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「ヒロ君。あの約束、覚えてる? 一年の時、『お前がちゃんと卒業したら、手作りプリン食べてやるよ』って言ってくれたこと?」
高校の卒業式の日、僕は同じクラスの香澄にそう話しかけられた。式典が終わり、皆が三々五々に学校を後にし始めたときのことだ。最後の下校だと思って名残惜し気に校門を通り抜けようとする僕のことを、香澄は待っていてくれたようだった。
春の美しい午後だった。振り向くと、真剣な表情の香澄の色白の頬にフワリと一枚、桜の花弁が舞い落ちた。
香澄は美しいが病弱な少女だ。詳しいことは本人が言いたがらないためわからないが、心臓に生まれつき欠陥があるという噂だった。学校を休みがちだった彼女に、僕は一年の冬に告白された。そのとき、別の女子に片思いしていたから、僕ははっきりと断った。だが、香澄は自分が作ったプリンをどうしても食べて欲しいとタッパーをカバンから取り出したのだ。
けれども、気を持たせる切っ掛けになるようなことは何もすべきではないと思った。そのときに放ったのが冒頭の言葉だ。
僕はフッと微笑み、香澄の愛らしい瞳を見た。
「ああ。覚えてるよ。よく卒業まで頑張ったな」
「ありがとう! ……でも、私と付き合う気は今もないんでしょ?」
「悪いな。僕の大学は地元じゃないから」
言い訳だ。本当に好きなら遠距離恋愛だってするはずだから。でも、恋愛するには香澄はか弱すぎる。とても優しくてひたむきで良い子だけど、付き合えば重荷に感じるのはわかっていた。そうなってから振るのは残酷だ。
すると香澄は残念そうにカバンからタッパーを取り出した。
「じゃあ、最後に食べてくれるよね? 私のプリン」
僕は一瞬沈黙したが、苦笑してゆっくりとうなずいた。
「……わかった。ごちそうになるよ」
香澄は嬉しそうにタッパーとスプーンを差し出した。タッパーの中には小ぶりの少し不格好なプリンがフルフルと揺れている。
僕はスプーンを手にして「いただきます」と言うと、プリンを口に含んだ。
その瞬間……!?
何が起きたのかわからなかった。不味いなんてもんじゃない! 猛烈な吐き気に襲われて、僕はその場にしゃがみ込むとプリンを口から吐き出した。えずきが止まらない。
まるで毒物を摂取したようにゲーゲーともがき苦しむ僕を、香澄がさっきまでとは別人のような冷たい眼差しで言う。
「それ、一年のとき告白した前日に作ったプリンだから!」
声も出せずに涙目で見上げる僕に香澄は嗤いながら言った。
「だから、あのとき食べてれば良かったのに!」
香澄ってこんな子だったっけ……!? 香澄は……とても優しくてひたむきでいい子で……!?
「私、ヒロ君のそういう少女マンガのヒーローみたいに爽やかで優しいところ大嫌いだから!」
嘲笑いながら背を向けて去って行く香澄の後ろ姿を僕は何も言えずに見送った。
……香澄。本当に心臓弱いのか?
<End>
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