お妃様のお産は大変

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お妃様のお産は大変

 バルバロッサ帝の跡継ぎであるハインリヒ(後の六世)と、ノルマン王家の生き残りコスタンツァ王女の結婚が決まった時、教皇庁は動揺しました。  ハインリヒはドイツを中心とした神聖ローマ帝国を継ぐ男子で、コスタンツァはイタリア半島の南半分とシチリア本島を領土(このため“両”がつく)とする両シチリア王国の継承権を持つからです。    みなさまご承知のとおり、教皇庁はローマにあります。  両名が結婚すると、ローマは夫妻の領土に南北から挟まれてしまいます。  これで二人の間にもし男子が産まれたら、どうなるか?  ――生まれながらにして神聖ローマ皇帝で、なおかつ両シチリア王という怪物の誕生です。  こんな代物が現れてイタリアに居座ったら大変なことだと、教皇庁内はざわめいたのです。    が、当初こそ焦った教皇庁でしたが、すぐに気を取り直しました。  ハインリヒ皇子が二十一歳の若さでも、妃のコスタンツァ王女が三十二歳だったからです。    医学が現代ほど発達していなかった中世当時、既婚で出産経験があるならともかく、三十過ぎての初産は困難と思われていました。  とてもとても失礼な話ですが、彼らにしてみれば「三十代で初婚では子供が出来るはずがないて」という感覚だったようです。  実際にコスタンツァはなかなか身ごもる気配がなく、四十歳のときにようやく出産に至りました。  ご想像がつくと思いますが、これがまた物議を醸しました。  懐妊した際に「四十歳で出産なんておかしい!」「怪しい薬でも使ったか」「どこぞでよその子を貰って来る気だ」と疑われ、イエージという街で屋外にテントを張り、身分高い女性たちが証人として見守る中で出産せざるを得なかったのです。    現代でもお産は命がけです。  中世であればなおさらで、手厚い看護が受けられる王族や貴族の女性ですら産褥で落命する事例が多々あったのです。  その時代の高齢出産となれば超のつくハイリスクですのに、こんなことを疑われてわざわざ屋外のテントで、しかも市民の前で産まなければならなかったとは皇帝のお妃様も大変です。気の毒すぎます…。    教皇庁の楽観的な期待もむなしく赤ん坊は無事に生まれ、しかも男児でした。  三年後に父が、四年後に母が病死するため、帝国の命綱ともいうべきたったひとりの嫡子となりました。  洗礼名は父方の祖父フリードリヒ=バルバロッサ帝と母方の祖父ルッジェーロ二世の両名にちなんで名づけられました。  後のフリードリヒ二世です。
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