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ハル3
それから数日間。ツムギが部屋を訪ねてくることはなかった。若干の寂しさもあったが、詩作に耽る私にとっては些細なこと。むしろその寂しさで一句読んでやった。
時に「夜更かしするなら書かせません!」と鬼の幸子に紙とペンを取られ、取り返しの駆け引きもしつつ。
やがて私が書いた詩たちは、新人賞で大賞を勝ち取ってきた。
ありがたいことに担当さんも着いてくれることになり、ついでに素敵なペンネームも得た。
今はその名前と賞の通知を手に、ツムギの病室に向かっている最中だ。
私は幸子に見つかった時どやされないように、と廊下を早歩きで進む。
不思議と詩作に取り掛かった頃から、私の中の病魔は活動を停止し始めていた。……そうだ! ついでにそのことも教えてやろう、さぞかし大きな声で驚くだろうな。
想像笑いを堪えるために深呼吸した後。
私は勢いよく、ドアを開け放った。
「ツムギ!」
「うわぁどしたのせんせ!?」と、松葉杖を倒して驚くツムギは。
いなかった。
「…………え?」
私の声が誰もいない病室に響く。
カーテンは陽光に当てられて、サラリと透けている。
私はその、埃だけが静かにきらめく部屋へ立ち入った。
「ツムギさんなら、とっくに退院しましたよ」
「うわ幸子!?」
「せめてさんをつけなさい……」
背後から声をかけられ振り向くと、やたら顔の彫りが深い女性が立っていた。その白いナース服の下には、実に固そうなナイスバディが詰まっている。
「ツムギは、もういないのか?」
幸子に詰め寄って尋ねると、退がりながら返された。
「ち、ちょうど昨日」
「そう、か……」
それまで通知を握りしめていた右手の力が、ふっと抜けた。
部屋の表札が目に止まり、口が動く。
『紡木 紗夜』
「つむぎ、さ……よ?」
「さや、[[rb:紡木 紗夜 > つむぎ さや]]さんですよ。あなた……あれだけ仲がよかったのに知らなかったのですか?」
「ああ……全く」
ツムギ、って苗字だったんだ……名前みたいだな。
いやでも多分、出会ってすぐの頃に言われた気がするな。もう思い出せないし、確認できる気もしないけど。
悔しさを飲み込むため、右手の指に力が入る。
目線が下に向きかけたところで、幸子が大きくため息をついた。
「……全く。あなたに紡木さんの連絡先は教えられませんが、その通知のことは伝えておいて差し上げます。だから、さっさと自分の病室に戻りなさい!」
「さ、幸子ぉぉ!」
「だからさんをつけなさい!」
病室に帰る最中、私は決して俯かなかった。
たとえ遠く離れてしまっても、ツムギからもらったこの気持ちは無くならない。
この気持ちは私が死んでも燃え続けるものだと、確信があった。
だからなんとしても、彼女の元までこの名を轟かせよう。
『月詠 帳』
この新しい名前と詩たちは、あの夜、ツムギが生み出してくれたものだから。
廊下には、窓から西陽が静かに差し込んで、道ができていた。
そんな光の道が途切れるまで歩いたあと。
ふと振り返ると、今まで辿ってきた光が足跡のように思えた。
私は静かに微笑んで、自分の病室の扉を閉めた。
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