誕生日会

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誕生日会

 幸多の誕生日は雲一つない晴天だった。  父親は、私たちがまだ朝食を取っているところに蓮哉を連れて現れた。肩から下げた大きなクーラーボックスに、前の晩のうちに仕込んだというスポンジ生地やら材料やらが詰めこまれていて、気合は十分だった。  私たちが朝食を終えるとすぐに、父親は作業を開始した。それを遠巻きに見ていると、陽咲に手招きされた。軽い気持ちでついていった私は、陽咲の部屋に入って目を見張った。  正面の窓のカーテンレールに、ワンピースが掛けられていた。手芸用品店で買った淡い水色のリネン地に、白いレースの襟が付いている。胸元には見事な刺繍があしらわれ、ウエストにはワンピースと同じ生地で作られたベルトが巻かれ、スカートはふんわりとフレアになっている。促されるままに手に取ってよく見ると、半袖の袖口はゴムで絞ってあって、背中はファスナーになっていた。目立たないところに丁寧にポケットまで付いていて、洋服を一から一人で作ったのが初めてだとはとても信じられない出来栄えだ。高級なブティックで売られていても不思議ではない。 「着てみて」 と、陽咲は軽い口調で言った。  無理無理、と手と首を振って固辞したら、「せっかく作ったんだから着て」と怒られてしまった。それで、陽咲に着せられるままに恐る恐る足と腕を通した。陽咲が背中のファスナーを閉めてくれる。  ワンピースは膝丈で、全てがジャストサイズだった。それなのに、陽咲に指示されて恐々と身体を動かしてみたら、ちゃんと動きやすくできていた。  陽咲は私を部屋に残して一階に降りて行き、やがて叶多を連れて戻ってきた。 「見て。あたしが作った」  じゃん、という身振りで私が着せられているワンピースを示す。 「完成したのは知ってたけど……」  叶多はそこで言葉を詰まらせて、しばらくの間、口をポカンと開けてこちらを見ていた。 「どうしよう。ヒナタのこともユメちゃんのことも、どっちも抱きしめたい」  言葉を取り戻した叶多が、困ったように陽咲と私を交互に見て、 「そこはヒナちゃんでしょ」 「そこはユメちゃんでしょ」 と、私たちをハモらせた。  そうこうしているうちに呼び鈴が鳴って、子供の足音が玄関へ駆けていく。 「汚れたら困るし、一回着替えてもいい?」  陽咲に許可を求めた。 「着替えちゃうの?」 と、叶多が名残惜しそうにしながら部屋を出ていく。 「いいけど後で写真撮らせてね」 と、陽咲は条件付きでワンピースを脱ぐことを許してくれた。生きた心地がしなかったからホッとした。  下から、「こんちはー」と吉木のよく通る声が聞こえてくる。 「おー、長谷川。ゆーちんは?」「え、見たい見たい」「いてっ、蹴ることねーだろ」と、叶多の声は聞こえないながらも、吉木の声だけで何が行われているのかが想像できた。 「吉木さんと仲直りできたみたいで良かったね、お兄ちゃん」  脱ぐのを手伝ってくれながらそう言って、陽咲はクスクスと笑った。  無事着替えを終えて下へ降りていくと、お茶の間に千尋が立っていた。私に気づいて、「よっ」と手を挙げてくる。  駆け寄って、千尋のことを抱きしめた。 「おう。お熱いねー」  吉木に軽口を叩かれたけど、千尋の髪の色の意味を知っている私には、そうせずにはいられなかった。 「あなたがチヒロさんなんですね。長谷川叶多です。ユメちゃんからよく話は聞いています」  自己紹介がまだだったのか、蓮哉を抱っこした叶多がマイペースに挨拶をして、 「あ、すみません、こんな体勢ですけど、川崎千尋といいます。お邪魔してます」 と、千尋が応じている。 「あ、チヒロさん、髪の色変わってる。モカブラウンですか?似合う」  私が千尋を解放した頃に、陽咲が二階から降りてきて朗らかに言った。 「え?ホントだ」  今頃気づいたらしい吉木が、マチョコに頭をはたかれている。  その後も来客が続いた。実采のクラスメイトだという男の子が五、六人来て、家じゅうを駆け回った。それから幸多の保育園の友達が母親に連れられて三組来て、一気に人が増えた。母親たちがお茶の間で子供たちを見守りながらおしゃべりに興じる傍で、父親は台所で黙々と作業を続けている。  私は最初、庭で千尋たちとバーベキューの準備をしていたのだが、食材を切りに台所に行ったら、父親を手伝うハメになった。  しばらくして、「ずいぶん賑やかね」と言いながら、叶多の叔母さんが二人の子供を連れて現れた。女の子の方は中学生くらいで、男の子の方は新と同じくらいだ。そういえば新がいないなと思っていると、同級生だと思われる女の子と一緒に現れて、陽咲に「ミコトに作ってあげてた魚のあみぐるみの作り方、後で教えてあげてくれない?」と頼んでいるのが聞こえた。  ここまで人が増えると、もう誰がどこにいるのか、そもそも誰が誰なのかすら分からないくらい、カオスだった。そこで、最低限、父親と蓮哉の挙動にだけは注意しておこうと心に決めて、汗だくで炭に火を付けるのに苦戦している千尋たちを尻目に、そのまま父親の手伝いを続けることにした。  それにしても、父親の段取りの良さには驚いた。同時進行で三種類のケーキを作っていて、鍋でチョコレートを溶かしていたかと思えば、卵白を泡立てて作ったメレンゲをクッキングシートの上に手際よく押し出していき、次の瞬間にはまた別のことをしていた。 「この方は、ユメさんのお知り合い?」  叶多の叔母さんは、幸多の友達の母親の会話に交ざりながら、チラチラこちらの様子を窺っていたかと思うと、好奇心に負けたように台所にやってきて私に小声で訊いてきた。 「父です」  紹介するタイミングを逃していた。 「まあ。凄いお父様がいらっしゃるのね」  感心したように、父親が透明なフィルムの上にチョコレートで模様を作っていくのを眺めている。  父親のことを褒められるのは、何だかくすぐったいような居心地が悪いような、変な感覚だった。  幸多たちと遊んでいた蓮哉にも聞こえたようで、こちらにやってきて、「僕のパパだよ」と胸を張った。 「あら、ユメさんの弟さんだったのね」  叶多の叔母さんの言葉に、蓮哉は少し変な顔をした。  当の父親は、すっかり没頭していてこちらの会話が耳に入っていないようだ。叶多の叔母さんも、しばらく興味深そうに見ていたけど、「邪魔しちゃ悪いわね」と元いた場所に戻っていった。  父親のケーキ作りがひと段落したので、途中になっていた食材を切り終えて、庭に戻って肉を焼き始めた。匂いに釣られて、二階でバタバタしていた実采たちが集まってくる。  裸足で庭に出ようとする男の子たちを、玄関で靴を履いて外から庭に回りこんでくるよう促していると、蓮哉を肩車した叶多がやってきた。 「レンヤくんが食べたいものはあるかな?」  叶多に問いかけられて、蓮哉が何やら指差しながら「とこもろち!」と答えた。叶多が「いいね。トウモロコシ食べるか」と応じて、蓮哉を地面に降ろした。蓮哉は幸多たちがいる方へ走って行った。 「思ったよりたくさん来てくれたな」  私の隣で叶多が呟く。 「うん。お父さんケーキ作りすぎじゃないかなと思ってたけど、意外とちょうどいいくらいかも」 「ユメちゃんのお父さん来てくれて助かったよ。すごいって叔母さんも感心してた」  言って回るくらい感心したのか、とまたむず痒いような気持ちになる。 「あ、ミコトの奴、自分が最初にもらう気だな」  先頭で紙皿を持って肉が焼けるのを待っている実采を見て、叶多が苦笑いする。でも、何かを思い出したように、その笑みを小さくした。 「ミコトのリュックの中にさ、ライターが入ってたんだ」  私にだけ聞こえるくらいの声で言う。 「ライター?」  聞き返すと、叶多は頷いた。 「前に籠城とか言って、ミコトが習字部屋に閉じこもったことがあったでしょ?あの時もしかして、最悪火をつけるつもりだったのかなって」 「え?!」  驚いて思わず声をあげた。 「いや、俺の勝手な想像だけどね。時代劇で城に火をつけるシーンあるじゃん。ミコト、時代劇よく見てるからさ。もしもそうだったらと思って、ものすごく肝が冷えた」  確かにあの時、実采は追い詰められていた。でも、叶多の思い過ごしだと信じたかった。 「だからさ、ミコトがご飯食べたりわがまま言ったりしてるの見ると、安心するんだ。ちゃんと生きようとしてるんだなって思えて。情けない兄ちゃんだな、俺は」  叶多の腕を抱きしめた。取り返しのつかないことになっていたかもしれないという実感が胸に押し寄せて、鳥肌が立った。 「ごめん、変な話して。こんな話、ユメちゃんにしかできなくて」  首を横に振った。叶多がそれを吐き出せる相手になれて、良かったと思った。 「おいおいおい、イチャついてねーで手伝えよ、長谷川」  吉木に見咎められてしまって、叶多も焼く側に回った。  バーベキューが終わった後は、ケーキの用意ができるまで思い思いの場所へ散らばった。叶多は、幸多にせがまれて、子供が十人くらい入れそうなビニールプールを汗だくになりながら膨らませている。 「兄ちゃん兄ちゃん」  そこへ実采が走ってきた。 「オシュージして!オシュージ」  叶多が疲れたように額の汗を腕で拭う。 「今?」 「ワタルくんもリクくんも、墨ゴリゴリするのやりたいって」  それを聞いて、習字のことかと納得する。 「あ、お前、墨触ったな」  実采の手を取って、叶多が笑いながら怒った。手が黒くなっている。 「みんなも手真っ黒か?後でやるから、何にも触らないで手洗ってきて。石鹸でね。友達もだよ」 「分かったー」  実采が走り去っていく。この暑いのに元気だ。 「ホント大変だなー、お前」  バーベキューの片付けをしている吉木が、その様子を見て同情するように言った。 「まあね。でも、そう悪くないよ」 「うっわ、大人ー」  叶多の顔が暑さで真っ赤になっているのに気づいて、クーラーボックスからスポーツ飲料を取り出して手渡したら、 「ユメちゃんにこんなこともしてもらえるしね」 と、叶多が勝ち誇ったように吉木に見せびらかした。別に火種を作りたかったわけではないのだけど。 「あれ、ゆーちん、俺のは?俺も汗だくよ?」  吉木が鬱陶しく絡んできて、マチョコにまた頭をはたかれている。  叶多がプールを膨らませ終えたタイミングでケーキの用意ができたようで、子供たちが騒ぎ始めた。 「カメラ、カメラ」と叶多が家の中に駆けこんでいく。  千尋たちと一緒に中に入ると、陽咲がスマホで写真を撮っているところだった。 「え、すご」  横で千尋が驚きの声をあげる。  テーブルの上に、五種類のケーキが所狭しと並べられている。幸多の目の前には、幸多が好きなアニメキャラクターをかたどったケーキが置かれていて、他には、メレンゲ菓子が配置されたブルーベリーのショートケーキ、チョコレート細工があしらわれたチョコレートケーキ、オレンジやキウイ、パイナップルなど色とりどりのフルーツが乗ったフルーツタルト、そしてシンプルなレアチーズケーキがある。 「これ、ほとんど全部ここで作ったんですって。すごいわねえ、あなたのお父様」  叶多の叔母さんが私に気づいてまた褒めてきた。  ろうそくに火を灯して、定番のバースデーソングを歌った後、プレゼントの受け渡しが行われる中、ケーキを切った。何をどう計算したのか、叶多に言われた通りに切ったら、全員が二種類のケーキを受け取れるように分けることができた。  私は千尋と四種類のケーキを分け合った。食べながら、千尋から聴覚障害児との交流会に行った時の話を聞いた。子供の多くが手話を使えなかったようで、手話を覚える以上に伝えようとする熱意が大事だということを学んだという。そして、言葉の発音に不自由しながらも、懸命に何かを伝えようとしてくる子供たちの姿に胸を打たれて、サポートに行ったつもりが逆に励まされた気がすると、千尋はしみじみと語った。夏休みを経てますます世界を広げていく友達が眩しくて、私も頑張らなきゃなと思った。  ケーキの評判は上々で、みんなから口々にお礼を言われた父親は、上機嫌で縁側にどっかりと腰を下ろした。 「久しぶりに作ったけどよぉ、手が覚えてんだなぁ」  隣に座った私に、興奮したように話しかけてくる。 「お父さんがケーキ作ってるとこ、久しぶりに見た」  こんなに穏やかな気持ちで父親と話すのは、いつ以来だろう。 「ユメが小さい時ぁ、よく作ってたなぁ」  学校から帰ってきて、家の前で甘い匂いがしてくると、ワクワクしたものだった。 「何で作らなくなっちゃったの?」  いつからか父親は、家でケーキを作らなくなった。 「そりゃあ、お前がよぅ、もう作らないでっつったからだ」 「え?わたしそんなこと言った?」  聞き返しながら思い出した。父親がケーキを作るのをやめれば、恵梨香が家に来ることもなくなると思ったのだ。私は、恵梨香に父親を取られたくなかった。 「もったいないね、お父さん」  こんな才能を眠らせているなんて。 「またケーキ屋さんで働いたらいいのに」  まだ四十代だろう。技術を持っているのだから、働き口はいくらでもあるはずだと思った。 「もうケーキ屋では働かねぇよぉ」  父親は、その可能性を否定した。 「俺ぁよぉ、ケーキで金取んのは嫌だったんだよ。何かよぉ、幸せを金で売るみてぇでよぉ」  そう言って黙ってしまった。私もそれ以上は言わなかった。こうやって目の前の人のためにケーキを作るのが、父親らしいと思ったから。    ケーキを食べた後は、みんなで写真を撮る流れになった。恐ろしいことに、私はまた陽咲が作ったワンピースを着せられることになった。  外に出て写真を撮ろうとした時、カメラを手にした叶多が、「あれ?お父さんは?」と聞いてきた。さっきまで座っていた縁側にはいない。お手洗いだろうかなどと言って待っていると、大きな帽子を被った女が庭に入ってきた。  それは恵梨香だった。リゾートにでも行っていたのか、胸元のざっくり開いた派手なワンピースを身に纏っている。彼女に続いて、父親がスーツケースを手に現れた。 「あ、ママ!」  蓮哉も気づいて、恵梨香の方に駆け寄っていく。 「何でこんなところにいるわけ?」  サングラスを取った恵梨香が、尖った声で父親に尋ねた。 「いやぁ、あのよぉ、誕生日会でよぉ」  のんびり話す父親に、恵梨香が目に見えて苛立っている。蓮哉の頭をひと撫でしてから、大股で私の方に近づいてきた。 「え?え?もしかして本栖恵梨香?」  驚いている吉木を横目でじろりと睨んで、恵梨香は私の前で立ち止まった。 「ユメちゃん、全然家に帰ってこないって聞いたけど、こんなところに入り浸ってたんだ。今度はちゃんと家賃払ってるの?」  場の空気などお構いなしで、嫌味たっぷりの口調で言う。 「こんな可愛い服着ちゃって。ユメちゃんって、もっと地味な格好が似合うのに」 「触らないで」  ワンピースに手を伸ばして来たから、思わずキツい声を出してしまった。それが恵梨香をますます怒らせたのが分かった。 「ねえ、ひょっとしてあんたの誕生日会なの?こんな真ん中に立っちゃって、お友達も随分いて楽しそう。あたしはあんたの父親に人生狂わされたっていうのに!」 「エリカちゃん、ちょっと」  子供もいる前でやめてほしいと思ったけど、恵梨香は止まらない。 「昔から気に食わないんだよ。ヘラヘラヘラヘラして、見てるだけでムカつく。馬鹿なくせにあたしに気安く話しかけて来てさ。あんたが話しかけてこなけりゃ、あたしはレンーー」 「エリカちゃん!」  続く言葉が分かって、大きな声で遮った。蓮哉が聞いている。  恵梨香が手を振り上げた。ぶたれるのを覚悟したけど、それより先に父親が恵梨香の手を掴んだ。 「俺んこたぁ悪く言っても良いけどよぉ、ユメんこたぁ悪く言うんじゃねぇよぉ」 「そ、そうだぞ!」  吉木が応戦する。 「何があったか知んねーけど、いやウソウソ、何となく想像ついたけど、ゆーちんはぜってー悪くねーし。つーか、ゆーちんはお前なんかとわざわざ仲良くしてくれてたんだろ!」 「何なの!あたしが悪いって言うの?」 「悪いだろ。謝れよ。昔いじめてた分も全部、謝れよ!」 「吉木くん、もういいーー」  私が言葉で止めようとしていると、蓮哉が恵梨香を庇うように吉木の前に立ちはだかった。 「ママをいじめないで!」  吉木がハッとしたように口を閉じた。圧縮された沈黙が流れる。 「偉いなぁ、レンヤくんは」  沈黙を破ったのは叶多だった。 「エリカさん、初めましてですよね。僕は長谷川叶多といって、ユメちゃんとお付き合いをさせていただいています。レンヤくんは、あまりにも可愛いので僕がここに連れてきてしまいました。勝手なことをしてすみませんでした」  そう言って、恵梨香に向かって深々と頭を下げた。蓮哉が、頭上の会話を見上げて、不安そうに目をキョロキョロさせている。 「今日は僕の弟の誕生日会で、今からみんなで写真を撮るところなんです。良かったら、ユメちゃんのご家族として、一緒に写りませんか?」  にこやかに恵梨香を誘った。恵梨香が入るわけがないだろうと思ったけど、それも叶多の計算なのかもしれない。 「家族なわけないでしょ。帰るよ、レンヤ」  恵梨香は声を荒げることなく、あっさりと引き下がった。 「そうですか。残念です。楽しかったな、レンヤくん。またね」  恵梨香に手を引かれてつんのめりそうになりながら、蓮哉が叶多に向かって小さく手を振る。そのまま恵梨香はスーツケースを引いて帰っていった。まるで嵐が通り過ぎた後のように、みんな固まってしまっている。 「さあ、写真を撮りましょう、と言っても、難しいですよね」  叶多が笑って言う。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 「な、何だったの?さい、再婚してらっしゃるということ?随分お若かったですけど」  叶多の叔母さんが、混乱した様子で私と父親を交互に見ながら尋ねてくる。 「別にいいじゃん。そんなこと、どうでも」  陽咲が助け舟を出そうとしてくれる。 「どうでも良くないわよ。だって、ユメさんはカナタくんとお付き合いしているのよね。そのお父様なんだから、カナタくんの親代わりとしては知っておかないとダメだわ」 「いや、俺ぇ、ユメの父親じゃねえんです」  急に父親が言葉を発したからギョッとした。その嘘に二度びっくりした。 「あ、本当のお父様ではないとか、そういう……?」  叶多の叔母さんが、何とか辻褄を合わせようとしている。 「じゃあ、俺ぇ、帰ります。ケーキも作ったし、疲れちまった。じゃあなぁ、ユメ」 「なっ」  こんな状態で置いていくなと思った。 「すみません、わたしたちのことは気にしないでください」  そう言い残して、父親の後を追った。  靴を手に家に上がった父親は、台所に置いていたクーラーボックスを肩に担いで、玄関へと歩いていく。 「ちょっと待ってよ、お父さん」  そう声をかけたら、父親は顔だけ振り向いた。 「おう、悪かったなぁ」 「悪かったなぁじゃなくて。父親じゃないって、どういうつもりであんな嘘言ったの」  父親が玄関に靴を落とす。答えないつもりかと思ったら、靴を履いてこちらに向き直った。 「俺ぇ、お前の邪魔しかできねぇだろぉ。俺が父親だとぉ、お前ぇ、迷惑なだけだろぉ。だからよぉ、もう、俺のことぁ、親だと思わなくていいからよぉ、カナタと幸せに生きろよぉ」 「な、何言ってんの?」  本当に何を言っているのか理解できなかった。それなのに、なぜか涙が込みあげてきた。 「何で泣くんだよぉ。俺がいなくなったら嬉しいだろぉ。ああ?笑えよぅ」 「嬉しいよ!そんなの清々するに決まってんじゃん。わたし、お父さんのことなんか、大っ嫌いなんだから」  後から後から涙があふれて、ワンピースの胸元を濡らした。 「そぉだろぉ。俺といるとよぉ、ユメは怒ってばっかりだもんなぁ。ここだとお前ぇ、楽しそうだもんなぁ。俺ぇ、お前が幸せなのが一番だぁ」  父親は満足そうに笑って、再び私に背を向けた。そのTシャツの背中を掴んで引き留めた。 「言ってくれなきゃ分かんないじゃん。言葉にしなきゃ、何考えてんのか全然分かんないよ。わたし、お父さんはわたしのこと、大事じゃないんだと思ってたよ」  ひどい言葉をたくさん投げつけたのに、こんな娘の幸せをまだ願ってくれていたなんて。 「そんなわけないだろぉ。俺ぇ、お前のこと大事じゃねぇなんて、いっぺんも言ったことねぇだろぉ」  父親が再び振り向いたから、掴んだTシャツが手から離れた。空っぽになった手が、心細さを訴える。 「だって、お父さん、わたし以外の人にばっかり優しくして、わたしのもの勝手にあげちゃって、そんなことされたら、大事にされてるなんて思えないよ」  お父さんとの共通言語をあまりにも失っていて、何をどう話せば伝わるかも分からなくて、それでも私は、手探りをするように話し続けた。 「何でそんな誰にでも優しくするの?お父さんがそうしろって言うから、わたしにこんな名前付けるから、わたしも頑張ったけど、何にもいいことなかったよ」  恵梨香に優しくしなければ良かった。恵梨香の言う通り、私が彼女に話しかけなければ、恵梨香が家に来てお父さんに会うことはなかった。お母さんがあんなに苦しむこともなかったのに。 「ごめんなぁ」  まるで自分が全部悪いというみたいに、お父さんは謝った。 「俺ぇ、馬鹿だからよぉ、そういう風にしかできねぇんだよ」  全部が間違いだったというみたいに言った。 「金もなぁ、出せ出せ言って悪かったなぁ。俺ぇ、家売るわ。俺よぉ、初めてでよぉ。出てけって言われない家ぇ、マサミが俺に初めて買ってくれてよぉ。だけど、しょうがねぇよなぁ。レンヤに金が要るもんなぁ」  後半は独り言のように呟きながら、背を向けて、私から遠ざかっていく。今離れたら、もう二度と会えないような気がした。 「置いてかないでよーー」  靴を持ってこなかったから裸足でたたきに降りようとしたら、ガラス戸を開けたところでお父さんは立ち止まった。戸の向こうに叶多が立っていた。 「おう、ユメのこと頼むなぁ」  そう言って横をすり抜けようとするけど、叶多が通れないように立ち塞がっている。 「通してくれよぉ」  強引に押し通ろうとして無理だったのか、お父さんが困ったような声を出す。 「僕、お父さんに、ユメさんを泣かせたらタダじゃおかないって言われました」 「いやぁ、それは言ったけどよぉ。何で泣いてんのか分かんねぇんだよぅ。俺と縁切れたらよぉ、嬉しいはずだろぉ」  何で分からないんだと腹が立った。 「ユメさんはお父さんのことが大好きなんです。だから、お父さんに縁を切るなんて言われたら、悲しくて泣くに決まってるじゃないですか」  叶多は、こちらが戸惑うくらいシンプルな言葉で、私の涙の訳を説明した。 「いやぁ、だって今ぁ、大嫌いって言われたぞ」  お父さんが狼狽えたように私を指差して反論する。 「嘘ですよ、そんなの。子供が拗ねた時によくつく嘘です。僕もしょっちゅう弟に言われる。そんな言葉一つで、娘を置いていくつもりなんですか?」 「いや、俺ぇ、ユメに幸せになってもらいたくてよぉ」 「それは知ってます。でも、お父さんに縁を切られたら、ユメさんは絶対に幸せになれません」  叶多の剣幕に押されるように、お父さんが一歩、二歩と家の中に後ずさってくる。叶多が後ろ手で戸を閉めた。 「何でそんな簡単に離れようとするんですか?僕はもう、自分の親に、会いたくても会えないのに」  ハッとした。私はお父さんに対する拒絶の言葉を口にすることで、叶多のことをずっと傷つけ続けてきたのかもしれない。今頃になってそう思い至った。 「いろんなことがあったのは知ってます。ユメさんがそれで苦しんだのも。でも、終わらせる理由になんてならないでしょ。お父さんは、一生ユメさんのお父さんで、親子の縁を切ることなんか絶対にできないはずだ」  新しい涙がまた一つ、頰を伝い落ちた。叶多は私に、逃げることは許しても、諦めることは許してくれなかった。それは、知っているからだ。別れも言えずに唐突に終わってしまうことがあることを。 「ケーキ、本当に美味しかったです。お金を払おうとしても、喜んでもらえたらそれでいいからって、受け取ってくれなくて。僕、お父さんのそういう不器用で優しいところが、大好きです。もしもユメさんと家族になれるなら僕は、お父さんとも家族になりたい」 「お、俺ぇ、俺もぉ、お前のこと好きだぞぉ。だってぇ、ユメに愛をくれるってよぉ、ユメのこと守るってよぉ、言ってくれたもんなぁ」  お父さんは何度も、遠い日の叶多の言葉を口にするのだ。 「ありがとうございます。恐れ知らずで生意気なガキだった僕の言葉を、ずっと覚えていてくれて。その約束を守るためにも、お父さんをこのまま行かせるわけにはいかないんです」  叶多に至近距離で見つめられて、お父さんが怯んだようにまた一歩私の方へ後ずさってきた。 「お父さんも、約束してくれませんか。もう二度とユメさんと縁を切るなんて言わないって。お父さんの優しさは、もしかしたら時々ユメさんを傷つけることがあるかもしれない。でも、その時は僕がユメさんのそばにいて、泣かせないようにするから。もし僕がそばにいれなくなっても、僕以外の誰かにそう誓わせるから」  叶多の掴みかからんばかりの迫力に、お父さんがまた一歩後退して、私の手の届くところまで帰ってきた。 「おぉ、そうかぁ。そこまで言うんだったら、そうだなぁ。本当にいいのかぁ?俺が父親のままでぇ」  振り向いて私に尋ねてくる。 「いいに決まってるよ。わたしの親はもう、お父さんしかいないんだよ。お母さん、死んじゃったんだよ」  言いながら、嗚咽が漏れそうになった。私は初めてお母さんの死をちゃんと悲しんでいるのかもしれない。生きていればまたやり直せたかもしれないのに。 「ごめんね。わたしがお父さんをそこまで追い詰めたんだね。ひどいこといっぱい言ってごめん」 「な、何でユメが謝るんだよぉ。お前は何も悪くねぇだろぉ。何だよぅ、泣くなよぅ」  バシバシと腕を叩いてくる。お父さんが動く度にクーラーボックスが脛にぶつかって、両方とも結構痛い。 「はい、お父さん振り向いて」  叶多の声に何事かと顔を上げると、シャッター音が鳴った。いつの間にか叶多がカメラを構えている。逆光で見えなかったけど、ずっと首から下げていたのらしい。お父さんは叶多の迫力に気圧されたのではなくて、カメラによって物理的に押されていたのかもしれない。そう思ったら、おかしくて吹き出してしまった。 「あ、いいねぇ。お父さんも笑って」  唐突な撮影会が始まって、「もう顔ぐちゃぐちゃなんだからやめてよ」と怒っても、さらに三枚くらい撮られた。  お父さんは結局、明日朝早いとかでそのまま帰っていった。先ほどの集合写真は、私たち抜きで一枚だけ撮って、後はまたそれぞれの場所に散らばったのらしい。叶多の叔母さんは何やら都合よく解釈してくれたようで、複雑な関係なのに口を出して悪かったわねぇとむしろ反省していたそうだ。  二階で慎重にワンピースを脱いで、汚れてもいい服に着替えて庭に出ると、幸多たちがプールを楽しんでいた。吉木たちもホースから水を出して足だけバチャバチャやっている。千尋が私に気づいて駆け寄ってきた。両手をギュッと握ってくれる。幸多の友達の母親と話していた叶多も、こちらにやってきた。 「俺、ミコトに頼まれたから習字部屋行ってくるね。何かあったら声かけて」  そう言って家の中に入っていった。 「大丈夫?」  千尋が心配してくれる。吉木とマチョコもこちらにやってきた。 「うん。ごめんね、すごい空気にしちゃって」 「それはいいけどさ」  四人で縁側に座った。バーベキューのお礼とせめてものお詫びにと、冷凍庫に入れていたアイスキャンディーを振る舞う。 「いや、すげービビったわ」  吉木がまだ余韻を引きずっているみたいに言って、マチョコに「うるさい」とはたかれている。マチョコは今日ちょっと吉木のことをはたきすぎじゃないだろうか。 「まあ、ご想像の通りだよ。父親じゃないとか言ってたけど、あれは嘘。うちの父親さ、さっきのエリカちゃんーーわたしの小学校の時の同級生なんだけど、エリカちゃんを中二の時に妊娠させて。生まれた子がレンヤくん。父親は一緒に暮らしてないってか、結婚もしてないんだけど、エリカちゃんが旅行に行くとかでここ何週間かレンヤくんのことを預かってたんだ。まさか今日迎えにくるとは思わなかった」  そう説明した。しばらく誰も何も言わず、しゃりしゃりとアイスを齧る音とプールで騒ぐ子供たちの声だけが聞こえていた。 「やっぱ黙ってらんねー。ひでー話だな!自分が何週間も子供預けといて、あんな人攫いみたいな言い方ねーし!ホントあいつ、嫌な女っぷりにますます磨きがかかってるわ。てめーがゆーちんに嫉妬してるだけだろ!」  吉木が耐えかねたように捲したてた。  嫉妬か、と思った。あんなに可愛い子供がいるのに、恵梨香は自分の幸せを感じられないのだろうか。そう思ったら、少し可哀想な気がした。 「ありがとね、吉木くん。さっきは庇ってくれて。でも、やっぱり悪いのはうちの父親だし、エリカちゃんがああいう風に言うのも、間違ってはないと思うんだよね」 「それでもーー」  吉木が反論しかけて、堪えるように言葉を飲みこんだ。 「吉木くん、わたしのこと強いって言ってくれたでしょ?毎日挫けずにエリカちゃんに挨拶して、最後は仲良くなったって。違うんだよ、本当は。わたし、エリカちゃんと仲良くなったことなんてないの。エリカちゃんがうちに遊びにきてたのは、わたしの父親に会うためだったんだ。否定しなくてごめんね」 「そんなこと……」  吉木は一瞬躊躇いを見せた後で続けた。 「そんなことねーよ。それでも、ゆーちんが無視されても挫けずに挨拶し続けたのは事実だし。俺、それ見てゆーちんのこと、すげー奴だって思ったんだし」  吉木にそう言ってもらえて、心が少し軽くなった。私は思っていた以上に吉木に対して負い目を感じていたみたいだ。 「わたしの母親はね、二年前に死んじゃったんだけど、本当は強い人だったんだよ」  私がもし、吉木の言う『すげー奴』だったのなら、それはお母さんのおかげだ。 「自分で決めたことは最後までやりなさいって言うのが、口癖だった」  強かったから、ボロボロになるまで闘ったのだ。  千尋が私の背中を撫でた。涙腺が馬鹿になってしまったみたいだ。涙がどんどん溢れ出てくる。 「情けないな、わたし。お母さんにそうやって育ててもらったのに、すぐに投げ出そうとして。大学に行くのも、カナタくんのことも、お父さんのことも、わたし一人だったら、きっと投げ出してた」  何てダメな人間なのだろう。私はずっと同じ場所をぐるぐると回っている。 「でも、結局投げ出さなかったじゃん」  千尋が私の背中に手を当てたまま言った。 「ユメちゃん、『記憶の変容』について習った時、思い出す度に記憶が変わるなんて嫌だって言ったの覚えてる?」  そう問われて頷く。叶多と同じ思い出を共有していないのかと思って、寂しくてたまらなくなったのだ。 「教科書には、辻褄を合わせるように記憶を変容させる、なんて書いてあったけど、あれさ、思い出す度に、自分の血肉になるように進化させていくってことなんじゃないかなって、思った」  私が理解できていないのが分かったのか、千尋は言葉を探すように目を落とした。 「最初にインプットされた情報は、そのまんまの形じゃあんまり意味がなくてさ、自分の中のいろんなものと混ぜ合わさることで初めて、自分だけの価値のあるものに昇華するんじゃないのかな。でさ、そのためには、忘れる必要があるんだよ。一回忘れて、新しい気持ちで解釈し直すっていうのが、きっと大事なんだよ。  だから、もしお母さんに言われたことを忘れちゃってたとしても、それは心に染み込ませるための大事なステップなんだ。思い出したことによって、ユメちゃんはお母さんの言葉を、より深く理解できるようになったんだよ」  言いながら納得したように、千尋は一つ頷いた。 「やっぱりすごいな、チヒロちゃんは」  宮澤は私のことを研究者に向いているのではないかと言ったけど、千尋の方がよっぽど向いていると思う。 「ありがとう。チヒロちゃんにもらった言葉は全部、大事な宝物だよ。この先も何回も思い出して、心に刻まれていくんだと思う。チヒロちゃんと仲良くなれて、本当に良かった。新入生ガイダンスで振り向いてくれてありがとう。わたしからは多分話しかけられなかった」  改めて感謝を伝えたら、千尋は「めっちゃ金髪だったからね、私」と笑った。  髪の色は関係なかっただろうと思う。あの時の私は、自分から誰かに話しかけるような前向きさを、すっかり失っていた。 「ありがとうは私の方だよ」  ガイダンスの時のことを思い返していた私に、千尋はポツリと言った。 「ユメちゃんがいつも私の話を真剣に聞いてくれたから、自分はまだやれるって思えた」  長袖からチラリと手首の傷跡を覗かせた。 「あの時さ、振り向くのめっちゃビビってたんだよね。金髪ってだけで拒否反応起こされたらどうしよって。でも、うん、振り向く勇気が出せて良かった。大好きだよ、ユメちゃん」  千尋と愛を伝え合って、二人で笑った。 「いいよね、その髪」  マチョコが、千尋の向こうで呟くように言った。 「すごく似合ってる。何か私、自分は何で金髪にしてるんだっけって、思っちゃった」  千尋が嬉しそうにマチョコの腕を組む。 「マチョコもこっち側に来なよ。何回も染めなくていいし、楽だよー」  マチョコの後ろで金髪の吉木が身を乗り出すのが見えた。 「何かピンクとかも似合いそーだよな、マチョコ」  そんな空気を読まない発言をした吉木に、千尋が立ち上がって蹴りを入れている。  陽が傾き始めた頃、幸多の友達とその母親たちがぞろぞろと帰って行って、叶多の叔母さんとその子供たちがそれに続いた。見送るために習字部屋から出てきた叶多は、濃紺の浴衣に淡い水色の帯を締めていて、よく似合っている。  それからほどなくして、習字部屋から実采たちが飛び出してきて、二階へと駆け上がっていった。友達が帰ってしまった幸多が乱入して、飽き始めていたところにトドメを刺したのらしい。  浴衣姿の叶多は、無人になったプールで吉木が一人でバチャバチャやっているのを、しばらく冷めた目で眺めていたのだが、結局巻きこまれて、「脱がすな、脱がすな」と叫びながら全身びしょ濡れになっている。  するとその声を聞きつけた実采たちがドタドタと降りてきて、服を着たままプールに飛びこんでいった。叶多は、子供たちと思いっきり遊んだ後、「はい、プールおしまい!」と空気を抜いてしまった。実采たちは一瞬名残惜しそうにしたけど、次の瞬間にはテンションを回復させて、ずぶ濡れのまま外へ駆け出して行った。  叶多と吉木がビニールプールを片付けているのを、手伝う体力もなく縁側に座って見ていると、新が女の子と一緒に二階から降りてきた。 「お邪魔しました」  女の子は家の中から叶多に向かって行儀よく挨拶した。 「あ、リサちゃんだったよね」  叶多が数歩の距離を駆け寄ってきて確認する。 「はい」 「ごめんね、俺こんなびちょ濡れで。いつもは濡れてないんだけど」  叶多が、ウケを狙ったのか何なのかそう言って、吉木だけがツボに入ったようだ。 「編み物か何かやってたの?」  気を取り直したように叶多が尋ねる。 「はい。あみぐるみの作り方をヒナタさんに教えてもらいました」 「うまくできた?」 「うーん」  女の子は小さく首を傾げた。天然なのかわざとなのか、シナを作っているように見える。話し方も少し舌足らずだ。 「上手だったじゃん」  答えに困っている様子の女の子を、新が優しくフォローする。 「アラタと仲良くしてくれてありがとうね。夏休みはどこか行ったの?」  叶多がさらに問いを重ねた。 「あー、塾に行ってました」 「そうなんだ。受験するの?」 「はい、んー、女子校に行きたくて」 「そっか。男子は嫌?」 「そういうわけではないんですけど」  女の子が新の方をチラッと見た。 「兄ちゃん、もういいでしょ」  新が助け舟を出す。 「ああ、うん。勉強忙しいだろうけど、良かったらまた遊びに来てね」 「はい、お邪魔しました」  女の子は再びシナを作って、帰っていった。 「すっごい女子力。私も見習お」  彼らがいなくなってから、千尋が女の子のお辞儀の仕方を真似する。 「多分、意識してないんだよ、あの子」  叶多はそう呟くように言った。    千尋たちは夕方のチャイムを聞いて帰っていった。入れ違いに実采たちが戻ってきて、実采の友達は習字をした半紙やら荷物やらを回収すると、あっという間に退散した。  全ての来客が帰って、お茶の間で兄弟五人とホッと一息ついた。 「あー、疲れた」  畳の上に大の字になった叶多の上を、実采と幸多が取り合う。いつかも見た光景だ。だけど、新に目配せをされて、実采は幸多に譲った。そんな実采の頭を、叶多がグリグリと撫でている。  陽咲は、二階から巾着袋を持って降りてきて、溢れんばかりに入っている色とりどりのニモのあみぐるみを私に見せてくれた。さっきまで新の友達と従姉妹に作り方を教えてあげていたのだという。 「コウタ、楽しかったか?」  叶多が誕生日の弟に尋ねた。 「うん。あのね、ケーキが美味しかった!」  可愛いえくぼを浮かべて幸多が答える。 「美味しかったなぁ。あんな立派なケーキはなかなか食べられないんだぞ」 「兄ちゃん、花火しよ」  幸多の興味は既に次に移っている。 「花火は、晩ごはん食べて、もう少し暗くなってからなぁ」  ぐったりして動こうとしない叶多のことを、幸多がバシバシと叩いた。  かと思えば、今度は実采が何かを思いついたように急に立ち上がって、二階へと駆け上がっていった。ものの数秒で戻ってくる。 「これ何?奥の机の中にあった」  新に何かを見せている。 「奥の机だったら兄ちゃんのだよ」  新が寝そべったままの叶多を指差したので、実采は振り向いて叶多の顔の上にそれをかざした。 「おー、懐かしいの持ってきたなぁ」  叶多はそれをひと目見ると、興奮した声を出して、幸多を抱きかかえたまま起き上がった。 「ヒナタ、これ覚えてる?」  実采から受け取って陽咲に見せている。木でできた彫刻のようだ。翼を広げた鳥の形をしている。 「何それ。……あ、お父さんが作ったやつ?」  陽咲の言葉に、叶多が大きく頷く。 「うん。ヤジロベエだ」  弾んだ声で答えた。 「ヤジロベエ?」  叶多の膝の上で、幸多がおうむ返しにする。 「そう。ヤジロベエっていうおもちゃだよ。さすがにアラタはちっちゃかったから覚えてないよな」  叶多は後ろにいる新を手招きして輪の中に入れた。 「ほら。こうやって乗せると、グラグラするけど落っこちないだろ」  説明しながら、鳥のクチバシの部分を新の人差し指の腹に乗せる。叶多の言う通り、鳥の彫刻は、クチバシの先しか支えられていないのに、グラグラしながらも水平に不思議なバランスを保っている。叶多が翼の部分をつついても、揺れが大きくなるだけで、新の指先に乗っかったまま落ちない。 「父さんが作ったんだよ。俺がどんぐりで作ったヤジロベエをヒナタに見せてたら、もっとすごいの作ってやるって。何でも本気でやる人だったな」  叶多はそう回想した。新は、自分の指の上で鳥の彫刻がゆらゆら揺れるのを、口を開けて眺めている。 「結局ヤジロベエって何なわけ?」  陽咲が、湿っぽくなるのを嫌ったのか、話を逸らした。 「どんぐりのもそれもヤジロベエって言われて、あたし混乱してたんだけど。全然違うじゃん」  少し怒っているような声だ。そうすることで別の感情を隠しているのかもしれない。 「え?小学校の理科の授業で習わなかったか?」  陽咲が首を横に振る。新も同じように否定した。叶多が縋るような目でこちらを見てくるので、「わたしは習ったよ」と彼を援護した。ジェネレーションギャップということで片付きかけたところに、叶多が「ヒナタはどうせ授業聞いてなかったんだろ」と決めつけて、妹を怒らせた。 「どんぐりのもこれも、倒れたり落っこちたりしない原理は同じなんだよ」  叶多が優しい口調に戻って陽咲に言った。 「地球上のものは全部、重力によって下に引っ張られてるよね。だから俺たちは宙に浮かないし、物も下に落ちるんだ」  叶多は新の手からヤジロベエを取って、右手から左手に落としてみせた。 「それから、物を支える点を支点といって、この鳥は今、ここが支点になってる」  今度は自分の指の上に載せて、クチバシの先を指差した。 「物に対して支点が小さければ小さいほど、普通は不安定になるよね。例えば、その編み針を立てるのは難しいだろ。それは、重力がかかる方向と支点がズレやすいからなんだけど」  急に理科の授業を始めた兄の膝の上で、幸多はウトウトしている。 「この鳥の場合は、左右の翼の重さがほとんど同じで、かつ胴体よりも重たくて低い位置にある。こういう時、重心は支点の真下にあるんだ。この状態で右に傾けると、重心の位置が上に上がることで、そこに重力が働いて、重心を元の低い位置に戻そうとする。その反動で今度は左に傾くから、今度は逆方向に戻ろうとする力が働く。こうやって、片方に力がかかった時にそれを打ち消す力が働くことで、バランスを保つことができるんだ。こういう原理のものをヤジロベエっていうんだよ」  叶多はそこで初めて陽咲が耳を塞いでいるのに気づいて、苦笑いした。 「ジューシンって何?」  そう尋ねたのは実采だった。はりきって重心の説明を始めた叶多に、陽咲は「きも」と容赦ない。実采が話についていっている様子なのが驚きだ。  ふてくされた陽咲を宥めながら、叶多の指の上で揺れる木製の鳥を眺めていた。子供の頃、ヤジロベエの何が面白いのか分からなかった。ゆらゆら揺れるだけでどっちにも傾かないのが、はっきりしない感じがして好きじゃなかった。でも今、ヤジロベエから目が離せない。  ああそうか、と思った。私たちはヤジロベエでいいのだ。  覚えて、忘れて、また思い出して。掴んで、諦めて、諦められなくて。迷って、決めて、それでも迷って。そうやって私たちは、自分の中の軸を知るのだ。もしも形が変わって、軸が変化しても、揺れながらまた見つけていけばいい。そう思ったら、消し去りたい記憶も、ぐるぐる回っている自分も、少しは受け入れられる気がした。 「おなかすいた!」  起きた幸多が大きく動いた弾みで、叶多の指先からヤジロベエが離れて、両翼を立てた状態で床に着地した。 「支点が変わっちゃったよ!」  実采が慌てた声を出す。 「支点が二個になったから安定したな」  叶多にそう言われて、実采はしばし考えこんでから、 「グラグラしてた方が面白い!」 と、閃いたように人差し指を立てた。  晩はピザを取ることにして、出前を待つ間、家の中を片付けて回った。 「さっきはごめんね」  子供部屋で散乱したものを整理しながら、陽咲に先ほどの恵梨香の発言を謝った。恵梨香は、陽咲が私のために作ってくれたワンピースを、似合わないと酷評した。 「いろいろあって、あの人はわたしのことを悪く言いたかっただけだからね」  念を押す私に、陽咲はにっこりして「全然気にしてないよ」と言った。 「あたしはユメちゃんによく似合ってるって思ったし。デザイナーはそう簡単に人の意見に左右されないんだよ」  後半は冗談めかすようにして、照れたように笑った。本当に強くなったなと思った。 「あたしのことより、ユメちゃんは大丈夫なの?」  逆に私のことを心配してくれる。 「言いたくなかったらいいけど、あたしにもいつか、ユメちゃんが抱えてること、教えてくれたら嬉しい。好奇心とかじゃなくってさ、知ってたらちゃんと庇えるかもしれないから。ほら、叔母ちゃんとか何でもズケズケ訊いてくるからさ」  躊躇いがちに話す陽咲の、気遣うような表情が、ドキッとするほど美しくて、なぜか無性に寂しくなった。 「ありがとう。後で話すね。ドロドロした話だからヒナちゃんの耳に入れたくないと思ってたけど、ヒナちゃんももう子供じゃないもんね」  ランドセルを背負って、親の愛情を求めていた少女は、思い出の中にしかいない。 「そうだよ。あたしもう大人だよ。でも、たまには甘えるからね」  甘えるの?と尋ねたら、ギュッと抱きついてきた。いつかこの子を思いっきり甘やかせてくれる誰かが現れることを、寂しさを押しこめて、願っている。  片付けを手伝うために習字部屋に行くと、洋服に着替えた叶多が、長机の前で腕組みをして何やら考えこんでいた。 「何してるの?」  声をかけると、驚かせてしまった。 「ごめん、邪魔しちゃった?」 「いや。ユメちゃんいいところに来た」  そう言って手招きしてくる。机の上に『優芽』と書かれた半紙が三枚並んでいるのが見えた。 「どうしたの?それ」  近くに行って覗きこむ。見惚れるくらい美しい字だ。 「あそこに貼ろうかと思って」  叶多が壁を指差す。その先には、叶多たち兄弟の名前が並んでいる。 「昔、ユメちゃんの名前も貼ってたでしょ?あれ、俺が剥がして捨てちゃって。本当に馬鹿なことしたと思ってる。でも、そうしないと俺、つらくてどうしようもなかったんだ。それで、新しく書いてみたんだけど」 「あ、そういう……」  急に胸がいっぱいになって、途中で言葉を切った。 「重いかな、こんなことしたら」  反応が薄いと思ったのか、叶多が不安そうにこちらを見上げてくる。首を横に振った。何度も振った。 「ううん、嬉しかったの。今ちょっと、泣きそうだった」  叶多と再会してこの部屋に来た時、名前がなくなっているのを見て、自分はもうよそ者なんだなと思った。あの時の胸の痛みが、今やっと癒されていく。 「本当?でも泣くのはやめてね。お父さんと約束してるし」  本気なのか冗談なのか、真面目な顔で言う。叶多の隣に座った。 「カナタくんは気づいてないだろうけどさ、」  彼に言いたいことがあった。 「わたし、ずっと引っかかってるんだよ。さっきもお父さんに、わたしを泣かさないように俺じゃない誰かに誓わせるって。俺じゃない誰かって、誰?わたし、カナタくん以外となんて、考えられないからね」  彼の肩に寄りかかって、反論の隙を与えずに続けた。 「カナタくんが、わたしに苦労させるかもしれないって心配してくれてるのも、この先何が起こるか分からないって不安に思ってるのも、分かってるよ。でも、信じて。この先もずっと幸せだって、信じてよ。信じないと、幸せじゃないでしょ」  私はずっと不幸だった。お父さんに大事に思われていないのではないかと疑っている間、不幸せだった。目に見えないものは、信じる方が幸せだ。 「それともカナタくんは、わたしが別の人と一緒になっても平気なのかな?」  黙ってしまった叶多に、最後は冗談にして言ったら、 「んなわけないだろ」 と、肩を抱き寄せられた。  反対側の手で、叶多の指がぎこちなく私の頬をなぞる。 「信じるよ。臆病でごめんね」  そう囁く叶多の瞳に捕らえられた。それは、言葉が要らないくらい、愛に溢れた眼差しで。まるで、世界に二人だけになったみたいに。 「ユメ、俺とずっとーー」 「あ!イチャイチャしてるー!」  幸多の声に、慌てて叶多から離れた。心臓が飛び出るかと思った。 「コウタ、俺たち今大事な話をーー」  叶多が幸多に回れ右をさせようとしているところに、呼び鈴が鳴った。 「あ!ピザ!」  幸多が玄関へすっ飛んでいく。私も立ち上がった。 「ごめん、続きはまた今度言わせて」  申し訳なさそうな顔をする叶多の肩を掴んで、思いっきり背伸びをした。少し屈んだ叶多に届いて、ほんの一瞬キスをした。 「待ってるね」  そう言ったら、叶多は弾かれたように何度も頷いた。  ピザを食べた後、兄弟たちは庭に出て花火を始めた。実采と幸多は大興奮で、火の付いた花火を振り回して陽咲に怒られている。  その様子を縁側に座って眺めていると、叶多がやってきて隣に座った。 「ユメちゃんはいいの?」 「うん。ちょっと疲れたし、ここで見てる方が楽しい」 「そうだね」  花火の勢いが急に激しくなって、キャハハと実采と幸多が同時に笑い声をあげる。 「アラタのことだけどさ、」  年相応に花火を楽しんでいる様子の新の方に目をやりながら、叶多が言った。 「今日来てた子ーーリサちゃんが、イジメに遭ってる子なんだってね」 「そうだったの?」  知らなかった。確かに、女の子のイジメだとは聞いていた。男の子に媚びているような態度が反感を買ってイジメに発展したようだと新は言った。本人にそのつもりは全くないのだとも。 「俺も初めて会った。アラタ、母さんたちが生きてた時はしょっちゅう友達をうちに連れてきてたのに、事故の後、パタっと連れてこなくなっちゃってさ。リサちゃんとはその頃に仲良くなったみたい。俺、あの頃余裕がなくて、そういうの全然、把握できてなかった」  後悔しているように、叶多が声を沈ませる。 「アラタ、何にもできなくてつらかっただろうな。きっとリサちゃんに励まされたこともあっただろうのに」  新の花火の火花の色が変わって、弟たちがまた楽しそうに笑っている。 「今度家に連れてこいって言ったんだ。まずは助けたいと思ってることを伝えてみようかって。あいつはちゃんとやった。だから今度は俺が、学校に相談に行くんだ」  叶多は決意の込もった声で、そう宣言した。 「アラタ、おいで」  新が花火をバケツに捨てたのを見て、叶多が手招きする。 「ここ座って」  叶多に促されて、新は素直に私たちの間に腰を下ろした。 「リサちゃん、可愛い子だな」  茶化したのではなく、印象を述べるように叶多が言った。 「別に、そういうのじゃないよ」  新が足をぶらぶらさせながら俯いて口を尖らせる。 「リサちゃん、何か言ってた?」  叶多に問われて、新はさらに俯いた。 「受験して違う中学行くし、無理しなくていいよって」  消え入りそうな声だ。 「そっか。じゃあまた何もしないで過ごすか?」  パッと兄を見上げた新のことを、叶多が優しい眼差しで受け止めた。 「諦めたくないんだろ、アラタ。じゃあ、諦めちゃダメだ」  新は答えず、再び自分の膝に目を落とした。 「俺、アラタに何にも諦めるなって言ったな。ごめんな、それは無理だよな。諦めなきゃいけないことって、多いよな」  叶多は空を見上げた。晴れた夜空に星が瞬いている。 「俺の話、聞いてくれるか?」  新がまた叶多の方をチラッと見た。 「聞いてるよ」 「はは、そうだな」  小さく笑って、叶多は話し始めた。 「俺、高校辞めて、働き始めてさ。正直、しんどいなって思うこともあった。高校辞めなくても何とか暮らしていけるだけのお金はあったからさ。けど、そうしてたらアラタたちは叔母さんの家か施設に預けなきゃいけなかったと思う。高校も遠かったしな。  俺は、兄弟で過ごす時間とか、みんなが不自由なく暮らすことを、どうしても諦めたくなかった。だから、それを諦めない代わりに、高校に行くのを諦めたんだよ。だって、全部を諦めないのは無理だもんな」  膝に目を落としたまま、新は黙って聞いている。 「自分のことを諦めれば、アラタたちを守れるって、俺、本気で信じてた。そのせいでアラタたちのことを余計苦しめてるってことが、分からなかったんだ」  ごめんな、と叶多が再び謝る。 「しょうがないよ。兄ちゃん、必死だったから」  ぼそっと新が呟いた。あまりにも小さな声で、背の高い叶多の耳には届かなかったようだ。たまらなくなってその背中に手を当てたら、新は小さく肩をすくませた。 「今はもう自分のことも諦めてないよ。ユメちゃんがいてくれて幸せだしさ。大学に行くのだって諦めてないからな。最近、数学の勉強してるんだ。大学行って勉強するのも面白そうだなって思ってるよ。そういう仕事に就くのもね。それだけじゃない。書道も好きだから、その道を極めて習字の先生をやるのも楽しそうだなとも思ってる。色々やってるうちに、他にもやりたいことが出てくるかもしれないな。アラタに新しい世界を見せてもらうのも楽しみだよ」  叶多にならって私も空を仰いだ。そうしないと涙がこぼれそうだった。叶多が自分の将来について前向きに語るのを初めて耳にして。 「だからな、アラタ。何も諦めるなとは言わないけど、俺はアラタに何でもかんでも諦めるような人にはなってほしくない。どうせ無理だからとか、迷惑かけるからとか、諦める理由なんてたくさんあるけど、諦めたくないことはしっかり持っておくんだ。俺が、俺だけじゃない、この家のみんながアラタを応援してるんだから、諦めたくないことはもう、諦めちゃダメだよ」  滲んだ星空を見上げて、ゆっくりと時が流れるのを感じた。火花が噴出する音ともに、再び実采と幸多の笑い声が響き渡った。 「リサちゃんのこと、助けたい」  心細そうな声で、新が呟いた。 「大事な友達なんだ。向こうはそう思ってないかもしれないけど……」  そこで途切れて、また少しの時間が流れた後、叶多が勢いよく立ち上がった。と思ったら、新のことを軽々と抱き上げた。 「わっ」と新が声をあげる。 「重くなったな、お前」 「あ!アラタ兄ちゃんが抱っこされてるー!」  幸多たちが花火を持ったままこちらに来ようとして、陽咲に止められている。 「降ろしてよ」  新が恥ずかしがるのも構わず、叶多は新を深く抱きしめた。 「俺に任しとけ。おっきくなったつもりでいるかもしんないけど、まだこんな簡単に抱っこできるんだからな」  私と目が合って、嬉しそうに笑いかけてくる。 「分かったから、もう降ろして」 「もうちょっといいだろ。久しぶりなんだから」 「嫌だ。姉ちゃん、助けて」  陽咲は、助けを求める弟を一瞥して、「無理」と一蹴した。口元が笑っている。新に暴れられて、叶多が渋々降ろした。 「最悪。もう」  簡潔な捨て台詞を吐いて、新は花火の方に行ってしまった。 「寂しいな。もう」  分かりやすくしょんぼりしながら、叶多は再び私の隣に座った。 「ミコトとコウタもそのうち抱っこさせてくれなくなるんだろうな」  ますます落ちこんでいる。半分本気だろう。 「いつか、別の子を抱っこすることになるかもよ」  口に出してしまってから、顔が熱くなった。  でも、叶多の反応がなくて、聞こえなかったかなと安心していると、急に横でガバっと立ち上がった。立ったり座ったり忙しい人だ。 「絶対」  私に背を向けたまま叶多が呟く。 「あいつらには抱っこさせてやらないからな」  そう言い残して、妹弟たちの方へ大股で歩いていった。 「俺にも花火ちょうだい」  再び兄弟五人で花火に興じている。  今はただ、彼らのことを、いつまでもいつまでも見つめていたいと思った。                      完
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