ハル3

1/1
前へ
/15ページ
次へ

ハル3

 それから数日間。ツムギが部屋を訪ねてくることはなかった。若干の寂しさもあったが、詩作に耽る私にとっては些細なこと。むしろその寂しさで一句読んでやった。  時に「夜更かしするなら書かせません!」と鬼の幸子に紙とペンを取られ、取り返しの駆け引きもしつつ。  やがて私が書いた詩たちは、新人賞で大賞を勝ち取ってきた。  ありがたいことに担当さんも着いてくれることになり、ついでに素敵なペンネームも得た。  今はその名前と賞の通知を手に、ツムギの病室に向かっている最中だ。  私は幸子に見つかった時どやされないように、と廊下を早歩きで進む。  不思議と詩作に取り掛かった頃から、私の中の病魔は活動を停止し始めていた。……そうだ! ついでにそのことも教えてやろう、さぞかし大きな声で驚くだろうな。  想像笑いを堪えるために深呼吸した後。  私は勢いよく、ドアを開け放った。 「ツムギ!」 「うわぁどしたのせんせ!?」と、松葉杖を倒して驚くツムギは。  いなかった。 「…………え?」  私の声が誰もいない病室に響く。  カーテンは陽光に当てられて、サラリと透けている。  私はその、埃だけが静かにきらめく部屋へ立ち入った。 「ツムギさんなら、とっくに退院しましたよ」 「うわ幸子!?」 「せめてさんをつけなさい……」  背後から声をかけられ振り向くと、やたら顔の彫りが深い女性が立っていた。その白いナース服の下には、実に固そうなナイスバディが詰まっている。 「ツムギは、もういないのか?」  幸子に詰め寄って尋ねると、退がりながら返された。 「ち、ちょうど昨日」 「そう、か……」  それまで通知を握りしめていた右手の力が、ふっと抜けた。  部屋の表札が目に止まり、口が動く。 『紡木 紗夜』 「つむぎ、さ……よ?」 「さや、[[rb:紡木 紗夜 > つむぎ さや]]さんですよ。あなた……あれだけ仲がよかったのに知らなかったのですか?」 「ああ……全く」  ツムギ、って苗字だったんだ……名前みたいだな。  いやでも多分、出会ってすぐの頃に言われた気がするな。もう思い出せないし、確認できる気もしないけど。  悔しさを飲み込むため、右手の指に力が入る。  目線が下に向きかけたところで、幸子が大きくため息をついた。 「……全く。あなたに紡木さんの連絡先は教えられませんが、その通知のことは伝えておいて差し上げます。だから、さっさと自分の病室に戻りなさい!」 「さ、幸子ぉぉ!」 「だからさんをつけなさい!」  病室に帰る最中、私は決して俯かなかった。  たとえ遠く離れてしまっても、ツムギからもらったこの気持ちは無くならない。  この気持ちは私が死んでも燃え続けるものだと、確信があった。  だからなんとしても、彼女の元までこの名を轟かせよう。 『月詠 帳』  この新しい名前と詩たちは、あの夜、ツムギが生み出してくれたものだから。  廊下には、窓から西陽が静かに差し込んで、道ができていた。  そんな光の道が途切れるまで歩いたあと。  ふと振り返ると、今まで辿ってきた光が足跡のように思えた。  私は静かに微笑んで、自分の病室の扉を閉めた。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加