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《3》
彼女が言葉を終えた途端、ベンチの周りを黒い円が囲み始めた。それは少しずつ窪んでいき、ゴゴゴという地響きとともに、やがて巨大な穴となった。二人で座るベンチは、その穴の上に浮いている。足元の心許ない感じが恐ろしく、私は彼女の身体に抱きついた。
「やだ、やだ、落ちたくないっ! お願い、助けてっ!!」
涙が零れ、背筋が寒くなった。けれど、負界のみゆきは声音冷たく言った。
「自分だけ良ければいいって言うのかい。三つの世界のみゆきは全員同じ人間だよ。だからチャンスも等しくなければならない。きみは今日まで平凡界を堪能した。そんなつもりはないだろうけどね。努力ができる世界、幸せを掴める世界、意欲が持てる世界というのはありがたいものなんだよ。勝界や負界に落ちれば、それらがすべて無駄だと思うようになる。勝界のみゆきが次にどちらと入れ替わるか分からないけど、私もきみもいずれ勝界に行ける。せいぜい運が良かったと思おうよ。負界で終わった人を何人も見てきたけど、それはそれは悲惨な最期だった。配分的に、勝界のみゆきは負界で終わる。そうならなかっただけできみはツイてる。しばらく負界を楽しんで。ああ、そうそう、自殺とかできないからね。そういう感情は目に見えない強制力で封じられてる。負界とはそういうところだ。いっぱい税金を納めて、いずれ自分が得するように頑張ってね」
私はみゆきに抱きついた。ありったけの力で、決して離れないように。
でも、黒い穴が凄まじい吸引で私を引き寄せる。この穴に落ちたら、どのぐらいの期間苦しむことになるのだろう。何にも報われない世界。ポジティブになれない世界。逃げることもできず、今を楽しむことができない世界なんて絶対に嫌だ!
凄まじい吸引が、私の身体を浮かび上がらせる。そして強引に押し込むように穴の中へ引きずり込もうとする。必死でみゆきにしがみついた。その間に地響きが轟音となり、空気中に火花が散り始める。
「助けてっ! お願いよぉっ!!」
泣き叫んでみたけど、みゆきはありえないほどの力で私を引き剥がした。彼女の手が、私の手首を掴み、身体はもう穴の中へ半分以上吸い込まれていた。
みゆきは冷ややかに嗤う。
「じゃあね。ばいばい」
パッ、と手が離された。
強い力が私を吸い込む。
音のない黒を抜け、さらにその先の黒より黒い黒を抜け、光が見えたかと思ったら空から落下していた。
そして地面に叩きつけられたとき、私の心の中で、意味不明な負け犬が鳴いたのだった──。
(了)
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