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二、雪斎残穢 ―弘治二年(一五五六)―
兄上は何だか雰囲気が変わられた。
新年祝賀のあいさつを申し上げるため、駿府の今川館を訪れていたおれは、幾らも待たされることなくすぐに現れた兄上を見て、そういう印象を受けた。
さすがにここ最近立て続けに起こった出来事は、兄上の心の平穏を乱しているようだ。
折しも駿府には珍しく大雪が降り、辺りは見渡す限り一面の雪野原となっていた。弱った心に追い打ちをかけるような底冷えが体にこたえる。おれは、昔から寒いのはことのほか苦手なのだ。
「おお、氏豊。よう来た。変わりなさそうだな」
兄上は、昨年の暮れにお会いした時と何ら変わらぬご様子で、おれの前にどかっと腰を下ろした。それはいかにも以前と変わりない風を装っているかのようであった。
「兄上もお変わりありませぬか。いろいろと忙しくもありましょうが、新年のごあいさつにと思い、こうしてまかり越しました」
「ははは、そう改まらなくとも良いであろう。そなたとわしは、血を分けた兄弟なのだから。そなたがそのようにかしこまって新年のあいさつになど来るから、ほれ、見てみよ、外はことのほか大雪じゃ」
「やや、それはあまりな言い様でござる。藤枝よりこうして大雪をかき分けまかり越しましたものを」
「ははは、戯言じゃ、許せ」
その軽口が、おれへの気遣いであろうことは分かった。兄上は、おれに心配をかけぬよう、あえてそのように振る舞っておられるのだ。
兄上は、昔からそういう気遣いをする人であった。優しさだと分かってはいるが、それがかえって兄上との距離を感じさせることもあった。
兄弟にも弱みを見せてはならない。あるいは、そう考えておられるのかもしれない。
おれなどは、身内にこそ弱みを見せて甘えても良いのではなかろうかと思うのだ。だが、過去に兄上の身に起こったことを思えば、兄上がそう考えてしまっていたとしても、それは誰にも責められぬことなのだとも思う。
兄上から発せられている違和感。それは今もおれを襲い続けている。少しおやつれになったか。いや、そんな見た目の話ではない。はて、では一体何が変わってしまったのか。目の前の兄、今川家第十一代当主、今川義元は。
昨年霜月、おれもたいそう世話になった兄上の師父、太原崇孚雪斎様が身罷られた。享年五十九歳であった。
幼き頃より兄上の師として道を示し、兄上が家督を相続した後は、黒衣の宰相と呼ばれ、兄上を支え続けてきた重鎮の死は、当家に大きな衝撃を与えた。
当家を駿河、遠江に君臨する大大名にまでのし上げたのは、ひとえに雪斎様のお力あってのことだ。そのことは誰もが知っていた。
片翼を失った兄上の落ち込みようはすさまじく、死の直後は、弟のおれですら言葉をかけることができなかった。二人の間には、それほど強い絆があったのだ。
実際、雪斎様は、兄上の相談事を一手に引き受けておられた。雪斎様の教えを受けてなお、更なる高みを目指し、日々精進し続ける兄上の相談事に答えられる者など、それこそ当家には雪斎様をおいて他に誰もいなかったのだ。
「拙僧に変わる人材を育てねばならぬことは重々承知しておったわい。なれど承芳に頼まれると否と言えんでのう。今さらながらそのことを悔いておるわ」
いつだったか、雪斎様は、おれにそうこぼされた。
血族であるおれが、少しでも兄上の助けになれれば良かったのだが、何分凡庸なおれごときでは何の足しにもならぬ。
遍照光寺におられるもう一人の兄に対しては遠慮があるようで、相談事などしているという話を聞いたことがない。逆に、おれはたった一人の弟である故、大事にしてくれているのであろう。そう考えると、何のお返しもできず、まこと申し訳ないことだ。
「済まぬな。まだ師父様の喪も明けておらぬ故、なかなかそういう気分にもなれぬでな」
兄上は、雪斎様が身罷られてから、まだ中陰も満ちておらぬ故、新年の祝賀などは遠慮したいと言っておられるのだ。
考えてみればそのとおりだ。雪斎様は、兄上にとって、それこそ、おれなどよりも余程身内のようなものではないか。いや、それ以上だ。それをおれは、そのようなことなどまるで考えもせず……。
こういうところなのだ。おれに足りておらぬのは。
「織田弾正忠には、ゆめゆめお心をお許し召さるな」
おれの心の中に、遠き昔日の雪斎様の言葉が蘇ってきた。おれが、あの日の雪斎様の言葉に素直に従っておれば……。
永正十二年(一五一五)の春、おれの父、今川氏親は、尾張守護斯波義達との戦に勝利すると、那古野今川氏の領地であった尾張国那古野に城を築き、末子六男だったおれを那古野今川家の養子としたうえで城主に据えた。
その後、おれは斯波義達の娘を娶り、斯波家と遠戚関係を結んだ。おれがまだ十歳にも満たぬ頃の話である。
そして天文七年(一五三八)、兄上が恵探の兄上との家督争いに勝利し、今川家の家督を継いでから二年を過ぎた頃にそれは起こった。
おれは、近隣勝幡城の城主織田弾正忠信秀のだまし討ちによって城を奪われたのだ。
その頃のおれは、都への憧れから京風なことには目がなく、とりわけ連歌を非常に好んでいた。そののめり込みようは、連日、公家らと連歌会を催すほどだった。
会に参席していた面々の中には、今川本家とも誼を通じている山科言継様などもおられた。織田弾正忠は、そこに目を付けた。
足しげく連歌会に顔を出すようになり、いつの間にかおれと弾正忠は、気軽に言葉を交わし合えるような間柄となっていた。実際、弾正忠は、まだ若かったおれにとても良くしてくれたのだ。
ある日、いつものように弾正忠が城にやって来た際、突如体の調子が悪くなった。それはもう、今にも死んでしまいそうなほどの苦しみようで、哀れに思ったおれは、「遺言を残したい」という弾正忠の言葉を信じ、家臣の入城を認めた。
それが弾正忠の計略だった。
その晩、城内に入った家臣と共に城に火を放った弾正忠は、示し合わせていた攻め手と合力して、おれたちが慌てている間にまんまと城を乗っ取ってしまった。
おれは、何とか命だけは助かり、その後、斯波家の伝手を頼って都へと逃げ落ちた。駿河に戻ることは全く考えなかった。那古野今川家の人間になっていたおれは、今川本家の家督争いに巻き込まれることもなかったが、同時に駿河に戻る家ももうなかったのだ。
おれは、城中で囚われた時、それまで親切にしてくれていた弾正忠の目が、ひどく恐ろしく、氷のように冷たいものになっているのを見た。恐ろしかった。あれほど良くしてくれた弾正忠と同じ人物であるとは思えなかった。何かに憑りつかれてしまったのではないかとすら思った。今にして思えば、あれこそが戦国の世の習い、下剋上を志す者の目であったのだと分かる。
幾年かの後、兄上は、おれを都から駿河に呼び戻してくれたが、城を奪われたことについては、今日に至るまで一度も責められたことはない。だが、おれには分かっている。兄上は、尾張那古野城を取り戻そうとしている。
天文十九年(一五五〇)に弾正忠と争った際には、幕府の調停で後奈良天皇が綸旨をお出しになったので停戦となったが、兄上は決して諦めてはおられぬ。むしろ、再度進軍するための準備をし続けている。
今川仮名目録にも、まるで幕府にけんかを売るような守護不入の廃止という追加法を盛り込んだ。また後顧の憂いをなくすため、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康と甲相駿三国同盟も結んだ。
そう、それらは全て西へ向かうための布石。
雪斎様は、まるで生き急いでおられるかのように、この数年で、それら全てを矢継ぎ早にまとめ上げられた。まるで己の最後の役目と言わんばかりに。そしてそれは文字通り最後のお役目となった。
新たに今川領となった三河では、雪斎様の死に合わせたかのように、国人衆による反乱が起こっていた。
足助城の鈴木信重は美濃の遠山氏と、また西尾城の吉良義安も織田方の緒川城城主水野信元とそれぞれ共謀し、反今川の兵を挙げた。この他にも酒井や青野松平にも反今川の兆しが見え隠れしていた。
これら一連の反乱全てが、単なる偶然だとは思えない。おれの頭にまず浮かんだのは、弾正忠の顔だった。だが、あの恐ろしい目をした弾正忠は、既にもうこの世の人間ではない。織田では弾正忠の息子が家督を継いだという話だが、おれはその男のことをよく知らぬ。うわさではかなりの大うつけらしい。だが、人のうわさほど当てにならぬものもない。
いずれにせよ、三河の反乱もそれほど時を経ずして兄上が鎮めることだろう。そしてその時こそ西進が始まるのだ。
兄上は、恐らく簡単に那古野城を取り戻す。だが、その後はどうする。西にあるのは浄土と相場が決まっている。西へ向かい、そして浄土にたどり着いたとき、そこから先はどうするつもりでいるのか。その先に何があるのか。果たして兄上には、それが見えておられるのだろうか。
「氏豊、何をそう難しい顔をしておるのだ。祝賀のあいさつを断ったことがそんなに不服か?」
「いえ、決してそのような」
「では何ぞ他のことでも考えておったか」
「まあそのようなところで」
「ほう、氏豊もなかなかいい度胸をしておるな。主君であるわしにあいさつに来てよそ事を考えておるなどとぬけぬけと申すか」
「あ、いや、決してそういう意味ではございませぬ」
「ははは、気にするな。戯言じゃ」
兄上は、そう言ってまた先程と同じように笑った。
「氏豊よ。わしはな、もし次に生まれてくる子があれば、師父様にも劣らぬほどの僧に育てようと思うておるのだ。何もかも全てが片付いた後の話にはなるだろうがな。その子の法名には、『寂』の一字を使おうと、そこまでもう決めておる」
「それはまた気の早い話にござりまするな」
「ははは、そう思うか。だが、それが兄上よりわしが引き継いだ役目の総仕上げなのだ。泉奘にも言うておるが、そなたにもしかと手伝ってもらうぞ。のう、叔父御殿」
兄上は、何だか楽しそうだった。
あ。
その時、おれは、兄上に抱いた違和感の正体にようやく気が付いた。兄上は、確かに笑っておられる。だが、笑顔を浮かべながらも、その暗く深い瞳は、まるでこれっぽちも笑っていなかったのだ。
おれは、咄嗟に兄上から視線を外した。そのことに気付いたと決して兄上に悟られてはならない。そんな気がしたのだ。
そうか、そうだったのだ。兄上が以前と変わってしまったように思えたその訳は、今見せている暗い微笑みのせいだったのだ。それは、あの時の弾正忠の目と同じ目であった。そう気付いた瞬間、おれは背筋が寒くなるのを覚えた。
その暗闇が、雪斎様の死によってもたらされたものならば、どうあがいたところで、おれには埋めることなどできぬ。いや、誰にも埋めることなどできぬであろう。
兄上へのあいさつを済ませたおれは、踏み鳴らされた雪道を、もう一人の兄の元へと向かった。その途上で、おれは、何やら遠い昔に誰かが言っていた言葉を思い出していた。
「承芳を西に向かわせてはならぬ」
はて、それは誰の言葉であったのか。また、それはいつの日のことであったのか。何ゆえ今になってそのことを思い出したのか。まあ、忘れてしまっていたくらいなのだから、どうせたいした話でもなかったのだろう。
おれは、肝心なことは何ひとつ思い出せないまま、踏み固められた真っ白な雪道を西へと急いだ。
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