第7章 彼と彼女の現在

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ずいぶん前、中学時代に卒業後の進路の話をしていたとき。木村が無邪気な声であたしは◯◯みたいな進学校は行かない、お嫁の貰い手がなくなっちゃうもん。と平然と言ってのけたのは、きっと親とかがそういう感覚の持ち主だったんだろうなと推察できる。 どういう家庭かは知らないけど、この土地にそういう風潮があることは何となく知っていて。容姿が目立ち過ぎるこの子はとにかく早くきちんとした男性と結婚させて、余計な人目を惹く前に無事に危険をやり過ごさせようと幼い頃から刷り込んであったのかもしれない。他にここから出て自由になれる方法なんて。例え遠回りだとしてもいくらでも探せばあるっていうのに。 だけど、本人がどうしてもこの土地を出て行きたいっていうほどの強烈な野心がないっていうなら。いっそこの町での一番の有力者の傘下に入って、その手で守られて生きるのが最善の解決法かもしれないな、といつしか俺は考えるようになっていった。 結局高校を卒業するまで、阪口と木村は公認のカップルであり続けた。可愛い子とみると片っ端から声をかけてものにしようとする、と過去に囁かれてた評判からすると想像を超えて一人の女に忠実だったと言える。 裏で何してたかまではわからないが、木村を自分の彼女としてずっと遇し続けて卒業後もそばに置くつもりなことは確かだ。自分の父親が経営する系列の会社にコネで彼女を腰掛けに入社させて、自身は本体の土建屋で跡継ぎとして研鑽を積む。それって将来的にはそのまま結婚して家に迎え入れること前提な話に思える。おそらくそれが木村にとっても一番安泰な未来なんだろう。 そう考えたらさすがに俺も未練がましい思いに見切りをつける気になって、きっぱり心残りを断って東京の大学へと進んだ。木村みたいなおっとりした子には騒がしい都会の水は合わない。地元で穏やかに好きな相手と歳を取っていければ。それに越したことはない。 そうやって次第に木村のこと、ひいては地元のことを考えることもなくなって。こっちでの平和な日々を送ってる俺に久しぶりの小波をもたらしたのは、珍しい天ヶ原からのいきなりのLINEだった。 …そう、最初はほんとに小さく微かな波だったんだ。奥山がパリの留学先から行方をくらまそうがどうしようが、俺には関心はほとんどなかった。 大学入学後すぐの頃は順調に伸びていた空手の実力も、二年になった今はやや成長に翳りが見え始めていた。 一年のときは日本代表にも選抜されて調子もピークだった。だけど二年になってすぐのセレクションでは健闘虚しく選抜に漏れた。いいときも悪いときもあるよ、休んで力を蓄えられるいいチャンスだと思って前向きに捉えよう。と空手部のコーチや仲間たちは慰めてくれたけど。笑って同調しながらもその結果にはやっぱり腹の底ではずんと重くこたえた。 大学入学以来わけもなく調子がよかったから、それまでは勢い任せで何とか結果も出ていた。スランプに陥りそうな今、しっかり考えて対策も練って自分の殻を破らなきゃならない。 そんな矢先に今一番話す気になれないやつと…。天ヶ原は何も悪くないけど。まだめちゃくちゃ強いときにさっさと一線から退いて、堕ちた無惨な姿を一度も晒さずに勝ち逃げした同期の門下生。 タイミング的に何となく微妙な思いでもやもやする俺の気持ちはお分かりいただけただろうか。 あとからよく考えてみれば、電話越しにその口から出てきた奥山の窮状はひとつ間違えば自分のものでもおかしくない。そこまでは大袈裟でも、空手一本、ピアノオンリーに学生生活の全てを懸けてるもの同士そのプレッシャーに耐えかねた思いに共感するのが自然だったのかもしれないが。 その話を持ってきたのがやけに淡々と何の感情も込めない冷静な口調のあいつだったから。他人の心配する余裕があるなんて、さぞのんびりと大学生活楽しんでんだろ。と一瞬反撥する気持ちが湧いてしまった。繰り返すが、天ヶ原は何ひとつ悪くないのに。 だけど大学に進んでいろんな人と接することで多少は成長したのか。自分は地元で連絡取り合う知り合いがいないから他に頼る相手がいない、としおらしく頭を下げてくる(電話だけど。雰囲気)態度にころっと気分を和らげて、仕方ないなぁ大した結果が出なくても責任取らないぞ。とか言って安請け合いしてしまった。我ながら実にちょろい。 まあ、奥山と俺は保育園から中学まで一緒だったとはいえまるで共通点がなくて全く仲良かったことがないから。あいつならどうかな、って比較的奥山といることが多かったやつを数人脳内でピックアップしてそこになるべく近そうな知り合いにLINEを送るくらいしかできることもない。 奥山と今でも連絡取り合ってるか、最近何かメッセージ受け取ったか。わかることあったら教えてって訊いといて。と適当に10人前後に依頼する。間に入ってくれた奴らは10人が10人、例外なくそれならまず天ヶ原に訊いてみればいんじゃね?と突っ込んできた。だから、そいつ本人が依頼人なんだよ。
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