第8章 あの人の最高の玩具

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第8章 あの人の最高の玩具

『…越智。越智?』 多分何度も電話の向こうで俺の名前は呼ばれてたんだろう。天ヶ原の強めの声の呼びかけで俺はようやく我に返った。 『何となく話は伝わった。今の時点でそれ以上詳しく説明する必要はない。…しっかりして、頭を冷やして。ここであんたが挫けて固まっててもどうしようもない。とにかくわたしたちに今できることを考えよう』 「…できること。なんて」 俺は脳全体が痺れたような感覚を味わいながら、ぼんやりと投げやりに呟いた。 もう遅い。彼女は寄ってたかって汚されてしまった。 俺が中学時代や当時の知り合いに風の噂で聞いたような、ヤンキーたちの鬼畜の所業より尚ひどい。一度や二度じゃない。しかも信頼を寄せてた彼氏の手引きで、知り合いの連中に…。一人二人じゃなく、複数で。 そんな目に遭わされて、もうあの子の心と人格は壊れてしまったんじゃないだろうか。守ってくれる安心な人物と思い込んで何年も心を寄せていたのに。…もう飽きたから、なんて理由で。お前たちで好きに遊んでいいよと雑に払い下げるなんて。 心のある、一人の人間だぞ。どうしてそんな仕打ちができるんだ。 俺は無意識にそんなことをぼそぼそと実際に口にしていたのかもしれない。情けない、心の折れた呟きに少し苛立ったのか。電話越しに天ヶ原が微かに舌打ちする音が聞こえた。 『別にまだ遅くなんかない。…いいから。ちょっと一旦落ち着いて。考えて、越智』 弱りかけた俺に鞭を入れるようにさらに声を強める。ぴしゃり、と冷や水を頭からかけられた感じがした。 『生命があるんだから。もう遅いとか取り返しがつかないとかあり得ない。何が取り返しがつかないの?だりあが誰に何をされたとしても、それはした方の問題でしょ。あの子は何も悪くない。そこから抜け出して回復していつか将来元通り元気になったとして、何が悪いの?』 「悪くなんかないよ。悪いわけない」 そういうことじゃなくて。と説明しようと頭を整理しかけて口を閉じた。 そうなのかな。性的に普通あり得ないくらい酷い目に遭わされた女の子は壊れてしまって元に戻らないに違いない、って偏見が俺にもあるのかも。 集団で押さえつけられて何度も暴行されて、その様子を撮られて拡散される。そんな被害に遭ったあと、当の女の子はその後どうなるんだろう。頭がおかしくなって自害する?この世から音もなく静かに消えていく?完全に精神が壊れて病院で一生を終えるんだろうか。 物語的にはそういう結末もあるだろう。だけど、現実の中では。 きっとそういう惨い目に遭った人でも、いっぱい時間をかけて根気強く少しずつ心と身体の傷を癒やして。周りの人たちに支えられていつかは何とか立ち直るんじゃないのかな。 被害に遭ったその時点で死ぬまで時間が止まるわけじゃない。何があったって、起きた事実と折り合って生きていかなきゃならない。存在ごと消えてなくなったりはしないんだ。何も終わりになんかならない。 木村の人生だって。このあとも何年もずっと、続いていくんだから。 「…俺たちに。何ができる?」 のろのろと口を開くとしゃがれた変な声が出た。自分の口から出たとも思えない。 こんな話を耳にした後でも平然と理性的なその声が少し憎らしい。けど、もしも相方がそういう奴じゃないと。 ここでただいつまでも二人で動揺しておろおろしてるだけで、何をどうしていいかわからない。動き出せないまま時間だけが虚しく過ぎていくんだろうな。とすかすかの頭の片隅でちょっとだけ考えた。 『まず何より、本人に直接話を聞かなきゃ。顔見てどれだけダメージを受けてるかこの目で確認したい。切羽詰まった状態なら有無を言わさず一刻も早くあの土地から離さなきゃいけないし。でも、それも本人の意思に反してはできない。ちゃんと向き合って説得する必要がある』 「何でだよ。もう無理やりにでも強制的に引き離すべきだろ」 頼まれもしないのに傍から勝手に介入するんなら、中途半端なことしても仕方ない。誰に恨まれても悪者にされてもいいから、とにかく木村の身の安全を優先すべきだ。あえて正面から説得してる猶予があるとは思えない。 意気消沈から一転、頭に血が昇って激昂しかける俺にまるで変わらないトーンのまま天ヶ原は静かに語りかける。 『気持ちはわかるよ。でも、これはわたしたちの問題じゃない。当の本人が自分の置かれてる状態を理解してるか、そこから抜けたいと本心から願ってるか。…あの子だって何もわからない赤ん坊じゃないんだよ』 何となく、その声の調子につられて自然とこっちの沸騰した脳味噌も鎮まってきた。一拍置いてゆっくりと、天ヶ原の言いたい内容が頭に沁みてくる。 『常に受け身で流されるままじゃ、今回はわたしたちが強引に阪口から引き剥がしたとしても。次はまたわたしたちの目の届かないとこで同じようなこと繰り返すかも。一生そうやって、一方的に救い出したり救い出されたり、続けてくわけにいかないでしょ。どうしてそこから逃げる必要があるのか、本人がしっかり納得してないと駄目だと思う。…それで、あの。ちょっと心配なんだけど』 ふと思い当たった様子で声を改めた。
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