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秋風とともに君が
秋になり後期が始まった。イベントの準備、後期のみの新しい講義の開始で手いっぱいになりながらも、ミユの事はいつも頭にあった。ユウジ先輩からその後聞いた話だと、ミユは僕の手紙を読んでくれたらしい。ミユは、電話口でチカさんに、それでも訳があり僕の所には行けないのだ、と泣いたという。
その理由が何なのかは大体察しが付く。おおかたミユの親の事業融資を結婚相手の親が行っていて、ミユがいなくなったり離婚でもすればそれが打ち切られるというカラクリだろう。真面目なミユは親を捨てたりはできないのだろうな。
ただ、僕が待っているというそれだけでも伝わっていることが僕にとってはいくらかの救いだった。
久しぶりにヤスユキからメッセージが来ていた。
"エリと別れた。マシロはノゾムと暮らしだしたし、晴れて自由の身だ! 飲みに行こうぜ"
酒が弱いヤスユキが飲みに行こうと言うんだから余程参ってるな。僕もミユと別れた時は支えてもらった。
"OK、今夜東門のとこの居酒屋に19時集合。久しぶりに泊まっていけよ"
わかった、ありがとう、と返信が来た。
久しぶりに会うヤスユキはすっかりやつれていた。こんなに生気の無い彼を見た事がない。
「お疲れ様」
「お互いな。お疲れ」
二人でペールエールのビールを頼んだ。イベントの話なんかをしながら、ノゾムの話になった。
「ノゾムは見かけによらず肚の座った強い奴だよ。あいつなら安心してマシロを預けられる」
「そうか……もうマシロちゃんは引っ越したのか?」
「ああ。ノゾムが来て二人で簡単に荷物まとめて行ったよ。ノゾムから一緒に住もうと言ったらしい。まさかマシロがあの家から離れられるなんてな」
ヤスユキは珍しく一気にビールを飲み干すと、二杯目を頼んだ。
「それだけノゾムを信頼して、マシロちゃんも回復してきたってことだろ」
良かったじゃないか、とヤスユキの肩を叩いた。苦笑いしながら彼は来たばかりのビールをあおった。
「……エリとは、どうして?」
アルコールで赤く染まった目元をちらりと動かして、ヤスユキは僕を見た。
「俺がマシロにうつつを抜かしてる間に、アイドルがさらって行ったんだよ」
「は⁈ アイドルが何の関係あるんだ?」
何の事だか話が見えてこない。確かにエリは高校生の時にアイドルグループのファンで女子同士で盛り上がっていたけど……。
ヤスユキはクックッと笑ってまたこんな事を言う。
「推しのヒカル君に取られたんだ」
エリの推しはヒカルとか何とかいう名前だったのは覚えてるが……。そうだ、タカトリヒカルだ。思い出した。
「いや、確かにエリはタカトリヒカルが好きだったけど……。それが何の関係があるんだ?」
「だから、名前がヒカルって男を取ったんだよ、推しに似た医者をあいつは選んだ」
「は? マジかよ!?」
「心身共に弱ったいとこを口実作ってさ、平気で抱くような汚れた男より、ヒカルって名前のクールな医者の方が好きになっても不思議じゃないだろ?」
ヤスユキは諦めたように微笑みながら、冷えたトマトを口にした。元々痩せているのに、彼の手の皮膚は骨と血管だけを覆っているようだった。
「どうやって知り合うんだよ」
「実習先。おまけにマシロの主治医だ」
「実習生や患者家族に手を出していいのか、そもそも」
「多分、エリの方から行ったんだよ。俺はそう思ってる」
「で、名前がヒカルだからって? まさか顔も似てるのか?」
「そう。それがそこそこ似てたんだよな~。参ったよ。白衣ビシッと着こなしたクールな医者」
「厳しいな、それは」
「だろ?」
ヤスユキは自虐的に笑いながらビールを一口飲んで言った。
「でも、俺が悪いんだ。エリを大切にできなかった結果がこれって事だ。自業自得だな」
グラスを置いて、ヤスユキが僕に向き直り、穏やかな顔で言う。
「タカトシ、あの時、カウンセリングに行けって言ってくれてありがとな。感謝してる」
「俺は何もしてないよ、ヤスユキ」
「いや、こんな俺の友達でいてくれるだけでありがたいよ」
――散々飲み明かした後、僕たちは酔い覚ましに飲み物を買い、今僕が住んでいる詩集図書館に戻った。僕はヤスユキにミユの今の状況を話した。
「ミユさんは必ず戻って来るから、待っててやってくれ。多分それだけが彼女の生きる希望だろうから。俺は状況に巻き込まれていった立場だから、ミユさんの気持ちが少しわかる」
「でも、いつまで待てばいいのかなって思うよ」
「ミユさんが幸せになったって聞くまでだよ」
「その前に、戻ってこないかな」
「来るだろ、きっと……」
酔ってテーブルに伏せて眠ってしまった友達の顔を見た。今夜会ったばかりの時よりも、幾分スッキリした表情に見えて、僕は少し安心した。
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