親友

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親友

 歴史や神話の英雄でよく「親友」という単語が出て来ますが、ぶっちゃけ友情だけでなく同性愛関係もあったのでは?と勘繰りたくなるような親密な関係が散見されます。  特にアレクサンドロスとヘファイスティオン、孫策と周瑜はイケメン主従であり無二の親友でもあったことは史実ですが、ふたりして姉妹(孫策と周瑜は演義でも有名な喬姉妹)を娶って義兄弟になったのはかなり怪しいのではなかろうかと。    個人的に、恋愛関係があったか否かで云えばこう解釈しています↓    ・アキレウスとパトロクロス→あった  ・アレクサンドロス大王とヘファイスティオン→あった  ・孫策と周瑜→限りなくグレー。たぶんあったと思う    そして、マンフレディにも親友と呼ばれ、死を共にした男性がいました。  ローマの貴族、テバルド・アンニバルディです。  どの史書にも“若き親友”と表記されることから、おそらくマンフレディより年下であったと推察されます。    二人の関係について背景を説明します。  イタリアのヴェローナを舞台にした「ロミオとジュリエット」で、実家同士がなぜ対立していたかというと、皇帝党と教皇党の喧嘩が元です。  中世イタリアの歴史とこの喧嘩は、切っても切れない関係です。  実はテバルド・アンニバルディはローマ教皇党の大物、リカルド・アンニバルディ侯の甥でした。  つまりロミジュリのリアル版、それも超大物版。  1266年2月のベネヴェントにおいてシャルル・ダンジュー伯率いる仏軍と両シチリア王国軍が激突、後者側の戦況が悪化してもはや討死しかないという状況に陥ったとき、テバルドは軍服をマンフレディと交換し、一緒に敵に突入して戦死します。    なぜ彼が敵方の王の親友となり、最後まで逃げなかったのか、いまだに私は分かりません。    アンニバルディ侯は教皇党の中でも存在感の大きい人物です。  教皇庁の所在地ローマで教皇党を束ね、シャルル・ダンジュー伯の案内人を勤めたほどなのです。  その甥に生まれながら敵王に最期まで寄り添い、軍服を交換(マンフレディが生け捕りにされないためか、死後の略奪と狼藉を身代わりに引き受けるためと思われます)してまで尽くしたのは忠誠心なのか、友情なのか。  それともそれ以上の感情が彼に、あるいは双方にあったのか…  私が読んだ範囲の史書には「若き親友」としか書かれていない関係ですが、非常に謎めいています。    そして死屍累々の戦場で装束を剥ぎ取られ、雑兵に混じって横たわる甥の無惨な亡骸を発見したであろうリカルド侯の無念は察して余りあります。  乱世のならいと言ってしまえば、それまでなのですが。
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