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次の日から椿(つばき)とあたしのやり取りが始まった。 最初は返信してないのに送ってきたので、無視するのも悪いと思って返していたけど。 次第に楽しんでいる自分がいるのに気が付いた。 営業なのはわかっているけど、毎日自分のことを伝える相手がいることが嬉しかった。 そのうち自然と電話で話すようになって、椿はあたしの生活の一部になっていった。 「今週? 週末は友だちと飲みだよ? なんで?」 《そっかぁ、美桜(みお)ちゃん忙しいんだね。前に話してた美桜ちゃんが言ってたお店でご飯でもって思ったんだけど》 「その話は前にしたじゃん。あたしと一緒に歩いてたら変な目で見られるよ。あの女ヤバくないってさ」 《そんなことないでしょ? 美桜ちゃんのパーカー姿可愛いし。人がどう言おうが気にしなくていいよ。俺は美桜ちゃんと出かけたいんだから》 椿との会話で、あたしは大学時代のことを思い出した。 こう見えてもあたしは処女ではなく、同じサークルの男と付き合っていた経験がある。 飲み会の帰りに流れでなんとなく、その男がうちに来たときからそういう関係になった。 二人の関係は秘密にしてほしいと言われたので誰にも言わなかったけど、ある日たまたま彼がサークルメンバーと話しているのを聞いてしまったことがあった。 「おまえ、最近立村(たちむら)と仲いいじゃん。付き合ってんの?」 「はぁ? 付き合ってるわけねぇだろ。あんな化粧も服も興味ねぇブスと一緒に歩けるかよ。そりゃノリでやっちまったことはあるけどな」 「わー女の敵だ。ここに女の敵がいる~。でもまあ、立村じゃなぁ」 彼とは一年くらい付き合っていたけど、その話を聞いたあたしは別れを切り出した。 このとき、やはり自分には女の価値はないんだなと再認識できた。 男から見てあたしは、一緒に歩いていて恥ずかしい女なのだなと。 酔っぱらって相手がよくわからない状態じゃないと抱けないのだなと。 「椿くん、めっちゃ営業かけてくるじゃん。無理しないでよ。店にも来ないあたしなんか相手にするだけ時間の無駄でしょ」 《営業じゃないよ。本当に美桜ちゃんとご飯行きたいだけなのに》 「じゃあ、そういうことにしといてあげる」 《もう、美桜ちゃんっていつもそうなんだから。まあいいや。また連絡するね。おやすみなさい》 「うん……おやすみなさい」 電話を切った後に、ベッドで横になったあたしは思った。 嘘でも嬉しいものなんだな、こうやって求められるのって。 それから平日が終わって土曜日の夜。 椿の誘いを断って来た友人たちとの飲み会が始まった。 コロナの感染者は変わらず多いとニュースで言っていたけど、今回はレンタルスペースではなく韓国料理の店だ。 皆、前のときよりも話す距離も近い。 この状況下で飲みに行くような連中はこんなものなのだろうと、いつも通り愛想笑いを浮かべて酒を飲む。 「最近どう? なんか面白いことあった?」 話題はLINEで何度もしている互いの近況ばかり。 でも「それ、前も言ってなかった?」とは言えず、そのときと似たようなことを言ってお茶を濁す。 どうでもいい話で時間と金を消費していく。 つまらない。 やはりつまらない。 それでもあたしにとっては、ここ以外に居場所がない。 仕事での付き合いはあるが、職場は所詮(しょせん)職場だ。 プライベートで飲む事はあっても仕事の延長である。 かといって新しい友人を作る気力もない。 人間関係が増えるなんて煩わしいだけ。 それでも、このモヤモヤする気持ちはなんなのだろう。 理由はわかっている。 考えたくもないのに答えが出てくる。 本当のあたしは、人同士の繋がりの中で輝きたかった。 ずっとじゃなくていい、物語の主人公になる瞬間が欲しかった。 だけど、それが叶わないことはわかっている。 だからあたしは大人しく端っこで、この場所に居させてもらっているんだ。 でも、それでも……。 たまに、“おまえは何もするな”と言われているようで、堪らなくなってくる。 「おい、立村! 飲んでるか!」 「はいはい。飲んでるよ」 今夜は妙に頭が冴えてる。 アルコールの力が通じないくらいに。 酒が進んでいくと、話題はそれぞれの将来の事になった。 仕事や結婚、子供の事など、皆が苦い顔をしながらも楽しそうに話している。 こういう話題のとき、あたしに話が振られる事はない。 この場にいる誰もが知っているのだ。 非正規労働者で努力もしない。 しかも女を捨てている人間に未来なんてないことを。 「ごめん、あたし……今日はもう帰るね」 飲み会代を幹事に渡して、あたしは逃げるように店を出た。 皆にとってあたしなんていてもいなくてもいい存在だ。 飲み会に呼ばれるのだって、酒癖が悪くなくて、論争を吹っかけなくて、時間を守って、お金をちゃんと払うというだけで、人畜無害の飲み会要員というだけ。 でも、そんな地位すら捨てたら、あたしには何も残らない。 なんとなくスマートフォンを手に取ると、画面には着信があった。 椿からだ。 そのとき、どうして彼に電話してしまったのか。 自分でもよくわからない。 飲み会での事なんて、いつもなら受け流せるような他愛のない出来事だったのに。 「……椿くん」 《お疲れ様。まさか美桜ちゃんから電話もらえると思わなかったよ》 「うぅ……うぅ……」 「美桜ちゃん?」 目が滲み、汗みたいに涙がこぼれ落ちていた。 椿は電話越しでもあたしが泣いていることに気が付いたようで、慌てた声を出してくる。 《えっ泣いている? 今日飲み会って言ってたよね? 何かあったの?》 「うっ……うぅ……」 《大丈夫? 行ってあげたいけど仕事中で……。美桜ちゃん今どこにいるの?》 「今ドンキの前……。看板、韓国語の……」 《それって新大久保のとこだよね! 十分、いや五分待ってて! 仕事抜けて行くから!》 来てほしいとお願いしていないのに、椿は来ると言ってくれた。 泣いているあたしを放っておけないというのだろうか。 営業でここまでするか。 椿目当てのお客さんだってこれから来るだろうし、仕事抜けてまで店に来ない女なんかのために。 「美桜ちゃん……お待たせ!」 「椿くん……」 「いやー久しぶりに走ったら心臓がバクバクいってるよ。途中で水買ってきたから、よかったら飲んで。あとこれ、ハンカチ」 「あ、ありがとう……」 息切れしてても椿は笑顔のまま、あたしに気を遣ってくれる。 あたしなんかに優しくしてくれる。 なんの価値もない女に。 それから彼は何も聞かずにただ傍にいてくれた。 余計なことを訊かずに、隣にいてくれるだけで、どうしてこんなに気持ちが落ち着くんだろう。 それはやっぱり、椿だからかな……。 「落ち着いたみたいだね。それじゃ俺、嘘ついて店出てきちゃったからそろそろ戻るね」 「えっ!? ごめんね……あたしなんかのせいで」 「大丈夫大丈夫、適当に誤魔化しておくから。それよりも美桜ちゃん」 椿があたしの名を呼んだ次の瞬間。 彼の両腕があたしの身体を包んでいた。 前に男に抱かれたときとは違う、優しさを感じられる抱擁。 「そんなに“あたしなんか”って言わないでよ。俺まで悲しくなっちゃう」 椿……。 「美桜ちゃんは女の子なんだから、もっと自分を大切にしなきゃ」 あぁ、椿……。 「俺で良ければ、いつでも話し聞くからね」 「うん……」 あたしなんかのことを、ここまで女扱いしてくれる人なんていなかった。 椿はあたしに女でいていい、無理しなくてもいいんだと肯定してくれる。 人としての自信を持たせてくれる。 輝かせてくれる。 物語の主人公にしてくれる。 ハート泥棒って、本当にいたんだな……。 椿……好き……。 もっと椿と一緒に居たい。 だけど、そのためには――。 椿の抱擁から数ヶ月が経った頃。 あたしはチョコレート工場を辞めて、もっと高収入の仕事に就いていた。 あれだけ嫌いだった化粧を覚え、女を売りにした服を着て、今日も夜の街を行く。 また椿と会うために。 了
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