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3 始まりの熱
翌日、クラスの隣の席の早川というギャル系女子に聞いてみて判明した話によれば、西谷は去年・一昨年とインターハイで空手の個人優勝を飾った猛者らしい。だが、3年に上がって直ぐに受験を理由に引退したらしいとの事。俺は部活にも入らず、学校内の事に全く興味も無かったから知らなかった。
俺、そんな奴を殴ってしまったのか。西谷の性格によってはやり返されてボコボコにされて犯されてても文句は言えないな…と今更ながら背筋に寒気が走る。そして、そんな奴に殴り方を褒められた事に少し気恥しくなったりして、何だか情緒が忙しい。
おそらく去年、全校朝礼で表彰された場に俺も居た筈なんだけど、いちいち壇上なんか見ないし、見てても覚えていたかはわからない。
でも、西谷を見て逃げた連中の反応は納得だ。単に強面とか、αだからとかだけの理由じゃなくて、絶対勝てない相手だとわかっていたから逃げたって事だな。
俺は顔面蒼白になって走り去って行った連中の間抜けな姿を思い出して、笑いが込み上げた。虎の威を借るようだが、ざまぁみろ。
『西谷先輩がどうかしたの?』
早川は不思議そうに聞いてきた。多分、普段は殆ど喋らない地味メンの俺と有名人の西谷が結びつかなかったんだろう。
『いや、昨日助けてもらってさ。名前聞いたから…。』
そう答えると早川が眉を顰めて、
『また内山達に絡まれた?本当に懲りないよね。高2にもなって虐めとからマジでダサい。』
と憤慨してくれた。
俺のあの扱いが虐めに該当するかは置いておくとして、この早川を初めとしたβの女生徒達は、俺達のようなΩ男子を同性と近い感覚で見ているのか大半は男子生徒達よりも友好的だ。
勿論、βの男子生徒達の中でも内山達みたいな精神年齢の低いカスは一部だけど、内山達との軋轢を恐れて俺からは距離を取ってる奴の方が多い。
その点で言えば、目に見える場所で俺が絡まれていると助け舟を出してくれる事もある女生徒達の方が幾分上等な人間達だと思う。
まあ、彼女達の中では俺はか弱いΩ男子らしいので…ちょっと複雑ではあるけど…。
『西谷先輩ってパッと見怖そうだけど、礼儀正しくて優しいって聞いた事あるよ。幼稚園の頃から道場に通ってたんだって。』
『詳しいね。』
『友達が女子空手部の部員だから前に聞いた事あるんだよね。』
なるほどな。そう言えば、と昨日の会話を思い出した。西谷はずっと、俺の事を"お前"ではなく、"君"と呼んでいた。
所作も丁寧で、俺の手首を掴む手の力加減は優しかった。俺に殴られても、怒りもしなかった。格闘技をやってるなら、反射的に殴り返されたっておかしくなさそうなのに。
(優しい男…なのかもな、あのα…。)
少し微笑んだあの顔が脳裏にチラついた。
「返事は。」
「…昨日はどうもあざした。」
放課後、帰ろうと昇降口で靴を履き替えていたら、西谷に捕まった。と言っても、後ろから声を掛けられただけなんだが。
「昨日は急だったが、一晩考えてくれたんだろう。返事を聞かせてくれ。」
「…いやー、はは…。」
途中迄一緒に、と言われて断れなかった。駅に行く分かれ道迄、校門から暫くは一本道だからだ。
曖昧に笑いながら、ちらりと横に並んで歩く西谷を見る。
高い身長、広い肩幅、制服の半袖から伸びた長い腕にはみっちりとした筋肉。肘から手の甲に走る筋、羨ましいくらい男だな。髪は黒く、短髪というには少し伸びている。空手部を引退して数ヶ月だからそんな感じなのだろうか。
きりりとした目鼻立ち。少し目がきつい印象をあたえるから強面に見えるけど…
(…良い男だよな。)
威圧感はあるけど、多分これは本人が意図してのものじゃない。鍛えられた体躯とαとしての性が、そうさせてしまうんだろう。その証拠に、キリッと吊り上がっていても、西谷の目は優しい。その瞳からは、Ωの俺に対する侮りも蔑みも見えない。
(違う、なあ…。)
俺の父や兄達とも、欲の滲んだ目で俺を見る他のα達とも、自分達より劣る生き物だと見下してくるβ達とも。
西谷というαは、俺が知る限りのα達とは、全く違う。
「…ダチからってんじゃ、駄目ですかね?」
思わずそんな言葉が漏れた。
「ダチ?」
「だって、ア…西谷さんの事、まだよく知らないですし。友達からってんじゃ、いけませんかね?」
「友達か…。」
少し考える素振りで、西谷は目を伏せた。ていの良い断り文句と取られただろうか。まどろっこしい事抜きで体を求めたいのなら、こんな提案を出された時点で面倒になって退くだろう。それならそれで、此処で縁が切れても仕方ない。
西谷が多少他よりはマシなαだとしても、俺はαを信じてないし求めてないんだから。
暫く沈黙が続いた。
「わかった。友人からで。」
てっきり告白を撤回して去るかと思った西谷は、俺の提案を受け入れた。
今度は逆に俺が驚いた。
「良いのか、それで。アンタ、αだろ?」
Ωとヤりたいんじゃないのか、というニュアンスで聞いたのだが、何故か怪訝な顔をされる。
「確かに俺はαで君はΩだが、一目惚れにバース性は関係無いと思う。それに、俺は君の匂いを知る前に既に君に惹かれていた。」
「…そ…、」
「君が俺にチャンスをくれるなら、俺は食らいつくだけだ。それがどんなに遠回りでも。
俺は君を振り向かせたい。」
顔に熱が集まるのがわかった。一目惚れって、マジで何時何処でされたんだ。昨日と今の言葉からすると、誰かを殴ってる場面でも見られたのか。
そんなとこ見て惚れるってのもどうなんだと思うが、西谷ってやっぱり変わってる。
俺が何も言えずにいると、西谷はぽつりと言った。
「君は優しい。俺は、強くて優しい君が好きだ。」
「優しいって…。」
それについては覚えが全く無いんだが、と西谷を見上げると、彼は進行方向を向いたまま、答えた。
「自分の気が向かなくても、俺に自分の人となりを知ってもらえるチャンスをくれる。」
「はあ…。」
「君はαが嫌いだろう。」
突然図星を指されて立ち止まってしまった。
見抜かれているし、それを知った上で告白してきた西谷にも驚かされたからだ。
「…どうして…。」
「拒否されているか受け入れられているかくらいは、肌でわかるものだろう。」
「…。」
確かに。俺が子供の頃から家族から肌で感じる拒否感は、現在進行形で思い知らされている。否定できない。でも、何物にも動じそうにない西谷の口からそれが出てくるとは。
存外、繊細なところがあるのかもしれない。
「昨日はもっと強い拒否感を感じた。でも今日は…少し、和らいでいる。」
「…そうですか。」
「脈アリと見た。」
「ぶはっ!!」
厳つい能面顔の癖にポジティブ過ぎるし言葉選びが突然に意外過ぎる。
構えが解けて吹き出した俺を見て、西谷が笑う。
「君の笑顔は綺麗だな。」
高校生らしからぬクサイ台詞を恥ずかしげもなくサラリと口にして、俺を見て相好を崩すこの男は、自分の笑顔の威力を認識しているんだろうか。無意識だとしたら、ど天然の誑しだ。
俺はさっきより熱くなった顔を隠すように俯いた。
胸の中まで、妙に熱い。
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