向かって歩み出た。誰かが用意したのだろう、膝の高さほどの台に登ると、集まった人間たちの方へ向き直った。彼がゴホン、と咳払いをすると、先ほどまで騒がしかった広場は静まり返る。 「私は、この村を愛しています。人々は活気に満ちていて、パンの香りは一日をより良いものにする活力をくれます。清き渓流は清らかな音を奏で、食卓に恵みを施してくれている。森を駆ける風は子守唄のようで、我が村の誇りとも言えるハーブを健やかに育ててくれています。適切に処理されれば付近に住まう魔物でさえも、愛おしく感じることができるでしょう」  力強く聴衆に語りかける言葉に呼応するように、そうだそうだという声が静かに漏れる。  男はひときわ大きく息を吸った。  「しかし我が領主は、こういった景色を過去のものにしようとしています。日に日に増える魔物による都市への道の危険増加、ハーブへの食害、労働力不足。全ては領主が若者を都市へと出稼ぎに行かせていることで引き起こしているのです。加えて、かの領主は若者が稼いだ命ともいえる金の一部を搾取し続けている。このような私利私欲によって、この豊かな村の景色が失われていくことを、人々の活気が失われていくのを、許すわけにはいきません。誰が納得できましょうか! 我々は声を上げなければならないのです! さあ、共にこの村の未来を取り戻そうではありませんか!」  初老の男が強く叫ぶと、広場には喚声があがる。静まり返っていた群衆は再び領主の館に向けて、各々にプラカードを取り出した。  ルイスは、ふと気が付いた。それほど大きくない村にしては、この広場を通る荷車の数が多いのだ。  それもそのはず、ルイスは行商人たちと共にこの村を訪れていた。初老の男が言うように近隣の魔物が活発化していることもあって、都市から護衛を付けながらの旅でなければ非常に危険だったからだ。元々同行者だったわけではないが、彼らはこの村に訪れるときは必ず護衛を付けているようで、それに便乗するような形を取らせてもらったのだ。  そんな彼らが村の中を荷車で駆け回り、おそらくは商談に奔走しているのだろう。村の構造的に、別の場所に向かうにはこの広場を通るのが早いのかもしれない。  そんな荷車が来ると、群衆は波のように引いて道を開ける。通りがかる彼らに一言二言声を掛けていた。 「あの、こっちです!」  ルイスが広場の様子を眺めていると、先ほど水をくれた女性が誰かを手招きしていた。それに応じて群衆から出てきたのは、先ほど演説をしていた初老の男だった。 「はい、はい、どうしました?」  男は小走りでやってくると、落ち着いた声で女性に話しかけた。 「こちら、旅の方です。ずいぶん長旅をされてきたのだとか」 「ほう」  男はルイスの方を向き直ると、笑顔で手を差し出してくる。 「これはどうも、騒がしいところをお見せしてしまい恐縮です。私、魔物からの護衛団を組織しております。パールと申します」 「ルイスです。……護衛兵団をまとめていらっしゃる方でしたか。私も行商の皆さんと一緒に護衛の方に守っていただきました。たいへんお世話になったようで」 「それはそれは。お怪我も無かったようで、私も護衛団を組織したかいがあったというものですよ」  パールは、先ほどの演説のときとは打って変わって、朗らかな表情でルイスに語り掛けていた。 「ところで、旅人さんはなぜこの村へ?」 「その、実は道楽目的でして。……先ほどお話されていたかと思いますが、魚のハーブ焼きが絶品だと聞きましてね。もしよろしければ、どこで食べられるか伺ってもよろしいですか?」  ルイスは女性に問いかける。すると彼女は少し困ったような顔をして、パールに視線をやった。パールは満面の笑みでルイスに答える。 「そうですか! ……あれは私も大好物です。わざわざ遠いところからやって来ていただいたけるなんて光栄ですね。せっかくですから、一番おいしいものを食べて行ってください。あの角の酒場がおすすめです」  ルイスはにこやかに笑うパールと女性に一礼すると、酒場に向けて歩き出した。 * * * 「連中に会ったのかい。……そりゃ当然か」 「ええ。……熱心に村のことを考えられていたようで」 「……やっぱり、そう見えるよなぁ」  酒場のカウンター席で、ルイスは店主と広場の一件について話していた。  店主はルイスの目の前で魚を焼いてくれており、香ばしい匂いがルイスの鼻をくすぐる。高揚するルイスの心とは対照的に、店主は何とも言えない目で、焼けていく魚を眺めていた。 「……広場の彼らに、何か?」 「ああ、いや」  店主が言い淀み、ルイスは少し興味を持った。酒のつまみにするには面白いかもしれないなと、気になったことをぼそりと口にする。 「そういえば、彼らの主張はこうでしたよね。『領主が若者を都会に出稼ぎに送り込んでいるから、この村の働き手が減って、衰退していっている』……確かに、増えゆく脅威を考えれば、若者を出すのはこの村のことだけを考えれば得策ではないかもしれませんね、ですが――それにしては、広場には若者が多かったように思います」  広場にいたのは、パールを除けばほとんどが若者だった。店主は黙ってルイスの言葉を聞いている。 「村の規模を考えれば、あれだけの人数が仕事をせずに抗議の声を上げていることの方が、よっぽど損失にも思えますが……」 「関係ねぇよ」  店主は顔を上げた。 「あそこで叫んでるやつらは、村のもんじゃねぇからな。……行商人や旅人が村に来る護衛日に限って集まっては、あそこで叫んで帰っていくのさ」 「……やはり、そうでしたか。……村の外の人が多い日を狙って、あのようなことをしているのですね」  ルイスは名物が食べられる場所を女性に聞いた時のことを思い出した。彼女は明らかに困惑していて、答えに詰まっているようだった。この村の人間でないのであれば、当然の反応だ。 「大方、パールがどこかから集めてきてるんだろ。何を企んでるのかは知らねぇが、領主のことを良くは思っていないみたいだしな。……都会に若者を送り込んで得するのは、あいつもそうだろうに」 「護衛団の役割は大きくなるでしょうね」 「ウチの息子も都会で働いてる。今は……何だか知らねぇが、焼き物か何かの職人をやってるそうだ。この酒場の客も減る一方だし、息子の仕送りが頼りでもあるな。領主の斡旋がなけりゃ、そんな職に息子が就けたかもわからねぇ。……だが、パールのことが許せないと思ったことはねぇよ。人を村に連れ込んでは来てくれるし、主張が通ろうと通るまいと、俺のやることは変わらねぇからな。できるだけ長くあれを続けて欲しいくらいさ」  きっとルイスが、あるいはこの店主ですらあずかり知るところではない、権力や利権の話が絡んでいるのだろう。領主が取っているという仕送りの税金絡みか、護衛団の権利拡大か。もしくは、本当にこの村のことを憂いているのかもしれない。 「ほれ、ハーブ焼きだ。こいつを食べに、わざわざ遠くから来たんだろ」 「わあ、ありがとうございます。いただきます」  ルイスは香ばしい魚を口に運ぶ。今まで嗅いだことのないハーブの香りに包まれ、少しピリっとした刺激が舌の上で踊った。  なるほど、これは確かに名物と言っていいかもしれない。この近隣でしか取れない新鮮なハーブと川魚があってこその味だ。荷車で都市まで同じ材料を運んだとしても、この味を再現するのは難しいだろう。  遠くない未来にこの名物が失われるかもしれない。そう考えると、この味を忘れるわけにはいかなかった。 「美味しい! 素敵な味ですね。もう一ついただけますか、店主さん」 「はいよ」  店主は再び、フライパンに引いた油に香草を浸した。  ルイスは、広場の光景を頭に浮かべた。彼らの主張が正しいかどうかはわからないが、私の財布と胃袋に余計な出費を強いたことは許しがたいものだ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!