第7章 彼と彼女の現在

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特に意図して距離を置いてたわけじゃないけど、地元の友達に接触するのは久しぶりだったから。俺が依頼のLINEを送ったうちの何人かは折り返しに電話をかけてきて、互いに近況を報告し合ったり雑談を交わした。 そのうちの一人が意味ありげにふと声を翳らせてしみじみ切り出した話題が地獄の始まりだった。 『だけどさぁ。お前は偉いよ、今になって改めて考えると。ちゃんと努力して勉強して◯◯高校行って、空手もめちゃくちゃ頑張って推薦とって東京の大学まで進んでさぁ…。小学校の頃は俺と大して変わんない出来だったのに、ずいぶん立場違っちゃったもんな。あの頃は勇気が進学校?何言ってんだこのアホ、と思ってたけどさぁ。身の程も弁えずにって』 「思ってたのかよ」 軽口を叩きながら少し気分が軽くなる。こいつは地元に残って阪口の親父の経営してる土建屋の下請けの会社に就職して、それなりにしっかり給料ももらえてるようだし。俺とどっちが幸せか不幸かなんて、もっとずっと後にならなきゃわからないしそもそも較べようがない。 それでももしかしたらこいつの現在が、あの町から出る機会を逸してそのまま二十歳になるまでずっと地元で暮らしてる、そしてさらに死ぬまで一生あそこに住み続けるかもしれなかった俺自身のifなんだ、って思うと。改めて今の自分の恵まれようが身に沁みる。 本人が言ってるようにもともとはこいつと出来不出来の差はほとんどなかったんだ。空手の道場にも小学校の途中まで一緒に通ってたし。 もちろんこいつはこいつで自然いっぱいの生まれた土地で家族の近くに住んで、安定した仕事もあって多分遠からず早めに大人しめの気立てのいい嫁さんとかもらって。将来どうなるかわからない先行き不明の俺なんかより誰が見ても羨む、普通に幸せそうな人生送るかもしれないよな。でも、そうだとしても。 俺はあのときどうしてか自分にも出来る!と信じて腹を据えて、めちゃくちゃ頑張ってよかったと思う。あの町の外の空気に触れて、外の世界がどんな風なのかを身をもって知れて。今どんなに迷って沈んでいたとしても、後悔はない。 こんな形で密かに心の中で浮上してるの、結構俺って性格悪いな。でも感じちゃったものは仕方ない。内心の思いを表に出さないようきっちり封じ込めて、察知されないよう気を配れば。それに別に、こいつの人生を否定してるわけじゃない。俺は留まることに耐えられなかった、だから出られるよう必死で努力した。それだけ。 電話越しにこんな風にしんみり嘆息してみせても、こいつ本人はまあそれなりに今の自分の暮らしに満足してるんだろう。と思ったから特に気にとめなかった。だけどそいつは、深い意味もなく流れで軽口を叩いただけにしては。何だかまだ何か言いたげだ。 『いや、さぁ。あの頃はまだガキだったから。よくわかってなかったんだよ。この土地で大人になって一生暮らすってどういうことかって…。マジ出られるチャンスがあるならそこに賭けて、死に物狂いで頑張るのが賢いやり方だって今はわかるわ。お前は上手いことした』 「…うん?」 なんか改まって言い出した。よくはわからんけど。大人になってみて改めて何かが見えてきた、って話か。…なんか、闇の気配。 奴は身近な周りの人には吐き出せなかった重いものを胸のうちにもやもやと溜めてたのかもしれない。話の切れ目で軽くひと息ついたあと、ふと心を決めたように口早になって一気にべらべらと喋り始めた。 『俺はまあ、彼女もいてここで仕事もあって、このまま結婚して所帯持てればひとまず自分の代はもう勝ち逃げで安心だけど。でも、のちのちこういうちょっと独特に閉鎖的な環境で子ども作って育てて、そんでその子が大きくなった将来一体どうなるのかな、ちゃんと無事に安全でいられるのかなって考えたらさ…。運が悪いと悲惨だよな。特に女の子は、さ』 「何だよやばそうだな。何の話してんの?」 嫌な話出てきそう。 内心あまり知りたくなくてどん引きだけど、いや俺もうあの町に住んではいないし。将来もできたら戻らないで東京で所帯持って、子どもだってこっちで育てるつもりだ。 だから俺には関係ない。地元に残してきた女のきょうだいもいないし。だけど何で女限定の話なんだ。男は大変、ならわかるけど。 強さやスペックでマウント取られるみたいな苦労の話じゃないのか。容姿でランク付けされるとか、給料安い補佐みたいな事務がよくてせいぜい、あとは保育士かサービス業みたいな低賃金の仕事しかなくてとても自立できない。…とかならわかる、けど。 それを『悲惨』って表現するかな。もっと嫌な、生々しい話になりそうな空気。 …中学の先輩たちが面白おかしく話してた、高校生のヤンキーの卒業生から聞いた『女の子をやっちゃった』系のあれこれ。その子たちにも親やきょうだいがいるんだろうに、と胸が悪くなる思いがしたもんだ。多分ああいう感じの話題になるんだろうな。 あのとき目を輝かせて嬉しそうに聴き入ってた同級生の連中にも正直どん引きだった。
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