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 リンゴの果汁で喉を潤しながら私は言った。 「もし私が死んだら、個展でも開いてよ」  編集者の野谷さんは、少し呆けた顔を浮かべたあと、泣きそうな顔で叫んだ。 「そんなこと言わないでくださいよ月詠先生!」  予想以上に過激なリアクションが返ってきて、思わずたじろいでしまう。 「ああいや、別に死にたいんじゃなくて……ほら、万が一にでも、不測の事態で? 死んだらどうしようか、と」 「それでもですう……」  野谷さんのもちっとした丸顔が険しく歪む。  私はその顔に根負けし、彼女の肩に手を当てた。 「悪かった、もう死ぬとか言わんから」 「だって先生が死んだら私の稼ぎが減っちゃいますよ……」 「稼ぎの心配かよ」  入賞してプロになった後、一度は退院したものの。  病がぶり返して、私は再び病院で暮らしていた。病状は、ハッキリ言ってかんばしくない。  だがそれより重大なことがある。  ツムギと別れてからもうしばらく経ったが、連絡が何も来ていないのだ。  まあ、子供との口約束だったし? そう不貞腐れることで自己防衛してはいるが。 「ツムギ、元気かなぁ……」と、つぶやいてしまう毎日だった。  フルーツバスケットの果物を次々平らげながら、野谷さんが言う。 「ツムギさんって、先生の思い人でしたっけ?」 「言い方、あとそれ私のなんだが……」 「ウヘヘ美味しいですよ?」 「いやもういいよ、食欲ないし……」  さようで、とフルーツを飲み込み野谷さんは続ける。 「でも、個展を開いたら来てくれるかも知れないですね」 「そう? 口約束だと思って待ってないかも……」 「それを言うなら相手も、口約束だから待たれてないかも……と思ってる可能性もあります」 「たしかに……」  おてんばちゃんだと思っていたら、こういう所が鋭い。  野谷さんはパイプ椅子から立ち上がると、拳を己の胸に当てた。 「なんにせよ、個展の方は私に任せてください!」 「なら、一つお願い。会場にして欲しい本屋があるんだ」 「いいですけど、何でですか?」 「昔、お世話になった人の店なんだ。西荻窪の……」  野谷さんに店の住所を教えながら思い浮かべていたのは、あのたくましいナイスバディだった。
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