12 祝・西谷、卒業。

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12 祝・西谷、卒業。

少し、西谷の両親の話をしよう。 西谷が‪α‬である事からもわかるように、西谷の父親と母親は番だ。父親は‪α‬、母親はΩ。だが、西谷が産まれる前から両親は離れて暮らしていた。 それは、父親の特殊な家業から生じるかもしれない危険から、伴侶である西谷の母親と、産まれてくる西谷を守る為の致し方無い措置だったようだ。だから表向きは西谷の父親は独身という事になっているらしい。 昔、若かりし西谷の両親が一緒になろうとした時、彼らにはあまりにも障害が多かった。それでも2人はお互いを諦められなかった。だから、2人で話し合って決めた事なんだそうだ。 因みに、秋になってから帰ってきた、暑さに弱いという西谷の母親は、華奢で儚げで優しそうな、美しい男性だった。名を憂里さんと言う。どうやら西谷の外見的要素は父親から全て継いだようだ。 西谷から聞いていた話のイメージで、お嬢様育ちの女性かとばかり思い込んでいたから、俺は自分の思い込みを反省した。まあでも性別以外は大体合ってる気がする。 それに、長く別荘に滞在するのも、実は避暑だけが目的ではなかった。 憂里さんと西谷は、毎年夏に別荘で父親と会っていたのだ。西谷は何時も1週間足らずで家に戻るらしいが、憂里さんは西谷と父親が帰ってからも2ヶ月以上をそこで過ごす。その間また父親が行く事もあるというから、きっとそれを待ってるんだろう。 身内でも知る者が少ないその場所は、数少ない逢瀬の場だったのだそうだ。 「僕も、実家との縁は切れてるんだ。お互い、面倒な実家を持つと難儀だよね。」 俺の事情を話した時、憂里さんはそう言って笑った。憂里さんの実家は、旧華族の家系で代々政治家を輩出してきた家なんだそうだ。だから、特殊な背景を持つ西谷の父親と縁戚関係になる事は断固として認めないと猛反対され、そればかりか家の利になる相手との政略結婚を押し進めようとした。 だから、さっさと番になって逃げたんだと。 「理不尽に付き合って人生潰す事なんてないよ。僕達が選んで良いんだ。 大事なものだけ、選べば良いんだよ。」 俺にそう言ってくれた言葉を聞いて、やっぱりこの人は西谷の母親だと思った。 Ωだからって虐げられる理由にはならない。 Ωだからって、押し付けられた人生を生きなくて良い。 Ωだって、自分で選んで良い。 憂里さんの言葉の中には、そんなニュアンスが含まれていた。憂里さんは、同じΩとして俺の良き理解者になってくれた。実の親には恵まれなかったのに、彼氏の親や周囲には恵まれ過ぎてて、もしかしてこれでバランス取ってるとか言うんだろうか、神様? 卒業式の日、俺は初めて西谷の家に泊まった。 西谷と付き合い始めてから、それ迄ずっと不安定だった俺のΩとしての性質は緩やかに開花していったように思う。 ずっと自分のΩ性に拒否感があった。それこそが俺の不幸の原因だと思ってたからだ。女に産まれる事が叶わなくても、せめて‪α‬だったなら…こんな処遇にはならなかった筈だから。 でも、西谷に会った。 西谷が俺を全肯定してくれた。俺が悪いんじゃない、Ωが悪いんじゃないと思えるようになって、それから俺は、少しずつ自分の中のΩ性を受け入れられるようになった。 昼休みの、誰もいない踊り場での逢瀬。一緒に下校する道。西谷の家で過ごす穏やかであたたかな時間。 2人きりの時、そっと触れてくる物言いたげな指先。 それらは飢え乾いていた俺の心をゆっくりと満たしてくれた。 卒業式の日。それは西谷と初めてセックスすると決めていた日だった。ヒートの日に当たらなきゃ番にはなれないけど、別にそれはまたそれで良い。 とにかく、西谷と体を繋げたいと思った。 手は繋いだ。何度もキスをした。気持ちは高まっていた。でも、妙に生真面目な西谷は、自分が卒業して合格を勝ち取ってからでなければそれ以上はしないと頑なにに言い張った。それを、せめて卒業式の日が良いと駄々を捏ねて譲歩させたのは俺だ。どうせ卒業した後に入って来るのは合格通知だ。西谷が落ちる筈がないから待つ必要なんか無いと俺は確信していたんだ。 良いだろ、パートナーの能力に絶対的信頼を置いてるって事なんだから。 という訳で、俺は西谷の卒業式の後、一緒に西谷家に帰った。 家では犀川さんがちょっとした祝い膳を用意して憂里さんと待っていた。 実はこの犀川さん、単なる家政夫さんではなく、西谷と憂里さんに付けられた護衛だった。元々は西谷の父親の幼馴染みで兄弟分らしい。 外部の人間を家に入れる事は極力避けなければいけない状況だった為、情が厚く腕っ節が強い上に器用な犀川さんに白羽の矢が立った。つまり、相当信頼されてる人って事だ。 でもそれで、自分は結婚もせずに憂里さんと西谷に尽くしてるだなんて大変だなと思ったら、実は離婚してて、別れた奥さんの元に娘が居るんだそうだ。だからもう結婚は十分らしい。 憂里さんと犀川さん、西谷と俺で座卓を囲んで、ささやかなお祝いをした。もう少し後には合格祝いが控えてるし、その時はもっと豪勢にしたいと犀川さんが張り切っていた。 俺は、こんな風に皆でご馳走様を囲むなんて初めてだからすごく楽しかった。 話しながら食べて、笑って、食事は美味しくて。 これは俺が心の片隅で渇望していた、家族の団欒に近いものなのではと、そう思った。 風呂を借りてから西谷の部屋に戻ると、西谷は部屋の障子を開けて、廊下に置いた座布団の上に座り、ガラスの向こうの庭を眺めていた。 夜の事だから、2箇所くらいにある小さい燈籠型のライトに照らされた部分しか見える筈もないが、それでも眺めていた。でも実は眺めているように見えただけで、只、何かを考えていたのかもしれない。 俺は黙って西谷の向かいに座って、同じように庭を眺めた。すると、西谷は俺に視線を移して言った。 「温まったか?」 「うん、良い湯加減だった。」 「それなら良かった。」 その後は、2人とも言葉が無くなって、また2人で暗い庭を眺めた。 静かだ。 最初にここに来た時と同じ事を思った。 犀川さんと憂里さんの部屋からは少し離れたこの部屋が、夜になると寂しいほど静かになるなんて、知らなかった。 「余。」 不意に呼ばれて、俺が西谷に視線を向ける前に、長い腕が伸びてきて、抱きしめられた途端、それ迄ふわふわとしていた西谷の匂いが強くなった。 「お前の全部を俺のものにしたい。」 「……うん。」 何時もの軽いキスとは違う意味を持った唇に、俺は目を閉じた。 俺と西谷の夜が始まる。
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