捕食する日々

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 僕は昔、山奥の小さな村に住んでいた。5歳くらいだったからあまり覚えていない。自分がどこにいたのか、とかどんな生活だったのかとかは微かに覚えている。  僕は一人ぼっちで小屋の中で暮らしていた。小屋から出ることもなく、毎日一人の女の子が水や食事を持ってきてくれた。  そして、ある日一人の男がやってきて僕を小屋から連れ出した。初めて車に乗って、長い時間をかけてどこかへ運ばれた。その時窓から見た海の景色は鮮明に覚えている。  普通じゃない日常だったのかもしれないが、僕はそんな日常しか知らない。保育園と小学校を経験していない。  実は、村を出た後から竹田の家に行くまで、あまり記憶がないのだ。でも、竹田の家に養子として向かった時には言葉が喋れたし、そのまま中学にも通った。  そうして普通じゃない僕がいつの間にか普通の中に溶け込んでいって、今となってはそんな過去があるとはだれも思わないほどのありふれた人間になってしまっていた。  今は、3年勤めていた仕事を辞めて、貯金を削りながら無職生活を送っている。  そんな僕の。一番普通じゃない部分。  高校生になってから、竹田父に教えてもらった僕の村の話。  僕の村は人喰文化が残っていた村だった。竹田父が見せたのはある記者の記事であり、その記者が僕を小屋から出した人物だった。  戦時中にできた村であり、山の中の軍事基地から逃げ出してきた徴集兵たちが起源とされ、周囲の地区では山賊として彼らのことを描いた文献も見つかったという。  しかし、どの地点で人喰を始めたのかは不明であり、その文化も形骸化し、今では神聖な儀式のようなものになっていたという。  各世帯は生まれた男児を一人家畜として育て、成長したその子を定められた祭りの日に調理し、村人全員にふるまう。  村人の数を増やしすぎないための制度なのではないかともいわれていたが結局取材を行っても村人にとってはそれが当たり前の行為であり、起源や意味を理解して行っているものはいなかった。  記事の内容は大体そんな感じだった。何度も読み返したけど、結局何もわからなかったという結論だから、実感も感傷もなかった。  自分にとって小屋の世界がすべてだったし、食われていたかもしれないなんて意味が分からなかった。「そうなんだー」と他人のように思うだけだった。  ただ、人生の中でつらいことがあった時、少しだけ「あの村で喰われていたら」と思うことがあった。
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