イ・シファン

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イ・シファン

 善は急げとばかりにその日の放課後、校門脇の銅像の陰に身を潜めた涼夜(すずや)は、シファンが校舎から出て来るのをひたすら待ち伏せた。  待つこと暫く、幸いなことに取り巻き風の女子の姿も無く、優雅な足運びでシファンが校門に向かって来た。 絶妙のタイミングで声を掛けた涼夜は、無造作に束ねた長い髪を、ふわり──と風に遊ばせて振り向いたシファンの視線に捉えられ、わけも分からず動揺し、二歩ほど後退ってしまった。  落陽にスラリ──と佇むシファンは、見慣れた人物で有るはずなのに、何処か妖艶な魔物にでも変わってしまったようで、その美しさに触れた人間を虜にしてしまうような、一種説明の付かない恐怖を涼夜は覚えた。  声を掛け、呼び止めたにも拘らず、自分から距離を取った涼夜を怪訝な視線で見据えたシファンは、    「何か? ご用ですか──」  儚げに響くのに、ハリの有る不思議な声で尋ねて来た。 「や……ゴメン、突然。チョット良いかな?」  離れたはずの二歩を詰め寄られ、涼夜は後退するも、銅像に背中が当たったことで、それ以上は距離が取れずに立ち止まった。  足を止めた涼夜の真正面に立ったシファンは、頭一つ近く上方から静かに涼夜を見下ろした。  手短に要点を伝えた涼夜を、意味あり気に嗤ったシファンは、   「……要するに、ワタシがあなたのロックバンドに加わると?」  若干冷ややかな嗤いを向けられ、怯んだ涼夜だが、   「試験的に……どうかな? 考えて貰えないかな?」  強張った愛想笑いを向けると、涼夜の双眸を見据えたシファンは一つコクリ──と頷き、それを了承と受け取った涼夜が歓喜を笑顔に乗せると、 「ロックはご遠慮させて頂きたい」  言葉通り、キッパリと言った口調でシファンは顔の前で手を振った。   「ワタシ、一番興味無いのがロックと言うジャンルなのです」  少しだけ不自由に聞えるイントネーションで、断りを向けられてしまい、落胆した涼夜の背中を更に銅像へ追い詰めた。   「お生憎さまです……」  深く上体を屈めたシファンは、俄かに上気した涼夜の頬へ顔を寄せると、艶めいた声音で耳元へ囁いた。  甘く余韻を引くその声は、涼夜の瞼蓋を()っとり降ろさせてしまい、シファンは揶揄(からか)うように熱を帯びた涼夜の頬を指先で突衝き、声を発ててアハハ──と笑った。 「それでは、これにて──」  笑いを引っ込め、途端と何時もの澄まし顔へ戻ったたシファンは、涼夜を振り返ること無く校門を抜け、太陽が沈み墜ちる寸前の朱に照らされ姿を消した。  シファンの姿がその場から消えても、甘く響いた魅惑の声と、悪戯な春風が起こしたような胸の騒めきに、涼夜は暫く惚けたようにシファンの残像を虚空に結んでいた。 ●第一話・END●
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