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素晴らしい沈黙の夜のために、心得
夜中こそ美しい時間でしょう。
静寂が部屋を漂い、勉強机のライトを一つだけ付けて目標もなく作業をするのは、他にない優越感を味わうことができる。しかしこれが、若いうちにしか満足に過ごすことができないんだとか、日中老いを嘆く大人は口々に言いますね。聞くには、眠らずにはいられないというより、どうやらその次、起きたあとが恐ろしいようで。
確かに、起きてすぐコーヒーを胃に注ぎ込み、ハイパースピードまでギアを上げられるのは、そう長く続くとは思っていません。
若いながらにも、老いとやらは感じているんです。
けれど、きっと私の感じる老いは本当のそれではなくて、ずっと幼い頃を懐かしむ感情なのだと思います。
人生の流れとは無慈悲で、身を任せれば碌なところに連れて行かれず、しかし幼い頃にはこれに身を任せるしかない。結果私たちは流れに逆らうこともできず、ただ懸命に目を凝らし、眉間に皺を刻んで進むしかありません。
水を口に含むことのないよう必死で口を閉ざし、流れに対する自分の非力さを自覚しながらも、現実ではそれに目を向けることなく、あくまで颯爽と生を全うする。そこにはほとんどの自由がないでしょう、自分で方向を決めることができても、不確定であれ行き着く先は皆同じなんですから。
その流れから少し身を休めるのに、夜は一番良い時間です。
暗く閉鎖的で、陰鬱。時にそれは私を救い、穏やかな気持ちにする。
しかしこれはほんの気休めになりません。気を抜くことは、流れに全くの抵抗をすることなく身を任せることと同じですから。後からどんな後悔を感じても良いと覚悟の上、流れに身を任せる必要がある。そこにはほんの少しの自由しかありません。ほんの少しです。だけれど、この少しの自由が閉鎖的な夜の空に羽ばたくとき、他とは違う安らぎを感じられる。
いつ何時も気を抜いてはならない。でも人間ですから、休息は必要です。
未来ある休息でなく、この場限りの利己的な休息が。
この時間のいいところは、ほんの少しの自由に則って行動すれば誰にも迷惑をかけずに済むことにあります。社会的意識体である私たちの負担の一つはきっと、他人との関わりです。
特に日本人はこれを気にするあまり、身を滅ぼすまである。みんな夢を見る夜中ぐらい、それから解放されても構わないと思いませんか。
私の生きる上で、他人の存在は欠かせません。他人とは自分を証明するものであり、人がいて自分がいる、脆い関係です。一度隔離されて仕舞えば、それを修復するのは関係を築くのにかかる時間の倍は見積もらなくてはいけません。信用も似たようなものですね。
しかしその証明のために、私たちは他人に自分の欲求を押し付けることがあります。これが大層面倒臭い。
話が逸れると本題が分からなくなりますから、戻りましょう。
こんなに長々と書いて何がいいたいかって、一度くらい夜明けの直前、空の紫に染まり始めるまで起きていてみたらどうだって話です。
やってみなさい、高校生の青頭の小僧が言います。
何事も終わりを迎えるのですから、いつも上昇気流に滞在してなくたっていいでしょう。髪を解き、ベルトを緩め、必要でなければメガネも外しなさい。
素晴らしい沈黙の夜が、あなたにも訪れますように。
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