ABANIKO・齋藤 善治郎

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 それはまるで、憧れ探し求めていた夢が、現実と言う形を露わにして目の前に転がり出て来たような、何処か涼夜(すずや)を惚っとりさせる興奮を伴っていた。  終演後、楽屋に招かれ、バンドメンバー達に自分もいつかバンドをやりたいと、ギターの特訓中だと挨拶を向けたことが切っ掛けとなり、彼等の間で度々可愛い涼夜の噂が口端に上っていたらしく、ひと月後、善治郎(ぜんじろう)に練習スタジオへ招待された。舞い上がるような気持ちのままギターを携え参加した涼夜は、数ヶ月後『ABANIKO(アバニコ)』のメンバーに加わっていた。  当時は、結成から間もないアマチュアバンドの『ABANIKO』だったが、グルメサイトでも評判の焼肉屋を経営する善治郎の父親の伝で、地元のライブハウス出演が決まり、瞬く間に人気バンドとなり、驚くほど短期間の内に週一でレギュラーを組まれるほどになっていた。  ライブハウスのレギュラーとなって二年。大学生になったヴォーカルが家業を継ぐことも視野に入れ田舎へ帰り脱退。新メンバーを音楽雑誌で募ると、地元ではそこそこ名の知れたアマチュアバンドだ、沢山の応募もあり、何度かヴォーカル候補のオーディションもするが、今一つ善治郎の求める人材に恵まれず、リーダーの善治郎が、ベース担当にヴォーカルを担うスタイルで今日まで続けて来た。  けれどそれは一時的なことで、何れ新ヴォーカルを加えたロックバンドの形になるものと涼夜は思っていたのだが、善治郎が突然、ベースとドラム、そしてギターでのインストメンタルのトリオバンドに形を変えたいと言い出した。ジャンルも現在のハードロックではなく、何方かと言うと、フュージョン寄りの、涼夜には全く馴染みの無いジャンルにしたいと言う。  どうやら、涼夜を除くメンバーとは相談がなされていたようで、涼夜独りが寝耳に水と言った状態だった。  善治郎からの話は、トリオバンドへの転身……即ち、サイドギター担当の涼夜は要らないと、そう言う通告だった。  アーケードを抜け、駅前の雑踏に呑まれた涼夜は、人々の列に倣うように改札口へ向かいながら、善治郎の言葉を繰り返し胸に思い起こし、やり場の無い憤懣(ふんまん)に奥歯を嚙み締めた。
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