年代記

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年代記

 Nicholas of Jamsillaの年代記の英訳「Frederick, Conrad & Manfred of Hohenstaufen, Kings of Sicily: The Chronicle of "Nicholas of Jamsilla" 1210-1258」を入手しました。    西洋史に嵌っていた当時は原本のラテン語とイタリア語訳しかなく、ずっと諦めていたのですが、英訳がようやく出て嬉しいです。  マンフレディ存命時に宮廷で編纂された年代記らしく、基本的にヨイショが多い雰囲気ですが、臨場感は捨てがたいです。辞書と最強DeepL様を頼りにぽつぽつと拾い読んでいますが、第一印象は「どいつもこいつも寝返りまくり」に尽きます。  シチリアのバローネ(土豪)の節操のなさは歴史家にも呆れた語調で触れられがちですが、それ以外の貴族も本当にひどいというか、フリードリヒ帝という重い存在がいなくなったあとのパワーバランスの崩壊が如実に伝わってきます。  長年に渡って君臨してきた君主が突然崩御した上に、生き残っていた嫡子も庶子も経験浅い若者揃いでは、混乱しない方が無理なのかもしれませんが…。 (一番年嵩の嫡子ハインリヒ七世は九年前に自殺、次に年長の庶子エンツィオはボローニャで投獄されていた)  この本にはたった十八歳のボンボンであるマンフレディが父の遺言で南伊を任され、海千山千の敵と粘り強く交渉し、騙されては騙し返し、和平のテーブルを設けても弓矢で返答を寄越した者には攻撃で報い、国内の街を辛抱づよく平定して行った過程が詳しく描かれています。  優秀なブレーンも大勢いたにせよ、トップである若き皇子の味わった心身の労苦たるや、まさに想像を絶します。気の休まる暇もなかったことでしょう。  とはいえ、温室育ちの貴公子なりに挫折と成功体験を交互に積みつつ成長して行く様も、読んでいるこちらは面白いです。  給料が欲しいと使者を介して言ってきたチュートン騎士団(ドイツ騎士団)は、もしマンフレディがお金を払わなければ街を略奪する気満々でした。そのとき手元不如意だったマンフレディはあわてず「使者をなぜ武装させたのだ?」と先方の非礼を非難し、続けます。「もし私に圧力を掛け続ける気なら、君たちは私の父が誰であるかを思い知ることになるぞ。きちんと儀礼にのっとって非武装の使者を立てたなら、君たちの望む答えが得られるだろう」と。  要は時間稼ぎとはったりでしょう。  が、舐めてかかっていた先方も「血筋というべきか、若造だが脅しがきかんな…」となんとなく納得して非武装の使者を送り直してきたのです。さすが皇帝家の皇子様。  その姿勢を評価したマンフレディも「なるべくすみやかに給金を払う」と約束するオチですが、まず兵を味方につけて動かすにしろ一事が万事こんな調子ですから、とにかく面倒です。  続けてNicholasは「軍事訓練を受けていない、髭が生えはじめたばかりの若者(マンフレディ)がこうも早く都市を制圧して行くとは誰も思いもよらなかった」と書いています。  しかし英訳者は解説で「彼は皇帝家の皇子として高度な訓練は受けていたはずで、騎士の叙任も当時一般に二十歳前後に行われるものを、おそらく彼は十五か十六で受けたと見るべき。だからこそ他の騎士よりも若い彼が勇猛に戦う姿は周囲を驚かせた。肉体が未完成(髭が云々~のくだり→少年に近い、という箇所を指す?)という記述は読者の目を惹くためとはいえ誇張がすぎる。当時の彼はすでに二歳の娘(後のアラゴン王妃コスタンツァ)の父親だったのだ」と冷静に突っ込んでいて、私もそうだよなと頷いてしまいました。  他にもネタがぽつぽつあったのですが、これは後日。    ひとつ面白いと思ったのは、当時の人々が戦争の勝敗をも「神がそれを望むか否か」と捉えていたことです。  教皇派v.s.皇帝派の戦いですからよけいにそういう視点があったのかもしれませんが、易姓革命の「天命」にも似通った考え方だと感じます。  皇帝冠も王冠も高位聖職者が頭上に載せることではじめて「戴冠」と認められるように、人間の力が及ばぬとされる「神」「天」の存在は古今東西を問わず、かくも絶対的だったわけですね。    英訳者も解説で「なぜオッタヴィアーノ(枢機卿)がマンフレディと対峙しても動かなかったのか。マンフレディはこの戦争に王国の生命を賭けていた。他方、オッタヴィアーノも大敗した場合、シチリア王国を攻撃して領土を増やそうとする教皇の野心が神意にそぐわぬと解釈されるかもしれず、それが教皇の威信に軍事的な損失よりも大きくダメージを与えるであろうことを危惧していた(=だから勝負を避けたのではないか)」と記述しています。  王国の存亡を一身に背負っていたマンフレディと、教皇の威信を背負った枢機卿や貴族たちの戦いは、まさしく死闘です。    宗教は数と精神的な優位を保たせやすいものです。  嫡子よりも正統性が劣る出自で、なおかつ教皇庁の圧倒的な“神の力”を前にしながら、マンフレディはよく十六年もしのいだな…と判官贔屓の視点でしみじみしてしまいます。
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