花束をお願い

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花束をお願い

 固結びになった紐が解ける一歩手前。そういった感覚に、心が少々浮き立つ。  学校からの帰り道に渡るこの橋。その欄干に括り付けられている花束。最初は気にも留めなかったけれど、数日ごとに増えていくのを見ると、そうもいかない。  最近、事故があったのかと思い、軽く調べてみたけど特に情報は見つからなかった。僕が通う中学校でも地味に話題になり、ある種の都市伝説的な噂まで立っていた。  その謎を解き明かすチャンスが来たのだ。その花束を括り付けている張本人が今、目の前にいる。どこにでもいそうな地味な恰好をしたおばさんだ。  僕はそっと近づき声をかけた。そのおばさんは一瞬驚いた様子だったが、すぐに満面の笑みに変わった。  僕はできるだけ悲しそうな表情を作りつつ、おばさんに訊ねた。 「どなたか……お亡くなりになったんですか?」 「ええ、まあ。ふふふ」  おばさんは嬉しそうに笑った。そして、僕が首を傾げたのを見て、言葉を続けた。 「ねえ、あなた。割れ窓理論ってご存じかしら?」 「え、あー、一つ落書きがあると、その周りも落書きされて……それで、どんどん増えていっちゃうっていうやつですか?」 「そうそう、だからね、この橋に花束を括り付けているのよ。誰か真似をしてお花をお供えしてくれないかなって。たーくさんあったら嬉しいじゃない? ね、ね。これからは、あなたもお花をお供えしてくれるかしら? ね? 約束してくれる?」 「はぁ、はい……」  僕の手を握り、はしゃぐように顔を上下に揺らすおばさん。その勢いに負けてつい同意してしまったけど、別にすっぽかしてもいいだろう。また会うわけじゃないんだから。  それにしても、どういうことだろう? この橋から町を花でいっぱいにしたいとか? いや、枯れるだろ。 「よかったわぁ。誰もお花をお供えしてくれないなんて寂しいじゃない? じゃあ、よろしくね」  おばさんはそう言って、ごく自然な動作で橋の欄干に立ち、僕を見つめた。 「約束よ」  おばさんは僕の視界から消えた。それから間もなく、橋の下からすさまじい音が聞こえてきた。  僕はその音よりも、激しく動く自分の心臓の音よりも、油汚れのように耳にこびり付いて、いつまでも離れない声のほうを気にしていた。  ――約束よ。  頭の中でこだまし続ける。いつまでも、いつまでも。 「あの……どうしてフェンスに花束を括り付けているんですか?」  ある日、ショッピングモールの屋上の駐車場で夕日を眺めていた僕に、不思議そうな顔をした一人の女性が声をかけてきた。  僕は微笑んだ。
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