金子刑事

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金子刑事

 犯行現場を見て、金子は直感した。  まちがいなく、犯人は被害者の妻、篠田小百合だ。長年の刑事の勘がそう告げている。  状況的にもそれ以外、考えられない。  物的証拠もそろっていた。  犯行現場には争ったあとがあり、家具が倒れている。  凶器の包丁は被害者の胸に刺さったままだった。当然、鑑識にまわした。ついている指紋は辰也と小百合のものだという。  近所の聞きこみから、夫婦仲は悪くないという話だ。とくに被害者はいつも妻を気遣い、とても優しそうだったと。  ただし、夜になるとたまに悲鳴が聞こえるとか、物の壊れる音が響いたという。篠田辰也は妻の小百合が、しょっちゅうころぶんだと説明していた。だから心配でならないと。  ほとんどの住人はそれを信じていたようだが、真向かいの主婦は怪しんでいた。 「あそこ、絶対に家庭内暴力ですよ。奥さんが一人でこっそり泣いてるとこ、何度も見たもの。それに服の下によく青アザがあって。ころんだにしては手形がくっきりついてたのよね」  小百合の友人に確認すると、そのほとんどが辰也のDVを疑っていた。結婚前は輝いていた小百合の表情が、挙式後、とたんにくもったこと。不自然なケガが多く、異常に夫の機嫌を気にするようになったこと。情緒不安定になり、とつぜん泣きだしたり、そもそもつきあいが悪くなったこと。辰也の束縛がきつく、電話履歴なども調べられていたようだと証言を得た。  現に今日も服の上から見える範囲内だけでも数カ所、小百合は皮下出血が見られる。おそらく、数時間前まで辰也の暴力を受けていたのだ。服の下にはもっとハッキリした痕跡があるに違いない。 「家じゅうの侵入経路にも異常はない。玄関と裏口の防犯カメラに不審者の映像はなし。家内に残る指紋はすべて夫婦のもの。金品は盗まれていない。凶器はこの家の包丁」  まちがいない。夫のDVに耐えかねた小百合が故意、または不慮の事故により殺害したのだ。妙におびえたようすの小百合の態度も、それを裏づけている。  犯人は小百合。  裁判では計画的な犯行だったのか、そうでないかが争点になるだろう。 「では奥さん。あなたがトイレに行っていた数分間のあいだに、ご主人は殺されたというんですね? あなたが居間に帰ってきたときには、ご主人は刺されていて、現場はこのような状態だった。だが、不審人物は見かけていない、と?」 「はい……」 「でも、玄関の鍵は閉まっていたんですよねぇ? 家じゅうの窓にも鍵がかけられていた。旦那さんは用心深い性格だったようですね?」 「……」 「ところで、凶器の包丁から、あなたの指紋が検出されました。あなたとご主人の指紋です。なぜですか?」 「それは……料理を作りますから。わたしも主人も。主人はたまにですけど」 「そうですか? ご主人が手料理をふるまってくださるなんて、素晴らしいですなぁ」  小百合のおもてがこわばった。やはり、嘘だ。篠田辰也は料理どころか家事などいっさいする男ではない。妻を小間使いのようにこき使って、いばりちらすだけだろう。  小百合は今にも泣きそうだ。もうひと押しで自供にこぎつける。  ところが、そのときだ。 「金子さん。鑑識が裏口に来てくれと」 「何かあったのか?」  部下の井川が耳打ちしてきた。 「庭に男のものと思われる三十センチの足跡が見つかったそうです。それと、裏口の防犯カメラのケーブルが切断されていました。データが夜八時以降、切れてるとか」 「なんだって?」 「裏口の鍵穴にはピッキングのときについたらしい傷が残ってますね」 「侵入者があったってことか?」 「十中八九」  金子はうなった。  妻の小百合が犯人だと思ったが、どうやらそれは誤ちだったようだ。のちのち冤罪だなんてわかると警察の権威にかかわる。初動捜査で真犯人の存在に気づけたのはラッキーだった。 (ヒュー。あぶない。あぶない。やっぱり勘なんてもんに頼っちゃいかんな。今は科学捜査の時代だ)  金子はホッと胸をなでおろした。
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