いつの時代も

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いつの時代も

 シュタウフェン家の主な人々の家系図を出さなければと思っているのですが、まずこちらのネタを消化しておきます。  ツイッターで書いたことのあるネタですが。  ノートが手元にないため典拠は失念しましたが、おそらくG.Massonのフリードリヒ二世伝に載っていた話ではなかったかなと。    当時の両シチリア王国はルチェラにサラセン軍団を常駐させるなど、王国お抱えのサラセン人が多数住んでいました。    外国人、それも東洋の人々であるサラセン兵をなぜわざわざ養うのか?  そのメリットは何と言っても教皇の破門脅迫を当人たちがスルーできることです。これがキリスト教徒の兵士ですとやはり動揺してしまいますが、イスラム教徒である彼らは「破門? 別に俺らキリスト教の信徒じゃないし関係ないわ」で終わりです。  この兵団のみならず東洋人学者も宮廷にたくさんいる王国内ですから、サラセン人が右往左往していることは他国に比べると決して珍しくはなかったのですね。    そんな王国の街を眺めた年代記作者が書き残して曰く。  『街では異教徒風と西欧風の入り混じった珍妙な格好をした女たちがあちこちで立ち話をしている』    彼(作者)は「地元の西洋人女性が“異教徒”ふうの格好をしている。けしからん」と言いたいのでしょうが、私は「いつの時代も女性はいろんな文化を取り入れた最新流行のファッションが好きで、知り合いと長い立ち話をするんだな」というポイントで微笑ましく感じてしまいました。    同じG.Massonの本には、フリードリヒ帝が支配する前の両シチリア王国内では識字率が10%台だったのが、マンフレディが亡くなる直前にはたしか60%以上になっていたと書かれていたように思います。  両名が啓蒙にも力を入れていたことがよくわかるデータです。 ※2022/09/16付記※  Nicholas of Jamsillaの年代記の英訳「Frederick, Conrad & Manfred of Hohenstaufen, Kings of Sicily: The Chronicle of "Nicholas of Jamsilla" 1210-1258」を入手して解説を読んだところ、この文章には「すばらしい街だ」という一文がまず冒頭につく上、作者は実はアラブ側で、ノルマン王朝時代のシチリアを旅した際の手記だそうです。  ということは意味がまったく逆になり、「キリスト教徒の女性がサラセン風の衣装を着て街でお喋りをしている(=それが許されるほど多国籍で自由な街)」という称賛になります。  G.Massonを読んだ時はラスト一行しか引用されていなかった上に作者の背景がなかったため、西洋人年代記作者の記述だとすっかり勘違いしてしまいました。お恥ずかしい限りです。  浅学を深くお詫びします。
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