第8章 あの人の最高の玩具

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『あんたさ。もし万が一、だりあがわたしたちの説得に反駁して、一緒に逃げ出すことを拒んであの男の側に残るとか言い張ったり。彼は本当はいい人なんだ、わたしのことを思ってるんだとか言って庇い立てたりしてもあからさまにがっかりしたり、失望してあの子を見放そうとしたりすんじゃないよ』 「そんなこと」 するわけない。と言いかけて言葉を失った。 それは、俺が木村に失望したり見捨てたりしないって意味?それとも彼女がそんな酷い仕打ちを自分にした男を庇うわけなんてないじゃないか、っていう。…願望? 頭がぐるぐるして黙り込む俺に構わず、天ヶ原原つけつけと言いたいことを遠慮なく言い放つ。 『むしろそのくらいは当たり前だと覚悟しといて。あんな酷いことされててもまだ好きなのかとか、本人も実は望んでされるがままになってるんじゃないか?とかいちいち反転アンチになるなよ。そういうもんだってこっちは軽く流さないと。同じ土俵に載ったら負けだよ』 「あいつを庇い立てしたり、なんか。…するかなぁ?」 普通なら友達集めてこいつを好きにしろ、みたいに扱われて。それでも尚彼氏の自分への愛情を信じるなんて、普通の人間の精神じゃとてもできそうもないように思える。 天ヶ原は素っ気なく俺の疑問を切って捨てた。 『知らん。もしかしたらもう既に憎悪でいっぱいで、あいつらみんなぶち殺してやりたいくらいに思ってる最中かもね。でも、物理的に逃げられないよう何かの手を打たれてる可能性もあるけど。自分の意思でただそこに留まってる状態なのかもしれない』 「まあ。…仕事にも行ってるんだろうし。四六時中誰かにずっと見張られてるってこともないだろうから」 檻に入れられたり鎖で繋がれたりしてるとも考えにくい。それじゃもう完全に監禁陵辱事件、警察案件だ。 『写真を撮られてるってことだから、それで脅されて動けないのかもしれないけど。縛られてもいないのに逃げ出せないって事態そのものが精神を蝕むはずだから、無理やり思考を捻じ曲げてこれは大したことじゃないんだ、って自分に必死に言い聞かせて信じ込ませてる可能性も高いと思う。自分もこれが好きなんだとか彼のために身を捧げてあえて犠牲を引き受けてるんだ、自分で選択してやってるんだとか』 そこでふと声の調子が変わって、珍しくどこか優しさが滲んだように感じた。 『…そんな風に噛みつかれたとしても。あの子を軽蔑したり嫌いになったりしたら駄目だよ。てか、そんな中途半端な気持ちなら。あんたはもう今のうちに手を引きな』 「そんな。…嫌いになったりしないよ。木村はどう考えても、被害者なのに」 慌ててむきになって言い返すと、天ヶ原はあっさり軽く俺の反論を片付けた。 『どうかね。世間じゃ単に被害者だからって理由でヘイト向ける奴も結構いるように思うけど…。まあ、それは冗談として』 冗談?お前がか。 事態はまだ何も好転してないが、こうやっていつもの調子でぽんぽんやり取りしてるだけで少しずつ頭が冷静さを取り戻してきた。そうだな、どう考えても今の木村が理性できちんとものを考えられるフラットな状態なわけはない。 いろいろ力尽くで事実を曲げて、何とか心身を適応させてぎりぎりで精神を保ってるに違いないんだ。言うことをいちいち真に受けて、反論したり言い負かしたりしてる場合じゃないだろう。 『ちゃんとこれこれこういうわけだから、あんたはここを離れてしばらく彼氏と距離を置くべきだ。その間わたしたちがそばについてるからってきちんと理解させた方がいい。…ついてはまず、地元になる早で帰る必要があるね。越智、いつなら都合つけられる?』 「…とにかくお前も来い、って言うから。素直にこうやってついて来ちゃったけどさ」 翌日には早くも俺たちは出身地の町へと向かう路上をひた走っていた。俺が大学の友達から上手いこと借りた少し古めの軽自動車に乗って。 こういうちょっとした人望とちょこまかした要領のよさはあるんだけどな、俺。だけど実際の思いきりの良さと決断力、実行力はやはりこいつには敵わない。と内心の忸怩たる思いはおくびにも出さず、ハンドルを握って前方に視線を向けたままで助手席の天ヶ原にずっと引っかかってたことを尋ねる。 「最初に木村と会って話すとき。…その、かなりデリケートなことを。問いたださなきゃいけないだろ?そんな話、お前はともかく。俺みたいな彼女にとって友達とも言えない赤の他人の男がいる場で。木村が正直に打ち明けられると思うか?」 「うん、だから。まずはわたしが一人であの子に会いに行くよ。わたしがだりあと話してる間、越智には別のことを頼みたい」 そうだよな。阪口の友達連中の相手させられてるって本当?とか尋ねられてるその場に。そいつらと大して変わらなさそうな、もしかしたらその中の誰かに通じてる仲間かもしれない男がいて(あるいはそれなら俺も…とか内心で考えて、おこぼれに預かろうとして阪口に彼女が逃げようとしてることを注進して媚を売るかもしれない)、その面前で実際されてることの具体的な説明ができるかというと。…絶対無理だよな、そりゃ。
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