バイロンの詩劇「マンフレッド」

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バイロンの詩劇「マンフレッド」

 p.14(https://estar.jp/novels/26014382/viewer?page=14)で少し触れたバイロンについて。  モンテ・クリスト伯のドラマ化が話題になっていた際に書いた短文です。  近親相姦話が出てくるため、行間を空けます。  苦手な方はスルーください。  モンテ・クリスト伯の原作中で、登場人物が伯爵を「まるでマンフレッドやララのような方」と評する台詞が複数回出てきます。マンフレッドもララも、バイロンの詩の主人公です。  当時のバイロンの流行をデュマもすかさず取り入れたのでしょう。  詩劇である「マンフレッド」は、姉妹と禁断の恋に陥り、彼女を破滅させた主人公マンフレッドが知に絶望しているお話で、チャイコフスキーがこの作品をもとにマンフレッド交響曲を作ったことでも知られています。  バイロンも異母姉と恋愛経験があるので、自分に仮託してストーリーを作ったと言われています。  マンフレッド(Manfred、英)=マンフレディ(Manfredi、伊)。  名前がシチリア王のマンフレディと同じです。  バイロンがこの詩劇を作るにあたって、性格はファウスト、名前はシチリア王マンフレディから拝借した、というのが海外での一般的な見方のようで、翻訳者の阿部知二氏も「13世紀シチリアに存在した梟雄に名のみ借りたのであろう」と書いておられます。  当時は歴史学でもロマン派といいますか、マンフレディを「悲劇に遭った美貌の青年王」とする見方が流行していたので、バイロンもそれに乗って名前を借りたのでしょうか?  しかし「神曲」では有名でも歴史上でメジャーとは言いかねる彼の名前だけ借りるというのは、いささか唐突では…とずっと引っ掛かっていました。    そしてある日、ランシマンの「シチリアの晩鐘」に目を通したとき、ある注釈に驚きました。  マンフレディが敗死したのは、彼の同母姉ヴィオランテ(妹の説もあり)と結婚していたカセルタ伯爵の背叛も原因のひとつというのが通説なのですが、その背叛がなぜ起こったかについて、ランシマンが「マンフレディが伯爵の妻、つまり実の姉妹を誘惑したから」という俗説を紹介していたのですね。  もしもバイロンが、姉妹と恋愛関係にあった(かもしれない)というマンフレディの俗説を知っていたとしたら?  この詩劇の主人公の名前として選んだのも妙に納得が行きます。  今回、改めて海外サイトやブログを検索すると「バイロンは自らが経験していないこと、知らないことは書かない」そうなので、とすれば哲学者で美男のマンフレディと姉妹のヴィオランテの俗説に自分たちの姿を重ねて「マンフレッド」を着想した可能性もありそうな気がします。  いずれにせよ、なぜこの名を用いたのかはバイロン本人しか分かりませんが、素人なりにとりとめもなく書いてみました。
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