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家に入ったキースはパントリーに寄り道し、段ボール箱から細い瓶を一本手にとった。
タルトタタンに見切りをつけ、今はターシャ・テューダーの真似ごとを始めた母。
感謝祭で実家に顔を出したとき「美味いじゃん」と一言キースが呟いたら、帰りの車に勝手に十本、五リットル分積まれていたアップルサイダー。
リビングのテーブルでは、エマが宿題の「旅人とヤギ」の視写に取りかかっていた。彼は持ち主の機嫌を損ねない程度に、落書き帳や絵本を少しだけ脇に寄せた。
「ママは?」
「あっちでヨガやってる。それなあに?」
「書類」
「見せて!」
「字ばっかりだよ」キースはファイルをぱらぱらとめくった。
「なんだ。字ばっかり」
「だからそう言ったろ……あ」
キースは娘の手にあった濃い鉛筆をさっと抜き取った。
「ちょっとパパ! 返して」
「すぐ済むよ」
ファイルをひっくり返し、ク・ワシュ・ノーアの手紙の裏にさらさらと走り書きをした。
――俺はリンゴが好きだ。酸っぱいやつが。
そう。残ればいい。たった一人にでも。俺の「トンボ」だ。
彼は満足げな笑みを浮かべた。
「エマ。いつかこれを撫でながら、お前は言うぞ。『パパの字だわ』って」
エマが鉛筆を受け取りながら、きょとんとした表情を彼に向けた。「言わないよ」
「言うさ。さて、パパも旅に出ようかな」
「どこに?」
「遠い星」
「どうやって?」
キースはファイルの表紙を人差し指でトントンと叩いた。「ここから飛んでく」
「ふうん。いってらっしゃい」
妻そっくりのあきれ顔を作った娘に微笑んで、彼はアップルサイダーの栓を開けた。ソファの座り心地を整える。旅支度は完了。
キースはゆっくりとページをめくり始めた。
二十年と二百光年の向こうで。
ク・ワシュ・ノーアが頬杖をついて、彼を待っている。
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