東京

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. . . あの頃の私は「自分」というもののカラーが確立されてしまっていたと思う。 心を悟られず、どんな男にも好意を持たれる理想的な感じになっていた。 彼が体に刻み込んだエロさが色気として出ているのか、それとも愛人特有のバカじゃなくて口のかたい従順そうなオーラが私にまとわりついているのか。 とにかく私の周りには、いつも男が群がっていた。 その誰しもがベッドの上での姿を想像させたくなるいやらしい女の香りを感じ取り、その匂いに反応している事を必死に隠しながら近づいてくる。 そして香りのもとである私が口を開けば、文学のことなんて知的ぶって話し出すから落ちない男がいなかった。それぐらいモテた。 不倫を始めて3年が経とうとしていた梅雨。 その時わたしは女も知らなそうな新入社員の男の子に、ストーカーのように付き纏われていた。 最初は食事に誘ってくるだけだったのに、私が断り続けると何度もしつこく電話をかけてきたり、あとを追って同じ電車に合わせて乗ってきたり、とにかく普通とは思えない行動をされ続けた。 あまりに度を超えた執着さに警察か上司に相談しようかとも思ったのだけど、トラブルを起こす人間だとは思われたくなかったし、人の少ない編集部であまり事を大きくする訳にはいかないと話すのをやめた。 私が我慢すればいい。 この問題の解決点はたったそれだけの事だったけれど、それよりも彼に会いづらくなってしまった事が私を一番に悩ませていた。 おかしくなってしまうほど私に執着したあの男の子に、彼と会っていると気付かれたら... 男がいるというだけでも何かされそうなのに、不倫をしているなんて悟られたら... 今までバレないように不倫を続けてきたとはいえ、あの男の子と私の距離は近すぎる。 毎日同じ編集部で仕事をする私の行動を把握するなんて、簡単な事だろう。 こっそりとタクシーに乗ったとしても後をつけられたら終わりだし、携帯を見られでもすればそれこそお終いだ。 なので私は携帯と財布は片時も離さずに持って歩き、なるべく編集部では彼と2人にならないよう常に誰かのそばにいた。 彼の泊まるホテルのフロントにも訪ねて来た人がいても絶対に伝えないようにと伝言したり、彼との連絡はやり取りを終えたあとで必ず消したり。 とにかく日々、気を揉んで大変だった。 彼と過ごすレストランでもどこかで見られているんじゃないかと不安になり、編集部でも目線を気にしながら仕事をする。 家に帰れば外にいるんじゃないかと恐怖を覚え、落ち着かない。 そんな片時も息の抜けない生活は、神経が伸びきってしまいそうなほどの疲れを私に与えた。 自分が出来るだけの対処法は全てしていたつもりだったのに、夏の盛りが過ぎた時。 私のデスクの裏に盗聴器が貼られていた事が問題になり、風紀を乱されるのは困る。と言われた事を口切りに、新入社員の彼はクビになり、私はあっさりと部署を異動になった。 こっちが被害者だというのに、どうして私まで異動にならなきゃいけないのかとため息が出たけれど、この3ヶ月気を揉み続けた私は心底疲れ果てていて、決められたことに反論する気力もなく、言われるがままに違う階へと身を移した。 6階にある新しい部署の扉を開けば、そこには顔も見た事がない社員たちが同じ形のパソコンを前に肩を並べて座っていた。 端にある空いた椅子に腰掛ければ、ギーッと古びた事務用椅子が音を立て、少しだけ窓から差し込んだ夕日に埃が舞って見えた。 身を移したこの新しい部署は、同じ会社とは思えないほど仕事内容が違った。 活字を扱ってきた私に与えられたのは、膨大な量の数字で。 これをパソコンに打ち込んでいけと置いていかれた書類は、私が飲んでいたペットボトルの三分の一ほどに積み重なっていた。 こんなの外注した方がよっぽど早いと思うけれど、厳しい出版業界ではそうも言っていられないんだろう。 朝から晩までエクセルに数字を打ち込み続け、データを送る。 目を瞑るとパソコンの画面が瞼の裏にまで焼きついて、ことごとく私を疲れさせる。 何一つ楽しくない。 私は何のために小4から塾に通い、お金持ちではない一般家庭の家計を圧迫しないよう、国立の大学に行けるほど勉強したというのだろう。 こんな数字を打ち込むことくらい、その辺のアルバイトでも出来るはずだ。 私がいるべき場所じゃない。 そう威張りたくなるけれど、手も遅いし、慣れない作業でミスはするし、同じ部署の社員が小声で話していると私の事を言われてるのではないかと、どんどんと自信がなくなってくる。 飲み会に誘われても、この間のような問題が起こるのは本当に御免で、声をかけてくれてありがとうと、いつも断った。 飲み会にも来ない、まともに話もしない、それでいて仕事は自信がなさそうな女なんて誰も信頼しない。 経理部の中でも予算を貰ってくるような花形の仕事は預けて貰えず、私は新しい部署で1人だけ孤島のように浮いていて、毎日深夜まで数字の山を片付けていた。 . . .
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