許せぬものと許さぬものと巻き込まれ一般人

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 成真の叫び声に驚いた他の僧侶たち次々と起き出してくる。白川もようやく追いついてきたが、彼をよそに夜中とは思えぬほど一気に周りは慌ただしくなった。しかし慌てる周りを見つめながら、成真はどこかホッとしてもいた。抱えるには大事過ぎて、肩の荷を下ろせたからかもしれない。何せ、成真は、一介の、一番下っ端の僧侶である。どう転んでもこれ以上できることなどない。  物心ついてほどなくて成真が預けられ、育てられのはは、阿弥陀寺という寺であった。御所の北に位置し、清玉上人が住職を務める織田家と縁深い寺である。というより阿弥陀寺自体が織田家が建立した清玉上人のための寺である、といった方が正しい。建立の際の詳しい事情まで成真は知らないけれど、信長公は清玉上人に会いに阿弥陀寺を何度も訪れていたのだから血縁も地縁もなくても特別な寺であったのは間違いないだろう。  成真が白川と出会ったのも、信長公が阿弥陀寺を訪れた時のことだ。信長公が来る時は大抵お忍びで、仰々しさを嫌い最低限のお供を連れているだけだったが、白川は彼に伴われてきた小姓の一人であったのだ。  成真よりも少し年上で、切れ長の瞳の涼やかなか容姿。青年というに幼さが抜け切らず、しかしどこか達観したような雰囲気もあり不思議な魅力を感じさせた。  しかし、出会いについて、成真には実は少々バツの悪い記憶もある。  最初は成真が裏の庭の掃除をしている際、声をかけられたのがきっかけだ。不意打ちのそれに飛び上がるほど驚いたのは、全く人気のないところにいきなりだったからもあるが、それよりも掃除をサボって箒で地面に絵を描いていたからである。  口減らしとは言わないものの、成真は実家から厄介払い同然で年端もいかない時分に寺に放り込まれた身であった。寂しさを嘆くには親の顔は朧げで、かといって仏門への興味やら信仰心も強くない。放り出されてはかなわぬと修行こそ真面目に取り組んだものの、娯楽もない中唯一の楽しみは絵を描くことだったのだ。さりとておいそれ紙も墨も手に入らないので、成真の画材もっぱら水か土だった。それも隠れて。  そんなことだから、サボっていると怒られこそすれ褒められることもなく、ゆえに自分の絵の上手い下手などわかりはしない。白川は上手かったから目を引いたのだと褒めてくれたけれど、成真にしてみればそんなお世辞は右から左に聞き流し、どうかご内密にと土下座しかけたところを、引っ張り上げられ止められたのである。  そこから二人の縁は始まった。  のち、その縁のおかげで、成真は一度、信長公から直々に言葉を賜ったことがある。曰く、アレはなかなか気難しいが、仲良くしてやってくれと。  心臓が飛び出るほど驚いたし、今度こそ地面に額を擦り付けんばかりに頭を下げた。  この上ない幸運であったが、圧がすごい。気迫がすごい、もう存在がすごい、の三拍子揃った戦国の覇者からのお声掛けに成真は次の日熱を出して寝込んだというオチがつく。  正直、笑えない笑い話だ。今思い出すことではないだろう。  それでもやはり思い出してしまう。  熱を出したと聞いて、呆れてつつ心配してくれた白川。お供の際にこっそりと紙と筆と墨を差し入れてくれたり、菓子を忍ばせてくれたこともある。お礼に姿を写した絵を贈ったら、稚拙なそれをことのほか喜んでくれたのはいい思い出だ。  立場はともかく歳の頃はそう変わらないだろうに、一方で、年に似合わずしっかりしていて、だからどころがで頼れる兄のように思っていたのに、それが、どうだ。あんな取り乱した姿をみることになろうとは。  今とても清玉上人をはじめとした寺の重鎮たちが険しい顔で話しているのを、青ざめたまま見守っている。焦れているのか急いているのか、耐えるようにぎゅっと着物の合わせを握っていた。  成真はそれを見て、なんとなく現実味のなかったものが、今になって、ぶわっと恐怖が体を駆け巡った。  自分に何ができる。  何かできるのか。  いや、何もできまい。ここで、成り行きを見守るしかない。  握った拳は震えたが、一方で頭の中で冷静な自分の声が聞こえた。そう。だから、本能寺へと向かうと清玉上人とお供の僧侶の姿を見送る、はずだったのだ。しかし、気が付けばなぜだかどうして、本能寺へと走っていたのである。  しかも、ほぼ先頭を。  何故一番下っ端の自分が、先頭を走っているのだと疑わなかったといえば嘘になる。  しかし寺に異変を告げにきた白川はら成真の腕を握ったまま、速く速くと急かせていってしまうものだから、成真は後に続く清玉上人たちを先導するように走らざるを得なかったのだ。
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