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ハル2
夜の病棟は、ジメジメとした不快な闇に満たされていた。施設のレトロモダンな、悪く言えば古くさい内装が、かえって不気味さを助長させている。実際、“視えちゃった”という話もよく聞く……。
だが何より怖いのは、看守……じゃなくて看護師だ。
この病院には、幸子という鬼みたいに怖い看護師がいるのだ。元オリンピック金メダリストで、その外見と厳しさから、鬼の幸子という異名を持つ……と、ツムギが言っていた。
そんなのとエンカウントしたら、なんて考えるだけで恐ろしい。
「前方よし……左右よし。ほら早く」
私の前を行くツムギは、本当に怪我人なのかと疑わしいほど素早い動きで進む。
「部屋に来るなり連れ出して……本当に何するつもりなんだ?」
看護師の気配がないか確認して、私も後に続く。
「ヒミツ〜」
悪戯っぽく笑うツムギに連れられるがまま、私は屋上に出た。
ぬるい風が吹き荒び、私の髪を持ち上げる。
ツムギは「うひょあ〜!」と、松葉杖で器用に回った。
はしゃぐツムギに、私はイヤイヤながら聞く。
「こんなところに連れてきて……なに、告白ですか?」
「ま、そうとも言える」
「じゃあお断……」
「待って最後まで聞いて!」
食い気味に言われ、私は肩をすくめて黙った。
ツムギは向かい合う形で、私をまっすぐ見つめる。
「せんせが死にたいって言うなら止められないし、今すぐせんせの病気を治すことも、詩の才能をあげるのだって無理……」
ん? さりげなく私のことディスってない?
「……でも本当は、せんせに死んでほしくなんかない」
返答に困ったがとりあえず、「どうして?」と聞いてみると。
「だって悲しいもん」
驚くほど素直な答えに、口の端から乾いた笑いがこぼれた。
「人が誰かの死を悲しむのは、死そのものを悲しんでいるのでも、亡くなった人を惜しんでいるわけでもないんだって」
「じゃあなんで泣くの?」
ツムギは難しそうに首をかしげる。
「自分が可哀想だから……だってさ、昔何かで読んだ」
少し沈黙があった後、ツムギが静かに聞いてきた。
「せんせはそう思ってるの?」
今のツムギの「悲しい」が、私に向けられたものじゃなかったとしたら……?
そう考えると、自然と眉間にシワがよっていた。
……あれ、なんでモヤモヤしてるんだろう、私。
「さあね、実際確認のしようがないし」と、モヤモヤを振り払う。
ツムギの声が爽やかに響く。
「なら信じないでいいや! 先生が死んだらわたし思いっきり泣く! 洪水で街を滅ぼす!」
「待てサラリと災害を起こすな!」
数秒経ってから、吹き出すようなツムギの笑い声が響いた。
釣られて、私も笑ってしまった。
「洪水って、そんなに泣いたら乾涸びて死ぬわっ……」
「後追いだよっ、あははっ」
ひとしきり笑った後、私たちは仰向けになった。髪の中が小石でジャリジャリと鳴る。
明かりも少ない土地だからか、眼前には壮大な宇宙が広がっていた。
「キレーイ」と、ツムギの声が響いた。
私はからかうように鼻を鳴らす。
「そんな簡単に言い表すには、勿体無いくらいにね」
「じゃ、ここで一句」
「えええ……」
「いいじゃん! キレーイ、だけじゃダメなんでしょ?」
墓穴だったな。
「今回だけだよ……?」
どうせまた文句言われるし適当に、綺麗だなぁ、みたいなのを詠むか。
空をまっすぐ見つめて、私はゆっくりと言葉を紡いでいく。
同時に、先ほどの妄想がぶり返してきた。
自分が死んだ後のことを、少し考えてみた。
まず親が泣くだろう、間違いなく。それとツムギも。
友達は……そもそもいないなぁ。
満天に輝く星たちの視線が、私の心を照らし出す。
死んだら、私はどうなるんだろう。私の作品は一体どうなるんだろう。
誰かが読んでくれる。
──誰が?
誰かが紹介してくれる?
──どうやって? どうして?
私の詩って、どんな魅力があるんだ。
死んだら有名になれるって根拠は、なんだ?
「星々で満たされた空が墓場ならどれだけいいか……」
ぼーっと演算しながらも、詩は完成した。
片手間だったからか。感情任せに散弾銃をみだりに撃ちまくったような、素直な詩になっていた。
「うん、やっぱわかんない」
星達が瞬くだけの暗闇で、ツムギの声は場違いなほど明るい。
「ほらやっぱ──」
「でも好き! 大好き!」
不意をつく形の好評は、私の脳細胞の活動を一瞬だけ止めた後、ブーストさせた。
「わ、わかんないのに?」
「うん、わかんない。でも好きなの、心があったかい」
わからないけど好き。それは私にも覚えがある。
初めて詩を知った時。言葉の意味がわからないのに、知らない景色や感情が、自分の中になだれ込んできた。
ツムギの感想は、まさしく私の経験のそれだった。
「あっそ……」
そっけない態度の中に、不覚にもドキッとさせられた自分がいた。
いや、ちょっと待てちょろい早まるな!
ツムギはまだ蕾の11歳、対して私は病んでる19歳だぞ?
落ち着け……これ以上どん底の人生に、落ちる、ワケに、は…………あ。
これ以上落ちるわけって、死にたいとか言ってたくせに?
「生きたいじゃん、私……」
唐突に呟いた私に、ツムギがとぼけた声を出す。
「へ?」
「不覚にもいつの間にか、生きたいと思って、しまっていた」
「やったね!」
「やられたよ……」
私は力無く笑って、目元に両手を持っていく。
ツムギと話していると、陰鬱になっていても気がつけば笑っている。
詩を書くと必ず読みたいと言ってくれる。大方難しいと一蹴されたが、そこには悪意も忖度も何もなかった。純粋に感想を教えてくれた。
そうやって今まで幾度も、気持ちの面で助けられていた。
私が詩を書き続けていられたのは、ツムギのおかげじゃないか?
その事実に気づいたとたん、気持ちが一雫、こぼれ出た。
私、この子のこと結構、好きだ。
どうしようもない、もう誤魔化せない。
こんな時、[[rb:創作者 > クリエイター]]がやることは一つだろう。
星空に両手を伸ばして、声高らかに宣言した。
「詩を書く!」
「え、もう書いてるじゃん?」
ツムギの声に、私は首を横に振る。
「違う、今までのは本当に猿真似。でもこれからは、本当の私の詩」
図星だった。教授の言葉は非情なほど的確だった。だからこそ私は目を背けていた。
大体、死んだら作品が褒められるなんて、気持ちの悪い甘えでしかない。
しかも私は、心の底から死にたいなんて、思ってなかった。死にたいぶってカッコつけていただけの痛い女だ私は。
「……そ、楽しみにしてるよ。せんせ!」
私は頷く代わりに左を見た。
ツムギの瞳は、闇の中でもはっきりわかるほど、月明かりで輝いている。
「……待っていて?」
「うん、待つよ、いつまでも」
ツムギの手が、私の指に絡んだ。その手は、思ったよりもしっかりしている。
手の感触に驚きながら、私は少し身をツムギの方に寄せた。
「あと、できればもう一つお願い」
「なあに?」
「本が出たら、通販は使わず、書店の棚で見つけてほしい。面倒臭いと、思うけど……」
こんな意地悪、もちろん深い理由なんてない。
一方的な感情の押し付け。大人気ない私の、かまって欲しいという気持ちと、ささやかな悪戯。
そして、それだけ売れる作品を作るという、覚悟みたいなものだ。
ツムギはさらに距離を縮めてくる。頭がふれあった。
「わかった、ちゃんと探す」と、内緒話のように私の耳元で囁く。
その息混じりの声音に、心臓が跳ねた。
「コルルァぁぁぁっ!! 何抜け出してるんだ病人どもおおっ!?」
「っわやばっ鬼の幸子だ! 逃げよ!」
「あああちょっと!?」
私たちの秘密の談話は、鬼看護師の怒号によって、夜空へ旅立っていった。
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