夏子さんのおっぱい

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夏子さんのおっぱい

 夏子さんのおっぱいが帰ってきた時、彼女のマンションで二人だけでお祝いをした。私は奮発して有名ケーキ店でティラミスのホールケーキと、デパートの地下で高価なフランスワインを求めた。これもおっぱいを委託したからできる贅沢だ。 「まず、帰って来たおっぱいに挨拶をしてちょうだい」  キッチンテーブルにケーキとワインを置くと、夏子さんがさっそく豊かな乳房をうりうりと突き出して来た。ニットセーターに浮き上がった丸い膨らみは実に堂々としている。豊胸手術をした借り物のおっぱいよりも一回り大きいんじゃないかと思われた。  左右の手のひらを広げ二つの丸みを覆う。そして、 「おかえり、おっぱい」  とアウェイでの苦労をねぎらった。  そうなのだ。今思い出した。たしかに私が保育園に就職した時、夏子さんの胸はこのくらいのボリュームがあったのだ。エプロンの上からでも堂々たる存在感を誇示してした。あの時の印象がなつかしくよみがえって来る。  よくやんちゃな園児に「おっぱいぱーい」と触られてくつぐったがっていた。私もいつか「おっぱいぱーい」っていたずらしてやろうと隙をうかがっていたのに、いつのまにかすっかり忘れていた。今考えてみれば、あれは夏子さんがおっぱいレンタルをした頃だったのだろう。急に、おっぱいの印象が薄れていったのは本当に不思議なことだった。 ──印象にも記憶にも残らないおっぱい……。そんなおっぱいが私の胸にも張りついている。  さりげなく自分の胸に手をやると、嫌な気分になって、せっかくのケーキを前にして軽い吐き気さえもよおした。
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