第7章 彼と彼女の現在

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第7章 彼と彼女の現在

電話越しに一気に洪水みたいに言葉を浴びせかけられたら誰だってそれがおさまるまで返事なんかできるわけない。断じてわたしがその名を耳にして頭が真っ白、ぽかんとなって声を失ったからってことじゃない。 なのに母はまるでこっちがパニックに陥ってる扱いで声を落として、いい?落ち着いて聞いてね、と慎重に切り出したが。程なくして彼女も大して詳しい情報は得ていない、という事実が判明した。 『どういう経緯で失踪したのかって?事故とか事件の可能性が高いのか、それとも本人の意思で行方をくらましたのか。…さあ、わかんない。そういう話は全然出なかったよ。とにかくいろんな人に話聞いて回ってるんだって。羽有ちゃんに直接連絡取りたいから、電話番号かメルアド教えてもらってもいいかって。どうする?教えちゃっても別に大丈夫?』 身許のちゃんとした自分のよく知ってる人が相手なのに、勝手に連絡先を教えたりせずにまずわたしの意思を確認するあたり、我が親ながらまともな判断でありがたい。 とはいえ大切な息子の居所が不明でいても立ってもいられないであろう状態の奥山くんのお母さんに自分の連絡先を知られたくない、ってほどの問題なんかあるわけない。わたしは母に彼女の番号を尋ねて、まずはこちらから連絡を入れてみることにした。 『…羽有ちゃん?まあ、大人っぽい声になって。本当にお久しぶり。昔はあんなにちっちゃかったのにねぇ…』 電話に出た相手にまずはフルネームで名乗る。その人はこんな場合だというのにどこか懐かしそうな、昔に思いを馳せるような感慨深げな声で応えた。 『こっちも細かいことまでは教えてもらってないんだけど。確か高校のときは離れていても羽有ちゃんとは連絡取ってるって聞いてたから…。最近はどうかしら。あの子、向こうに行って以来。羽有ちゃんに何か言ってきたことある?』 「いえそれが。…卒業して留学されて、最初の頃は。お互い何回かは近況報告なんかもしていたんですけど」 東京での暮らしはどう?大学は楽しい?とか向こうからLINEが来れば、すごく快適だよとかそれなりに上手くやってる方だと思う、くらいの返信はしてたし。そのついでに奥山くんの方はどんな様子?言葉とか大変?程度の当たり障りない質問もした。それぞれ環境が変わって間もない頃だからまだ何とも判断のついてない部分もあり。そんなに弱音を吐くほどの重々しい愚痴も出てこなかった気がする。 そのうち次第に彼から送られてくるメッセージも間遠になり、かといってこちらから連絡するほど何か言いたいことや知らせたい話もなく。 向こうも今の環境が日常で平時になったら特に伝えたいこともなくなって慌ただしさに紛れているんだろうな。と納得して、音沙汰のないことを気にかけてもいなかった。奥山くんに限らず以前の知り合いとはみんなそんな感じだし。だりあとか、越智なんかとも。 「向こうに行って最初の頃は普通に元気な様子でしたし。そのあと気がつくともう長いこと連絡取り合ってないなってなったんですが。便りがないのはよい便りかなって解釈してて。自分がそうだから…」 『そう…』 平静を保とうとしてるけどがっかりが抑えきれず滲んでる。 この様子だと事故とか事件に巻き込まれた、とは少なくともお母さんは考えていなさそうだ。本人の意思で身を隠したって、根拠があるのかもしれないが(例えば、書き置きが残されていたとか。消える前に何らかのメッセージが両親に送られたか)そう想定してるってことだろう。だからって身の危険が迫ってないとも限らない。失踪したときの彼の心身の状態にもよるし。 わたしに何か事前に相談してるかも、と一縷の望みを抱いてたのかと思うと申し訳ない気持ちにはなるが。ほんとに何も知らないしヒントになるような事実もひとつも思い浮かばない、残念ながら。 しかし彼女は沈痛な様子でじっとそのまま思いに沈んでいるようだ。お力になれずすみません、とさっさと通話を切るって流れでもないみたい。電話のこっちと向こうで黙り込んでても仕方ないので、わたしは何の助けになれるとも思えないながら念のため口を切って尋ねてみた。 「あの、地元での知り合いには尋ねてみたんですか。奥山くんは中学での友達も多かったし。何か知ってる子がもしかしたらいるかも」 昔、お祭りの縁日で出くわしたときも大人数でわいわい賑やかにしてたし。わたしと違っていつも誰か友達と連れ立ってたって印象がある。 知り合いのいない海外で一人、日本語も通じない状況で音楽の道を進む辛さもわたしみたいな共感性に欠ける奴には張り合いなくて打ち明けられないだろうけど。あの中のうちの誰かには密かに愚痴もこぼして相談に乗ってもらってるかもしれない。 音楽って共通の世界にいるから高校時代の友達の方が話しやすかったとは限らない。むしろ同じ競争の場に立ってる相手だからこそ。弱みを見せづらいってこともあるかもだし、違うステージにいる何も知らない昔の友達を相談相手に選ぶのはないとは言えない。それが結果的にわたしじゃなかったのは彼のお母さんにも申し訳ないが。
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