1,お姫様の許嫁

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1,お姫様の許嫁

 ホルシード大陸の南に位置するザイラルは、英雄と語り継がれる剣王コーマックが、自らの忠臣を伴って起こした国であり、強力な軍事力を有する武を誇る国である。  そしてザイラルの東。広大な土地に多くの商業都市を抱え、ホルシードが誇る貿易国家であり、大空を飛ぶ飛翔艇(ひしょうてい)の開発、運用で空路を制する国アルスタン。  ザイラルとアルスタンの両国は、長い歴史の中で強固な繋がりを持つ同盟国である。  賢人の月(けんじんのつき)、十三日。  アルスタンの王都パルミリア。  ぶつかり合う金属音や、所々で溶接の火花が散る、多くの飛翔艇が居並ぶハンガーで、一隻の飛翔艇に近付くように、場にそぐわないブーツの踵を鳴らす音が響く。 「お迎えに参りましたよ姫。また飛翔艇整備の真似事かい」 「真似事じゃなく整備よ、ジュリアス。あなたが来るのは明日じゃなかった?」  聞き覚えのある声に、ゴーグルを外しながら振り返ると、フィンレーは整備技師が着るつなぎの作業着姿で梯子を降りて、オイルが付着した手袋をガサツに手から外す。 「またそんな格好をして。お前は夢中になると時間を忘れてしまうから心配だよ」  フィンレーの頬についたオイルの汚れを指で拭うと、ジュリアスと呼ばれた青年はにっこりと、けれど困ったような笑顔を浮かべている。  一般的な成人男性と同じ目線ほどの背丈があるのは、フィンレーのコンプレックスであるが、頭ひとつ分背の高いジュリアスが隣に立つとそれを感じずに済む。  光の反射で青が浮かぶ銀の髪は、襟足から耳元までが短く刈られ、左右非対称に整えられた短い髪を左に流し、隙間から彫刻のように整った美麗な顔立ちが覗いている。  漆黒の軍服の左肩から胸元に、銀糸と紅蓮の刺繍が施されたそれは、英雄王コーマックを祖とするザイラルの正装であり、フィンレーも幼い頃からよく見て来た衣装だ。 「心配なんかしてないでしょ。そもそも許嫁なんて、古臭い風習よね」  気持ちとは裏腹に目の前の美丈夫にそう吐き捨てると、フィンレーはオイルが滲みた爪先をグッと握り、ジュリアスが向ける好意は決して愛情ではないと言い聞かせる。 「まあ確かに、先進的な風習ではないね」  清々しい顔であっさりと肯定されて、フィンレーはいよいよ惨めな気持ちになる。  そもそも王女でありながら、破天荒で機械弄りが大好きな変わり者のフィンレーに対し、同盟国の同じく王子であり剣王コーマックの再来とも謳われるジュリアス。  国同士が決めた許嫁でなければ、ジュリアスのような知にも武にも恵まれた美丈夫が、フィンレーなんかに興味を持つはずがない。 「だったらこんな変わり者に、わざわざ関わらなくてもいいんじゃないのかしら」 「そうはいかないさ。許嫁だからね」  ジュリアスの淡々とした言葉に、分かっていたこととは云え、フィンレーの心はやはり抉られるように深く傷付いた。  ザイラルの第三王子であるジュリアスと、アルスタンの第二王女フィンレーは、生まれた時から婚姻が決まっている許嫁である。  幼少期から将来を共にする仲だと教え込まれ、共に多くの時間を過ごして来た二人は、友人としてなら最高に仲がいいのは間違いないが、恋愛となると話は別だ。 「許嫁ね……それって不便よね。まるで足枷じゃない」  皮肉を込めてジュリアスを見つめると、そんなフィンレーの心の内を知ってか知らずか、ご機嫌斜めかと優しく微笑む綺麗な黒い瞳と目が合った。  いつからだろうか。兄妹のように、あるいは唯一無二の親友、魂の双子のように育って来たジュリアス。彼の顔を見るだけで胸が苦しくなるようになったのは。  フィンレーはジュリアスと見つめ合ったまま固まっていたことに気付くと、しっかりしろと自己鼓舞するように、手に握っていた手袋で自分の掌を叩いた。
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