9 弱さを認めるのは怖い

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9 弱さを認めるのは怖い

ひとしきり泣いて、少し落ち着いてきた俺は、自分の座布団に座り直して自分とばあやの事を話した。 「シズばあの言ってたのが、まさか坊ちゃんの事だったとは…。」 西谷と一緒に暫く絶句していた犀川さんが、信じられないという曇った表情で口を開いた。西谷は黙ったまま膝に置いた手の甲に目を落としている。つかばあや、シズばあって呼ばれてるんだ…。 「ほんとに本人なのか、確かめてくれませんか、犀川さん。」 俺は泣いたせいで掠れて聞き取りにくくなった声でそう頼んだ。 「そりゃ勿論。でも、十中八九大伯母だと思いますがね。」 俺もそう思う。タイミングだけならともかく、名前迄同じだなんて。でも、万が一って事もあるから。 そう言うと、犀川さんは何かを思い出したように 「少しお待ちを。」 と言って部屋を出ていった。しんとした室内に残された俺と西谷。 西谷を見ると、未だ同じように黙って握りしめた手を見つめている。 せっかくの美味い食事の途中だったのにこんな風に中断させてしまった事に、俺は申し訳ない気持ちになった。 「ごめん、先輩。せっかくの食事…。」 俺が謝ると、西谷は首を振った。 「いや、いい。仁藤のばあやさんの行方がわかった事の方が収穫だからな。それよりも、俺は…。」 一旦言葉を区切り、息を吸ってから西谷は続けた。 「俺は、お前の親が許せない。」 「…うん。」 西谷に自分の事を知られて同情めいた言葉を聞くのが嫌だった。他の連中と同じような、ありきたりな安い慰めをいわれたら、俺は西谷を嫌いになってしまうんじゃないかと思ってた。 でも今、コイツは同情するでも慰めるでもなく、静かに怒りを堪えているように見えた。 俺の為に、ただ純粋に静かに怒ってくれたのは西谷が2人目だ。1人目は、中学時代の一番の親友だった。 「俺は、」 西谷がまた何かを言いかけた時、犀川さんが急ぎ足で戻って来た。 「坊ちゃん、これ。」 犀川さんは右手に持っていたスマホを俺の目の前に差し出した。それは、数人の老若男女が写っている写真。 「3年前に、まだシズばあの足が達者な時です。法事で親戚連中が集まりやしてね。これはその時撮った中の1枚なんですが…。」 パッと見、6人の人が写っている。その内2人は年配の男の人で、1人は30代くらいの女の人、そして3人の老婆。その中に、懐かしい顔が微笑んでいた。 「…ばあや…。」 「確定、だな。」 「そうですね。」 少し粗い画像でも、直ぐにわかった。伊達に3歳から10年近く毎日見てた訳じゃない。俺はスマホの画面を食い入るように見つめて、ばあやの写っている部分を拡大して、確かめた。 何度見ても、ばあやが笑っていた。 「ばあやです、ばあや…。」 俺は震える声で犀川と西谷に言った。それから、嬉しくて泣いた。 温め直してもらった吸い物を、俺はとても嬉しい気持ちで啜った。ばあやが元気でいてくれて、しかも入居した施設がそう遠くないと知った事で、気持ちにハリが出たような気がする。 「お吸い物、美味いです。」 さっき迄とは打って変わって食欲が出た俺に、犀川さんは嬉しそうだった。西谷も隣からそっと自分のカニカマチーズ天を皿に乗せてくれたりしたから、俺はトレードに、元々そんなに好きでも嫌いでもないナス天をお返しした。 「…ナス嫌いなのか?」 「ふつう。」 「そうか。」 言っておくが、好き嫌いでトレードした訳ではないからな。 食事後、西谷の部屋に案内された。 すっきり片付いて、整理整頓された部屋。俺の、ベッドの上にもゲームや漫画が置きっぱの雑多な部屋とはえらい違いだ。 「犀川さんが片付けてくれるのか?」 そう聞いてみたら、 「中学に上がった辺りから、部屋の掃除は自分でしている。犀川はあまり部屋には入らないしな。」 と言われた。やっぱ性格か。きちんとしてそうだもんな。 広い和室の真ん中に、涼しげなブルーのラグが敷かれていて、その上に大きなクッション、小さな丸テーブル。部屋の奥にはローデスクと座布団。上にはスタンドライトにブックホルダーに、参考書やらが行儀良く並んだ木製の卓上本棚。右奥の隅にはきちんとベッドメイクされたベッド。 薄いグリーンのシーツに少し濃い色の夏用掛け布団が綺麗に掛けられて…西谷はやっぱり印象通り几帳面らしい。 「麦茶とおやつ、置いておきます。ごゆっくり。」 西谷の後ろからついてきていた犀川さんが丸テーブルの上にお茶を置いて襖を閉めて行ってしまってから、部屋は一気に静かになった。 「座って。」 クッションを勧められて、座る。西谷はベッドの上に置かれていた、俺が座ってるのよりも一回りサイズの小さいクッションを持って来て、俺の横に座った。 …静かだ。 「…仁藤は、」 静か過ぎるから西谷の低い声がやけに響く。 「辛いか?」 「え…?」 突然何を聞くんだ、と思わず西谷を見てしまった。そうしたら、相変わらずの真っ直ぐな眼差し。 「…辛いったって、もう慣れてるし、別に。」 ばあやを取り上げられたのは痛かったし今でも父を恨んでいるけど、俺が幾ら恨んだってあの人達も事態も変わるわけじゃないから。 「寂しかったか。」 「…そんなこと…慣れたって言ってんじゃん。」 「寂しさに慣れている人間の反応じゃなかった。 俺には気を張らなくて良い。」 言われて、さっき止まった筈の涙がまた膜を張り始めた。 「なんでそんな事言うんだよ…。やめろよ。俺を弱くするな。」 だって1度でもそれを認めてお前に弱音を吐いてしまったら、俺はもうひとりでは立てなくなる。 そんな気がするんだ。
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