1 Tracking 追跡

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 アパートの前でブルーはルイスの車を降りた。 「明日の午前中に報告書な」  陽気なルイスが言って、ブルーは軽くあしらった。思い出したくもない。  UPの研修生用の寮の階段を上がって3階の部屋に入る。隙間風が入ってくる古い建物だ。壁が薄くて隣の声は丸聞こえだし、お互いにそれを消そうとして動画や音楽をかけるものだから、廊下は混沌とした音だらけになる。それでも壁と屋根があり、水と電気が使える部屋が確保されているのはありがたい。ここに住めているのもアリスの口利きだった。だから彼女は恩人でもある。  ブルーは軽くシャワーを浴びた後、据え置きのマットレスの上に寝転び、毛布を首まで上げた。寒さが厳しくなってくると、毛布を2枚にしても寒いが、今はまだ耐えられた。  ブルーは今日も長かったなと思った。  トーマスがぎゅっとしがみついてきた感覚を思い出す。  誰かに頼られるのは、前科者のブルーでも嬉しかった。この刺激の中毒になって、この非正規業務を続けている。が、最近はUPの仕事が増えてきて、おかげで酷い金欠状態が続いている。本気で交渉が必要になってきていると思う。  そもそも、何の学歴もないブルーを雇ってくれるところなんてのがない。アリスが紹介してくれなければ、住む家も見つからなかった。UPの業務は、刑務所から出る必須条件で、初期の頃は必死でやっていた。今はもうダルい気がしているが、アリスが呼びつけるとなぜか従ってしまう。なぜか、じゃない。アリスが怖いからだ。あの何でもお見通しみたいな灰色の瞳で睨まれることにブルーは弱い。最初からアリスは怒らせたらヤバい奴という感じがしていた。  ブルーは息をついて天井をぼんやりと見た。今日の仕事を思い出す。  確かに。ルイスが言ったように、早く助けてやれて良かった。ものすごく冷たくなっていたから。トーマスを抱き上げたとき、ブルーはちょっと恐怖を感じたぐらいだ。もう死んでしまってるんじゃないかと。そうじゃなくて良かった。  彼の両親にも感謝され、そして警察やボランティアにも褒められた。  そのことは心地よい気持ちを抱かせる一方で、ブルーを奇妙な罪悪感にも包んだ。だからUPの仕事終わりはちょっと情緒が不安定になる。ルイスはうまくかわしてくれるが、ミキといたら取っ組み合いの大喧嘩だろうし、そして負けるだろうし、メンタルもボロボロになるに違いない。アリスといたら、きっと別れる頃には生きる気力を奪われてしまう。ルイスで良かった。  わずかな痕跡を辿って獲物を追う手法は、ブルーが幼い頃に教えてもらったことの一つだった。ブルーはそうやって、脱走する子どもを捕まえる役割だった。子どもは国内外に売られていくことが決まっていて、臓器のための場合もあれば、若い働き手が必要な場合もあれば、性産業に使われる場合もあった。単に子どもがほしくてという場合も稀にあったが、そんなことはブルーがいた6年ほどで数えるほどだった。他の多くの、何十人、何百人もの子どもはあまり良くない環境へと売られていった。  そんなことはトーマスも知らないし、彼の家族も知らない。  今日会ったばかりの警察官たちも知らない。だから感謝してくれる。  ブルーは首を振り、睡眠薬を飲んで目を閉じた。  このまま明日が来ないことを願いながら。
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