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2 殴った相手に告白される
「好きだ。」
そう言われたのは、その男の左頬を殴りつけた直後の事だった。
県内でもそれなりに偏差値の高い高校に進学した俺は、大人しそうに見えるらしい見た目や、同級生達よりも華奢な体型で舐められる事が多くなった。
高校受験モードに入ってから、赤から黒に戻した髪や制服の極端な着崩しをしなくなった事もあるんだろうが、最も要因になったのはやはりΩの宿命、ネックガードだろう。
中学の時には、意識せず見た目が防波堤になっていた。けれど、それらが全て外れた俺は、元のままの、只の貧弱そうなΩの男に見えたに違いない。
教室で揶揄われ、廊下で絡まれ、下校時にも囲まれた。と言っても俺で遊ぼうとする連中なんか、βの下らない小物が殆どだったんだが、たまにソイツらと交友のあるようなレベルの低いαが混ざっている事もあったりして、そんな時は少し厄介だった。奴らは自分達を捕食者だと思ってるし、俺達Ωは震えながら喰われるのを待っているか弱い被食動物だと思っているからだ。そしてそれは、αという種の意識の根底に共通して在るものだろうと俺は思ってた。αは絶対的強者で、Ωは弱者。
教科書に載っているような、愛と信頼で結ばれてパートナーとなるべきだ、なんてのは理想論に過ぎない。本能だ。αがΩを選ぶのは、只の生殖の為の本能だ。若い内は性欲に突き動かされて弄び、大人になれば子供を産ませる道具として支配する為に番という枷を嵌め、縛る。
で、俺を揶揄おうとするβ連中とつるむようなαは、そんなクソみたいなαばかりだった訳だ。あわよくば、俺で下半身迄発散したいなんて考えてるような、タチの悪い俗なα。
でも、そんな俺の偏見を覆した唯一のαに、俺はこの後出会う事になる。
待ち伏せされて路地に引き摺り込まれたのに応戦して、相手の鳩尾に蹴りを入れた。3人迄なら力の差はあっても何とか勝てる。格闘技を齧ったような相手じゃなければ、喧嘩は要領と慣れだ。可能なら逃げに徹する事も多いけど、この日はそうはいかなかった。
路地裏に引き摺り込まれ、数人がかりで押さえ付けられかけて、蹴りを入れて殴って、通りに飛び出して逃げようとした時に目の前に立ちはだかる奴がいて…てっきり見張りの仲間なのかと思って反射的に殴ってしまった。殴った後で、αだとわかった。
相手は背が高く、鋭い目をして、高校生にしてはやけに威圧感のある生徒だった。同じ制服だったけど、見た覚えは無かった。
なのに俺に殴りつけられて、その男は俺の手首を掴み、好きだと言ったのだ。
俺が男と向き合って呆然としていると、ゾロゾロと路地から出てきたクズ達が、男を見てギョッとしたような表情になった。
『…お前ら、この人に何してた?』
男の低音での問いかけに、クズ3人はびくりと肩を震わせて、血の気の引いた顔で走り去って行った。
どうやら仲間では無かったらしい。何故この男を見て逃げたのかはわからないが、助かったと思った。でも…。
(…誰なんだ、此奴は…。)
連中が走り去って行く後ろ姿を見送ってから、俺は改めて自分の手首を掴んだままの男をまじまじと見た。
顔は整ってるけれど同学年とは思えない厳つさだ。
『ごめん。仲間じゃなかったんだな。悪かった。』
素直に謝罪の言葉が口に出来たのは、手首を掴む男の手には殆ど力が入っておらず、俺の体を慮ってくれているらしい事が伝わってきたからだった。
こんなにデカくてガタイも良くて、俺なんか力でどうにでも出来そうなのに、男は真っ直ぐに俺に好きだと言った。
只、俺は男を知らないから、さっきの突然過ぎる告白には応えようがなかった。だから取り敢えず、間違えて殴ってしまった事に対しての謝罪をした。
男は、うんと頷いて、また俺を見つめた。
『で、返事は?』
『え、いや…だって…アンタ、誰すか?』
俺が聞くと男は、ああ…と初めて思い至ったように答えた。
『西谷 遼一、α、3年だ。』
何となく語尾を敬語にして良かった。男…西谷は上級生だったのだ。そしてやはりα。
しかしそれらの情報を得たからといって、俺がこの男の事を知らないという事実はそんなに変わらない。
困ったな、と思った。
見掛けの割りには力に物言わせるタイプでは無さそうだけど、普通に断って大丈夫だろうか。
でも、断らなきゃ始まらない。
『仁藤 余です。2年…』
『仁藤、余…。』
『…やっぱり会った事、無いですよね?』
男の反応を見て、俺はやはり初対面だと確信した。
Ωと言っても、俺は普通にしていれば外見的には地味な方だ。高校に入学してからは中学時代のような目立った事はしていない筈だ。暇な連中にちょっかいは掛けられるが、それに対しても防御一方の方が多いし大抵は逃げる。たまに殴り合って撃退する事はあるけど、俺みたいな貧弱そうなΩにやられたなんて言えないらしくて噂になってる様子も無い。
学年の違う奴に知られてる理由がわからなかった。
『一目惚れだ。』
『一目惚れ?』
『あの時見たのと同じ、力の乗った良いパンチだった。人の殴り方を知ってるな。綺麗な顔に似合わず。』
西谷はそう言って、少し微笑んだ。笑うと冷たそうな目元が緩んで、印象が変わる。強面だと思ったその顔が年相応に見えて、少し見蕩れた。
それにしてもあの時って、どの時だろうか。
人を殴って褒められたのなんか初めてだ。でも、何だか嬉しかった。俺は褒められる事に慣れていなかったから。
『…変な人ですね。』
『そうか?』
『変ですけど…、』
悪くはないと、思った。
その日から、何となく。
俺と西谷は、よく会うようになった。
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