Manfredi di Svevia

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Manfredi di Svevia

 私が推しとして昔から追っているマンフレディについて。    彼の生没年は1232-1266、ドイツ発祥のホーエンシュタウフェン(Hohenstaufen)家の一員で、シチリア王になった人物です。  神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世の庶子として生まれるも、母親ビアンカ・ランチアと父親が極秘結婚したのを機に正嫡に直されたと言われています。  Burg Weibertreu(https://estar.jp/creator_tool/novels/25570255)に登場したコンラート三世はシュタウフェン家に王冠をもたらした最初の人物で、彼の甥っ子がフリードリヒ一世帝、別名バルバロッサ(赤髭)として有名になる皇帝です。  マンフレディは、このバルバロッサ帝のひ孫に当たります。  系図だと、バルバロッサ→ハインリヒ六世→フリードリヒ二世→マンフレディになります。  西洋中世史では始祖のコンラート三世、バルバロッサ、フリードリヒ二世はそこそこ名前が知られていても、元庶子のマンフレディは治世も短く、若くして戦死するため超マイナーなキャラです。  そんな人物を、なぜ推すようになったのか。  きっかけはごく単純で浅はかなもので、ダンテの「神曲」煉獄編第三歌で、イケメンと書かれていたからです。  しかも亡くなったのが34歳(夏生まれで2月に敗死したので厳密には33歳)という若さで、そこにも興味を引かれたのです。  「神曲」は実在の人物を大勢登場させているとはいえ、あくまでフィクションの詩です。ダンテも第三歌を創作するにあたってマンフレディをあえて美しく描いて場面を盛り上げたのだろう、最初はそう軽く考えていました。  ――じゃあ、実際の彼はどんな人物だったのか?  私ごときが抱く疑問は全世界のダンテ研究者もとっくに抱いたようで、どの言語の神曲解説本にも「マンフレディははたして作中の描写通りイケメンであったのか」についての大真面目な注釈が詳しく載っていました。  美男美女ネタに乗り気になるのは研究界でも同じなんだな…としみじみしつつ、辞書片手に必死に読み解きました。  結果。  史実でも、ダンテの描写そのままの美男だったらしいということが判明しました。 “中背で金髪白皙、美しい面立ちで頬は紅く、目は輝きを帯びている” “彼の美貌はこれ以上完璧にしようがない” “放蕩者だったが美男で教養高く快活で寛大、奏楽も巧み”  当時の年代記に書かれた、大袈裟すぎると突っ込みたくなる褒め言葉です。  ひとりが書いたなら「彼の大ファンの贔屓目」で終わりますが、これは複数名の証言なので、王族への空世辞というよりもそれなりの信憑性はあると見て良いでしょう。  実は、神曲に名前が登場する人物は総勢で一千名以上にのぼりますが、その中でマンフレディほど見た目を称えられ詳しく描写された人物は他にいません。  研究者たちはその特別扱いに早くから着目し、一次資料に当たったため、解説本にはマンフレディの容姿性格に関する史実とダンテの創作心理を絡めた見解がたくさん載っていました。  歴史では超マイナーなキャラであるがゆえに、彼に関する情報は中途半端な西洋史本よりも神曲解説本のほうがはるかに多く記載されているほどで、ダンテ研究者たちの本気度が窺い知れます。  このあたりの話は、また後日。 ※ ※ ※  このたび、この文章をいきなり書き始めたのは「彼(マンフレディ)の甘い銀の声(sweet, silver-toned voice)は、彼の温厚で丁寧な物腰と素晴らしい美貌と共に、彼の魅力のひとつとしてたびたび書かれている」という新たな一文をネットで発見してしまったからです。  銀色の声とは、いかなる響きなのでしょう。  “銀鈴のような声”という形容と似た意味を持つのでしょうか?  とにかく現代でいうところのイケボなのは文脈からしても間違いなく、美貌に加えて美声の持ち主だったのか!と嬉しくなって唐突にご紹介をはじめた次第です。  今後も彼の話題に限らず、思いつくままにページを追加していきます。  歴史への妄想熱意はそこそこあれど、しょせん素人で詳しくありません。こんなキャラが実在していたのか、くらいの気軽なお気持ちで読んでいただければ幸いです。  よろしくお願いします。
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