秋風とともに君が

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 昼間は暑いけれど、夜になると肌寒い。  僕はイベントの作品の進捗状況を報告する定例の打ち合わせを終え、家路についた。すっかり暗くなってしまった。コンビニで暖かいコーヒーと夕食になるものを買って飲みながら歩く。  家に帰りついて玄関のドアを開けようと鍵を指し込んで回した。手応えがない。朝きちんと鍵を閉めたはずだけど? まさか泥棒か、と思いそっとドアを開けた。  ガサゴソと音がする。詩集図書館の部屋からだ。本目当ての泥棒? あの部屋には金目のものは何もないというのに。 「動くな!!」  僕は詩集図書館の扉を開き、大声で叫んだ。 「きゃあっ⁈」  そこには女の人がいた。その人が持っていた詩集が落ちる。それは僕が最近出したばかりの詩集だった。  僕が知っている声。僕が知っている顔。  僕が愛した人が、そこにいた。 「ミユ……⁈」  胸の中にまたあのケチャップの味が広がる。甘くて酸っぱくて、濃いトマトの味。 「タッ君……逃げてきちゃった……」  彼女は顔をくしゃくしゃにして子供のように泣き出していた。 「ミユ!!」  僕はミユに駆け寄って抱きしめ、本当に彼女なのかどうかを確かめるようにキスをした。焦って息が続かない。まるで泳いでいる時みたいに僕らは途切れ途切れに呼吸をした。  堅く蓋を閉めていた僕の胸の中のケチャップの瓶は派手に割れて、中身が全部そこら中に飛び散った。その飛び散ったケチャップの感触とその味。  間違いない。この人は、僕の愛したミユだ。何度も頬を触って確かめる。 「タッ君、私、頑張ったけど、やっぱりここの鍵、捨てられなくて……!」 「捨ててなくて良かったよ。ずっと、来てくれるの待ってた」  ミユを抱きしめて気づいた事がある。前は健康的な丸みがあった人なのに、今は皮膚の下に骨の感触を感じるほど痩せている。 「ミユ……痩せたな……」  どれだけ苦労したのだろう。 「ご飯も食べられなくって。いいダイエットになったみたい」  ミユは力なく笑ってみせた。 「俺もまだ夕食食べてないんだ。一緒になんか食べよう。何が食べたい?」 「ジンカフェ、行きたいな。食べられるか自信ないけど」 「メニューちょっと変わったけど、まだあの手作りハンバーグはあるよ」 「うん。食べたら、元気出るかな?」  僕はミユの手をしっかり繋いで、ジンカフェに向かった。  ジンカフェで食事をしている間も、ミユのスマホが震え続けた。 「これ、旦那の名前?」 「そう……」  合間にミユの親からも電話が掛かっている。 「一旦、電源切りなよ」 「うん……そうする」  ミユはスマホの電源を落とした。  明日は幸いなことに講義が無い。まずやるべき事は、玄関ドアの鍵を交換すること。そして、詳しくミユの状況を確認することだ。 ”ユウジ先輩、ミユが僕のところに逃げてきました。チカさんと一緒に今後どうするかの相談ができたら嬉しいです”  僕はメッセージを送った。すぐにOKのスタンプが返ってくる。 ”ミユにチカと連絡するように言ってくれ。それから俺は明日昼からなら動ける” ”チカさんにも連絡します。申し訳ないんですが、明日は詩集図書館集合でいいですか? ミユは出歩かない方がいいと思うので。先輩がいい時間に来てください”  またOKのスタンプが来て、僕たちのやり取りは一旦終わった。 「ミユ、明日、事情知ってるチカさんやユウジ先輩に相談しよう」 「迷惑じゃないかな……」 「俺も含めてミユのことが大事だから、迷惑なんかじゃないよ。もう戻ってきたんだから安心して」  ぽろぽろとミユの涙がパスタに落ちていく。 「ニ年ぶりに会えたんだ、泣くなよ」  僕はミユの涙を親指で何度も拭った。 「ほら、ジンカフェのハンバーグ久しぶりだろ?」  僕のハンバーグを一口分切り分けてフォークで刺し、彼女の口元に持っていく。 「食べて」  一回り小さくなってしまった顔が動き、ミユは口を開けた。ハンバーグをその中に入れてやる。 「ん……美味しい!懐かしの味!」  ゆっくり噛み下してそう言うと、またミユは泣き出した。今度は両手で顔を押さえて。 「私、帰ってきたんだね……」  そうだよ、ミユ。  もうどこにも行かないで。
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