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 真紀は動揺して、その場で硬直した。相川の娘だという女の子は、長い髪を左右の高い位置で結んでいて、髪ゴムについた丸い飾りがカチャカチャと音をたてていた。よく見ると、黒目がちな目が相川によく似ている。本当に親子なのだ。 結婚して子供がいる。ショックで腰が抜けそうになる。真紀の人生はあの放課後から止まっているのに、相川の人生は順調に進んでいた。マスターに照れた表情を見せ、テーブル席に娘を導く相川の姿は、父親そのもので、本当にあの相川なのか疑うほど穏やかだった。 進まないんじゃない、あの時は私は死んだも同然なのだ。娘を見て、真紀は思った。通信制の高校に転校したいと伝えた時、父は動揺を見せたものの、ワケを追求してくることはなかった。その後も真紀が生活していくための金銭的援助は惜しまなかったが、精神的なケアはなかった。 マスターに促されて、二人分のお冷を作り持っていく。動揺のあまり、毒を混ぜるのを忘れて、そのまま出してしまった。 「いつものブレンドと、オレンジジュースください」  相川がはにかんで注文してきた。そこでハッとする。娘がいることで、相川はカウンター席ではなくテーブル席へついた。つまりコーヒーを出すのは自分の可能性が高い。水よりコーヒーに混ぜた方がバレにくいだろう。  予想通り、マスターはオレンジジュースとコーヒーが乗ったお盆を真紀に託した。真紀は親子が待つテーブルからもマスターからも死角の席に引っ込み、素早くコーヒーに毒を入れた。真っ白な毒物は、コーヒーの黒の中に簡単に溶けていき、見た目からは何も変化がわからない。真紀は平静を保ちながら、テーブル席へ毒入りコーヒーとオレンジジュースを運んだ。  娘は目の前に置かれたオレンジジュースに大はしゃぎだ。それから、相川のコーヒーを覗き込み、あろうことか「飲んでみたい」と言い出した。真紀は息を呑んで娘の顔を凝視する。 「ええ?のぞみはオレンジジュースがあるだろう」 「パパのも飲んでみたい。ジュース一口あげるから、パパのもちょうだい!」 「うーん、そこまで言うならちょっとだけ――」 「ダメ!!」  真紀は二人の間に割り込み、毒入りコーヒーが入ったカップを取り上げた。親子のそっくりな目が同時にこちらを向く。真紀は続く言葉が見つからず、カップを持ち上げたまま二人の顔を交互に見る。 「パパ・・」  真紀の必死の形相が恐いのか、娘が不安げに相川の服の裾をつかんだ。真紀が殺すと決めた男を、父親として自然と頼っているのだ。そして、相川もそんな娘の期待に応えるように、小さな手を包み込むように握った。  落ち着けと、心の中で叫ぶ。落ち着いて、失礼しましたと言ってカップをテーブルに戻すんだ。しかし、思う反面、身体は動かなかった。カップを持ち上げた姿勢のまま死んでしまったかのように、身体が動かない。  相川が目の前で死んだら、この娘は何を思うだろう。悪魔だと思っていた人間が、親になっていた。過去に固執して生きる真紀を置いて、悪魔から父親になっていた。 「あの、どうしたんですか?」  相川が真紀の顔を覗き込むように身を乗り出す。今、毒を飲むべきなのは誰だろう?   動かないと思っていた身体が不意に動いた。真紀は片手でカップを持ち、空いた手でマスクを外した。その瞬間、相川が短く息を呑んだ気がする。真紀は目を閉じて、迷わずカップに注がれた毒入りのコーヒーを飲みこんだ。 終
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