東京

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彼がようやくクロアチアから帰ってきたのは、もう秋も飛ばした11月のことだった。 3ヶ月ぶりに会えた私を何度も抱くベッドの上で彼の存在を肌で感じれば、一生懸命寂しさを飛ばした私の心が少しづつ満たされていくのがわかった。 彼の腕の中にいられる事が幸せで、愛の言葉が愛しくて、このままずっと彼の愛に包まれていたいと、彼の隣で目を凝らした。 タバコを取り出す時の指先。 火をかざす時の少し傾けた横顔。 シャツの襟元に触れる手のしぐさ。 腕時計を外したあとの、手首を回すいつもの癖。 そう、私は彼の何もかもをよく見ていた。 彼の全てを感じ取りたいという気持ちで、彼を見つめた。 のんびりとただ彼の隣にいたかったけれど、入社3年目になった私には先輩編集者のサポート役という仕事が任されていて。 打ち合わせの店を決めたり、旅をしながらエッセイなどを書く紀行作家たちの執筆スケジュール管理をしたりと、職場を出ても調べなければいけない事が沢山あった。 彼といる時間にもスマホが手放せない事も多くなり、手帳とスマホを交互に睨みつけながら頭を悩ませる私に彼は声をかけた。 「そんなに今詰めて仕事をするのはやめな。カードを持ってるだろ?」  「あなたから預かってるやつのこと?」 「そうだよ。その後ろに書かれた番号にかけてごらん」 私は言われた通り、財布の中からいつも使っているアメックスのカードを取り出した。 「かけてどうするの?」 「それはこのカードを持ってる人だけがかけられる番号なんだ。要件を伝えれば、どんな事でも全部代行してやってもらえるよ」 「代行って、こういう飛行機の予約とか?」 「それもそうだし、旅行先のレストランを探して予約してもらったり、手土産を渡したいって言えば代わりに買って来てくれたりもする。基本的に出来ないと断られる事はないだろうな」 このクレジットカードは、ブラックカードの中でも特別なカードである事は知っていた。 年収が億を超えているのは最低条件で、その中でもカード会社側から招待された人だけが持てる上限の無いカードだった。 このカードを保有している一人一人には専属のコンシェルジュが付いており、電話をかければ24時間体制でどんな要望にも応えてくれるというのだから、お金持ちの世界というのは本当にどこまでも庶民の世界とはかけ離れている。 「でも.....私がしたんじゃないってバレない?」 「予約の名前は君にして貰えば良いし、航空券なんて誰が取っても同じだろ?」 「そうだけど...全部任せちゃうっていうのは、会社員でお給料貰ってるのにサボってるみたい」 「時間は大切にしないと駄目だ。誰でも出来る事なんて君がやる必要ない。人に任せるべきだよ」 確かに彼と会ってる時は仕事なんてしたくないのは本音だし、私よりもプロが探した方が完璧なものが提案されるのは事実だろう。 それに任せてしまえば、打ち合わせの店を気に入って貰えなかったらどうしようとか、飛行機から列車への乗り継ぎは間に合うだろうか。なんて怯えながらその日を待つ必要もないのだ。 私にとって、彼と一緒にいられる時間は何よりも大切な時間で。 そんな大切な時間を有効に使えるのなら、電話一本で終わらせてしまうのもありかもしれない。 「ここにかけて要件を言えばいいの?」 「ああ、そうだよ。あとついでにこの品番を探してくれるように言ってくれるかな」 「腕時計?」 「そう。これの黒ならいくら出しても構わないと伝えて」 私は恵比寿で接待に使えるおすすめの店を4人で予約してほしいということと、飛行機の手配、そして時計の品番を伝えた。 結局コンシェルジュが予約したレストランは作家にも編集者にも太鼓判を押され、紀行作家のスケジューリングも完璧で、私の手柄になった上に楽をした。 そして彼の欲しがっていた腕時計も、プレミアのオークションにかけられているのをコンシェルジュが発見し、もうすぐ億の値段がつく手前で落札したのち、彼の手元へと届けられた。 寂しさを紛らわす暇つぶしも、大切な時間の有効活用も。 すべて行えるカードというのは、本当に便利なものをプレゼントしてもらったな。と真っ黒に輝くカードを見つめた。 アメックス特有の兵士のデザインは"大切なものをお守りする"という意味のモチーフだそうだ。 私はこのカードが自分にとって何よりも強い味方に思えて、指先で少しなぞると愛おしむように財布の中へとしまった。 このカードを上手く使おう。 自分の為に。そして彼の為に。 このカードさえあれば、私の心も、仕事も、もう怖いものなんて何もない。 こうして私はブラックカードの3つ目の使い方を知ったのだ。 . . .
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