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ナイフを持った右手を軽く突き出し、左足を後ろに引き、半身に構える。
足元が滑るに任せて、じわりと距離を詰める。
スーツ男は再び短剣を振り上げる。
そうだ、この男は刺突よりも斬撃を好む。リーチの差が生きるからだろうが、得物の長さだけで勝敗が決まるわけではない。
啓吾は息を止め、相手の刃の動きに集中した。
トリッキーな曲線を描いて振り下ろされた短剣は、啓吾の左側面から襲ってくる。
啓吾は防御を選ばなかった。右足を引きながらナイフを外に振り払った。血しぶきが飛んだ。狙ったのは手首。ナイフは浅く前腕側面を切り裂いた。
敵が怯んだのがわかる。その瞬間を啓吾は逃さなかった。下げた右足で大きく踏み込み、鳩尾を狙ってナイフを突き出した。
すり鉢状の地形。常に変化する間合い。それを読み切ったこちらの勝ちだ。エナメルの刃が腹筋を突き破り、熱い血しぶきが啓吾のパーカーを濡らす。このまま、犬を殺すときのように刃を下に切り下げればそれで終わり、そう確信したときだった。
右脇腹に鋭い痛みが走った。
ありえないことだった。敵は武器を持たないはずの左手で攻撃してきたのだ。
だが、ここで迷えば死ぬ。それはわかった。
右脇腹の出血を放置し、啓吾は敵の内臓を切り裂いた。
どばどばと、白いものに覆われた地面の上に血が流れ落ちた。
敵を蹴り倒し、啓吾は距離をとった。
はじめて右脇腹を見た。
事務用品としか思えないカッターナイフが、そこから生えたように刺さっていた。慎重に引き抜き、捨てた。
めまいのような感覚に襲われ、啓吾は片膝をついた。
脇腹の傷のためではない。今までずっと、息を止めていたせいだ。
ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しながら、仰向けに倒れ、ピクピクと痙攣する男を見る。血は流れ続け、すり鉢の底に吸い込まれていく。
「とどめが、必要なのか」
エナメルのナイフに尋ねる。人形めいた声が答えた。
「いいえ、ここからは私達の仕事です」
「私達?」
声は答えなかった。
前触れもなく、想像だにしなかったことが始まった。
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