フ・ク・シュ・ウ

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 田中社長を送り出した後、夏子さんは私たちをポッサム専門レストランに案内してくれた。  茹でてスライスされた豚肉、それとニンニクの薄切り、キムチ、細切り大根などをサンチュにくるんでいただく料理。普段肉料理をあまり口にしない私でも食が進むのは、肉の脂肪がほとんど落とされているからだろう。 「彼ね、私には一言も言わなかったんだけど、元のベンチャー企業から戻ってくるように懇願されていたみたいなの」  料理を頬張りながら私は得意になって話す。 「へえー。じゃ、テレポーターとしてってことでしょ?」と、夏子さん。 「うん、それもそうなんだけど、後輩テレポーターの育成と、えーと、それから今後の企画に加わってくれって。竹田くんったらそのこと私には一言も相談してくれなくて……」  本人がすぐ隣にいるのに、私だけが知っていることのように得意になって話す。ほんの一口だけ口を付けた焼酎が回りだしたのだろうか。 「僕としてもかなり悩んだんですよ。それが吹っ切れたのが、破格の報酬を提示されたからなんです。やっぱり人の心って金で動くんですよね。はははは!」  竹田くんも機嫌がいい。見ているとさっきからひっきりなしにショットグラスを口に運んでいる。30ミリリットルの小さな小さなグラス。韓国の人はお酒が強いのにどうしてこんなに小さなグラスで飲むのだろうと不思議に思った。 「それで二人は新しいマンションに引っ越した。竹田くんは都心に通勤。美彩も近々保育園をやめ専業主婦になると……」  夏子さんが緑色の焼酎ビンを傾けると、竹田くんが「いやいや、どうも」と空になったグラスを差し出し、続ける 「本当に人生というのは予測不可能ですよね。僕、美彩ちゃんと一緒ならこのまま保育士を続けてもいいなって思ってたんですよ」 「本当に竹田くんってすごい人生歩んでるわよね。大学卒業して、会社に就職して、ほんの数年で退職して、保育士になって、また同じ会社に再就職。住む家だって、家賃も払えず美彩ちゃんのワンルームに転がり込んだかと思ったら、再就職と同時に新築マンションに引っ越し……」  夏子さんの言うことを聞いて気づいたことがある。私たちの出会いもそうだけど、節目節目でおっぱいレンタルドットコムがかかわっているということ。 「はい、竹田くーん。アーンして……」  夏子さんは肉とキムチと野菜をたんまりと巻き込んだポッサムを彼の口に入れた。彼は嬉しそうに頬張る。 「美彩、なーに、その表情? 嫉妬? フフフ……。韓国ではね、ポッサムをお友達やお世話になった人の口に入れてあげるのよ。ほら、竹田くんも美彩の口に入れてあげて」  私たちは三人でお互いの口にポッサムを入れてあげた。竹田くんは肉もキムチもたくさん載せて包む。それを私と夏子さんの口に入れようとするのだが、入り切れず包んだ具がボロボロとこぼしてしまう。お行儀が悪いと思ったけど、とっても楽しかった。 ──しあわせだな……。  好きな人においしいものを口に入れてもらう気分は最高だ。まんまる先生も心を病んで保健室に来る生徒たちにそれを実践していたのだと、今になって分かった。しあわせってけっこうあちこちに転がっている。私は日本に帰っても竹田くんの口においしいものを入れてあげる。毎日毎日入れてあげる。子供にも小さな口においしいものをたくさん入れてあげたい──。
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