バショウの願い

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バショウの願い

◇◆◇◆  ダンスが始まってからしばらくの間、ウルスは壁際に立ってエドルク、そして淑女たちのダンスパートナーを務めるバショウを見つめていた。  華奢な女性たちと踊る姿は、どこからどう見ても麗しい王子様そのものだ。  けれど間近で見えたあの扇情的な肉厚の唇に目を奪われては、相手は男だぞと心の中で己を叱咤する。  そんな調子で気もそぞろにダンスフロアを眺めていると、何を思ったのかエドルクがバショウに声を掛け、二人の王子はウルスとバショウの警護をするキキョウ以外の人払いをしてバルコニーに出た。 「今日の主役はミズキ様だからね。少しくらいバショウ王子をお借りして、同じ立場の愚痴くらい交わしても許されるだろうか」 「ははは、構いませんよ。私は兄上の名代でしかないので、あまり目立つのは得意ではないのです。お誘いくださって助かりました」  ウルスはそんな会話を、一歩引いたところで聞いている。  バショウが言うには、スザクはこのところ体調も安定してきているそうだが、想定外にバショウが国民から支持されて、心を病んでしまっていると言う。 「心を蝕めば、体の不調も悪化します。兄上は悪い輪の中に囚われておいでなのです」 「……バショウ王子は、もしかしてあの伝承を信じておられるのかな」  エドルクは探るような面持ちでバショウを見ると、得体の知れないゾッとする声音でもう一度呟く。 「いや違うな。伝承は事実だと、確信しておられる」 「いえ、そういうつもりでは……」 「やはりそうなのですね」  エドルクはウルスに目配せすると、バルコニーに誰も立ち入れないように見張れと小さく指示を出して、バショウとの距離を一歩詰める。  古く、妖魚族であるヘイラルの血は、その一滴で人間の万病に効く特効薬となり得るとある。  しかしバスラ建国の父である海賊王バスラは、本人が妖であったため、妖魚族の乱獲を罪として早々にダリオテレスと国交を結び、その伝承が根も歯もないデタラメであると布令を出した。  元より他国との交流が盛んではないダリオテレスゆえに、今となってはバスラにおいてお伽噺にそれを脚色した話が残っている程度で、それが事実である証拠は残されていない。 「皇太子のお命を救いたい。それがあなたの望みなのですね?」 「……私は地位や権力を望みません。それに政にも向いていない。兄上の方がよほど優れたお方なのです」  バショウはすがるような目でエドルクを見つめると、伝承の力が真実であるならば、力添えが欲しいと懇願した。  突然の不穏な雰囲気に、バショウに付いていたキキョウが駆け寄ろうとするが、それをバショウが片手で制する。  ウルスは背を向けたまま、その会話を聞いて複雑な気持ちになっていた。  なぜならその秘術を与える時、ヘイラルは代償として人間から何かを奪うことが決まりだからだ。 「ではあなたは何を犠牲に捧げるつもりですか」 「……私自身の命に代えて」  ただ隣国の麗しい王子様を一目見るだけのつもりだったのに、話は想定外にややこしい方向に進んでしまった。  ウルスが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていると、エドルクは呆れたように溜め息を吐いてバショウの肩に手を添えた。 「良いでしょう。それほどまでに皇太子殿下を思うあなたを止めることはできません。ウルス、こちらへ」  エドルクはキキョウに絶対に誰も立ち入らせないようにバルコニーを見張れと指示を出すと、呼び寄せたウルスの腕を掻っ切って、滴る血を小瓶に入れて蓋をした。 「これを皇太子殿下に。白湯などに混ぜても効果は変わりません。突然生き血を飲めと言われても周りも困惑するでしょうし、私どもも伝承が事実だと広まっては困りますので」 「けれど殿下、代償は」 「スザク殿下のご回復を確認なさってからで構いません」 「……分かり、ました」  ウルスが傷口を布で縛っていると、不安げなバショウと目が合ったが、黙って頷いてその場を離れてキキョウの元に戻る。  その後も少し、夜風で頭を冷やすように会話を続ける兄と隣国の王子の警護を続けた。
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