再会

1/1

23人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ

再会

 届かないのなら、別に手に入れられなくてもいいと思っていた。  そんな軽い気持ちで本棚の一番上の段に手を伸ばしたら、案外届きそうで、私は思いっきり背伸びをした。  本と本の間に指をこじいれて、ハードカバーのその本を掴んだまではいいけど、体勢が不安定でうまく力が入れられない。何とか踏ん張って引き出そうとすると、今度は両隣の本も一緒についてきてしまう。それでも頑張れば取れそうなだけに、つい、意地になった。 「取ろうか?」  男の声がしたのは、本が指を滑り抜けたのとほとんど同時だった。  落ちてくる、と思って咄嗟に身構えた。でも、鈍い音と低い呻き声に続いて足の裏に振動を感じただけで、覚悟した痛みは降ってこなかった。  慌てて振り向くと、男が頭のてっぺんを押さえながら本を拾おうとしているところだった。 「すっ、すみません。大丈夫ですか?」  今いるのが図書館だということを思い出して、すんでのところで声をひそめる。  その男が顔を上げた時、私は再び声をあげそうになった。薄く愛想笑いを浮かべて、こちらに本を差し出してくる。昔は同じくらいの背丈だったのに、今は見上げるほど背が高い。 「ありがとう、ございます……」  本を受け取って、私のことが分かっていない様子の相手に名乗ろうか迷っていると、彼は不意に人懐っこい笑顔を浮かべた。 「相変わらずアガサ・クリスティが好きなんだね」  本を目で指して言った。 「なんだ、わたしのこと分かってないのかと思った」 「あはは。さっきからずっと気づいてたよ」 「そうなの?だったら声かけてくれたらいいのに」  つい責めるような口調になってしまって、「ていうか、」と話を切り替えた。 「今思いっきりぶつけたよね。大丈夫?」  頭をさすっている彼にそう尋ねた。 「うん。たんこぶできてるかも」 「え、ちょっと見せて」  心配する私に、「大丈夫だよ」と言いながらも、身を屈めて素直にぶつけた場所を示してきた。髪をかき分けて確認する。見たところ出血は無さそうだ。指を這わせてコブを探しながら、いくら昔仲が良かったとはいえ無遠慮すぎたかなと思ったけど、今さら手を引っこめることもできない。 「あ、ホントだ、たんこぶできてる。ごめんね、痛かったよね」  つむじの近くに不自然な膨らみを見つけて謝った。この本をどうしても読みたかったわけではなかったのに。  しばらくそのコブを撫でていたけど、反応がないので不安になって手を離した。やっぱり失礼だったかもしれない。  ゆっくりと顔を上げた彼は、驚いたことに、目に涙を溜めていた。 「だ、大丈夫?病院行く?」 「ううん、違う。気にしないで」  再び手を伸ばした私を突き放すように、手の甲で乱暴に涙を拭った。 「こっち戻ってきたんだね、ユメちゃん」  何事もなかったみたいに言う。 「あ、うん。二週間くらい前に。大学がこっちなんだ」 「そっか。じゃあ今はお父さんと暮らしてるの?」 「うん。一人暮らしするのは家賃がもったいないし」 「ああ、生活費もバカにならないよね」  深く納得したように呟いている。 「カナタくん、わたしーー」 「兄ちゃん!」  メールを返さなかったことを詫びようとしたら、子供の声とパタパタと駆けてくる足音に遮られた。 「動物の図鑑ないよ」  小学校に上がるか上がらないかくらいの男の子が、叶多に向かって訴えている。 「もしかして、コウタくん?」  あの頃、彼の家には幸多と名付けられた赤ちゃんがいた。四年前のことだ。 「だぁれ?」  いがぐり頭の男の子は、大きな目でこちらを見上げた。 「わたしはーー」 「俺の昔の友達だよ」  私の声に被せて、叶多が短く答えた。 「図鑑、あっちの本棚にもなかった?」  まるで追い払うみたいに後方の本棚を指差す。男の子は、叶多が指差した方へと駆けていった。 「今のコウタくんだよね?大きくなったね」  驚きと感慨深さを隠せない私に対して、叶多は「まあね」とそっけない。 「そっか、コウタくんのお守りで来たんだ。相変わらず良いお兄ちゃんだね」  本心から言ったのだけど、叶多は「そうかな」と首を傾げた。 「あ、もしかしてまた兄弟増えた?」  叶多のお母さんが赤ちゃんにかかりっきりなのかと思ったのだ。  でも、彼はそれを否定した。そして、それっきり心を閉ざしてしまったのが分かった。 「じゃあ、俺そろそろ行くね」  一刻も早くこの場を離れたいみたいに、身体はもう斜め横を向いている。そんな相手を引き留めるような執着心を、私はとうの昔に失くしていた。 「うん、じゃあ」  小さく手を振ると、叶多も軽く手を挙げた。 「元気でね、ユメちゃん」  彼はそう言って微笑んだ。私に背を向けて、振り返ることなく、弟が走っていった方へ大股で歩いていった。  叶多に会えることを期待して家の近くをウロついていた自分が、馬鹿みたいだと思った。この図書館に来たのも、彼の家がすぐ近くにあるからだった。自分がストーカーをしていたように思えて、底知れない決まりの悪さを覚えている。  叶多に気づかれないようにコソコソと踏み台を持ってきて、本棚に本を戻した。彼と鉢合わせしないように時間を潰した後、逃げるように図書館を後にした。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加