盛大なネタばれと歴史の勝者敗者

1/1
前へ
/22ページ
次へ

盛大なネタばれと歴史の勝者敗者

 フリードリヒ帝の嫡子やマンフレディの母方の話もまだですが、結末を盛大にネタばれします。    シュタウフェン贔屓の中には、シャルル・ダンジュー伯の名前にネガティブな感情を覚える方もいらっしゃると思います。  フランス王ルイ九世の弟で、教皇と手を組んでマンフレディを敗死させ、あろうことかコンラート四世の遺児コンラディンを大衆の面前で斬首し、両シチリア王国を簒奪した人物。  つまり、シュタウフェンを滅亡に導いた存在です。  たぐいまれな野心と才能と運に恵まれた人物だったのは確かですが、その力は教皇の威光を借りたものであったことは否めないと感じています。    アンジュー伯は以降も躍進を続け、地中海に覇権を広げて行きました。  ところが。    マンフレディの娘婿であり、両シチリア王国から亡命してきた遺臣らを匿っていたアラゴン王ペドロ三世が「嫁が親父さんと従兄弟殺されるわ故郷を乗っ取られるわでショック受けてるし、ちょうどいい口実だし、シチリア王国にちょっかい出してみよ。え、教皇が余を破門する? しらんがな」という非常にパワフルなキャラで、シチリア晩鐘戦争でアンジュー伯をナポリに追い出します。  シャルルはシチリア島の奪還を試みますが、果たせぬまま亡くなりました。  教会側はマンフレディが亡くなったときに狂喜乱舞し、破門されていたからという理由で正式な埋葬もせず、雑兵たちが悼んで戦場に葬った彼の亡骸をわざわざ暴いて遺棄し(そのため彼のお墓は現存しない)、すさまじい悪口雑言を書き残して死後の名誉も徹底的に貶め、記録からも葬ろうとしました。    ですが、皮肉なことのその行為が逆に「人間の罪への裁きと神の救済を、教皇が決めて良いものなのか。神の御意志はもっと高い次元にあるのではないのか」というダンテの疑問と義憤を生みました。  そして世界的名作である「神曲」で、マンフレディはほぼ一歌分のスペースを与えられるという破格の扱いで格調高く謳われ、悲劇的ではあっても美しい姿を後世の大衆に広く伝えられることになったのです。    歴史は強者と勝者の記録とよく言われますが、敗者のことも完全に忘れ去られるわけではありません。  「神曲」の中で大きく取り上げられ、古典のページに永遠に名前が残ったことは、歴史のただの記録よりも力強いものがあります。  そういう意味では、教会が必死に書き残した彼の悪口もあまり意味がなかったかも…?
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加