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真実を知る海
「忘れん坊ですぐ物を無くして壊す人を雇って正解だったのかな~」
ミユがたまに嘆くように僕に言ってくる。僕らは大学四年生になっていた。
「今さらですよ。ちゃんと給料くれたら頑張って働きます」
ふざけて口を尖らせて指でちょんちょんと叩いてみせる。
「もう、バカ!」
ポカポカと猫パンチが襲ってくる。これをされると嬉しいのは、僕は軽いMっ気があるんだろうか。
「こら、お前らイチャつくのもいい加減にしろよ、二人で炭運んで来い!」
「すみませんユウジ先輩! あっ、痛ってえ!」
「やーい!」
「あ、待てよ!」
逃げながら炭を取りにいくミユを追いかけた。
今日はゼミで海に来た。卒論作成の合間に気分転換しよう、ということで企画されたものだった。僕とミユは皆が公認の仲となっていて、図書館長と司書、なんてからかい半分に呼ばれている。
お腹いっぱいバーベキューを食べて、持ってきたお酒が足りなくなるぐらい飲んだ。
ゼミの仲間が三年生の後輩たちに呼び掛けている。
「足りないから歩いて買いに行くぞー!」
「えー? 飲んでない人いないんですか⁈ 車がいいです~!」
「今ここに素面のやつがいる訳ないだろ、文学とアルコールは共にありー!!詩人たちよ、盃を空けよ!」
同級生の先輩達――年上なので同学年でも僕は先輩と呼んでいた――が煽り立てると、後輩達もまたテンションが上がりだした。誰かが持ってきたスピーカーから音楽が流れていて、ちょうど飲み会の時に盛り上がるような曲がかかっている。
「いっぱい!」
「ワンショッ!」
「にーはい!」
「ツーショッ!」
後輩達が調子に乗って飲み干している。と言っても、後輩も僕より年上だけれど。
「ほらもう飲むもんないぞ! 買いに行こうぜー!」
騒ぎながら五人ほどが追加の酒を歩いて買いに行った。
「何だよあれ……。酔ってんなあ。まだ日が暮れてねえのに」
ユウジ先輩がフッと笑いながら大声で、ちゃんと帰って来いよ! と買い出し隊に声を掛けた。なんだかんだ言って優しい人だ。
ミユは女友達とお喋りしていて、僕もユウジ先輩と音楽談議に興じていた。
「タカトシ、ちょっと歩かねえ?」
ビールの缶を片手に、僕らは砂浜を歩いた。皆から遠ざかって、おもむろにユウジ先輩は口を開いた。
「お前、ミユと付き合ってどのぐらいになるっけ?」
「一年と……三か月です」
僕は指降り数えて答えた。
「もちろん、長く付き合ってるってことは、あの事知っててわかった上で付き合ってるんだよな?」
「え? 何の事ですか?」
全く心当たりがなかった。
「マジかよ……残酷だなミユも」
「何の事ですか? 教えてくださいユウジ先輩」
ザリ、ザリ、と砂を踏む音だけが聞こえる。
「それだけお前といたいって事なんだろうけどな。俺は言わねえ。アイツから直接聞け」
何だよ、言い出したのは先輩じゃないか。元カレだからって……。ユウジ先輩とミユは大学二年生の時に半年ほど付き合っていたというのは聞いた。
「先輩がミユと付き合ってたのは知ってます」
はあ…‥‥とユウジ先輩が溜息をついた。
「じゃあ、別れた理由知ってるか?」
切れ長の目からひんやりした視線を合わせてくる。
「いえ、知りません」
「それが今知ってるか、って尋ねた理由だよ」
ミユが先輩と別れた理由と、今僕が知らない何かが同じだって?
「いくつも可能性のある事は想像できますが、事実しか意味はないです。教えてください」
ユウジ先輩はしばらく黙って、仕方ないな、という風に口を開いた。
「じゃあ、俺がアイツと別れた理由を言うから聞いてくれ」
立ち止まって海を見ながら先輩が言う言葉に耳を澄ませた。
「ミユには、婚約者がいる。親が決めた許嫁ってやつだ。大学を出たら、そいつと結婚することが決まってる。それを知った俺は恋人よりも友人であることを選んだ。だから別れたんだ」
白に近い色に脱色されたユウジ先輩の髪の色が、夕日でオレンジに染まっている。僕の方を向いて、彼は悲しそうに笑った。
「アイツは、俺のものにも、お前のものにも、ならない」
遠い波打ち際で、ミユと友達が波と戯れている。こんなに遠くても僕は君だとわかるのに。夕日に照らされて濃い影になった大好きな人を見ながら、足元がガラガラと崩れていく音を僕は聞いていた。
美味しい胸の中のケチャップは、一瞬でジャリジャリと砂が混じった味になった。
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