2.

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 翌日の昼休み。  社員食堂で一人で昼食をとっていると、不意にスマホが震えた。  気になって確認してみると、風夏から「見て」というメッセージが届いていた。 「風夏……?」  やっぱり、昨日は急な打ち合わせが入ったせいで来れなかったのか? そう思い、アプリを開いて確認してみる。 「なんだこれ? 動画……?」  どうやら、風夏は動画を送ってきたようだ。  怪訝に思いつつも、俺は動画を再生してみる。  再生が始まった瞬間、俺は目を疑った。  そこに映っていたのは、風夏と──  ──誰だ? この男……?  マスクを付けた、見知らぬ男だった。  カメラは顔のアップの状態から徐々に引いていき──やがて、全裸の二人が映し出された。 「は……?」  頭が真っ白になった。  マスク姿の男の上に、嬉しそうに自分から跨がる風夏。その光景を、これ見よがしに撮影する男。 「彼氏くん、今どんな気持ち?」とか「今から君の彼女を寝取りまーす」とか、そんなテンプレのような煽り文句がイヤホンから聞こえてきた気がしたが、呆然としすぎて言葉がちゃんと耳に入ってこない。  でも──  ──ああ、そうか。風夏は、俺を裏切ったのか。  どこか冷静に、そう悟っている自分がいた。  同時に、風夏との思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。  告白をした時に涙を流しながら喜んでくれた風夏、付き合いたての頃は手を繋ぐことすら恥ずかしがってできなかった風夏、毎日欠かさず「大好きだよ」とメッセージを送ってくれた風夏──その全てがまるで初めから存在しなかった幻影のように思えて、ひどい虚無感に襲われる。 「は、はは……ははは……」  思わず、乾いた笑いが漏れてしまう。完全に自嘲だった。  その様は、周りから見たらさぞかし不気味だっただろう。 「和泉さん……? どうしたんですか?」  尋常ではない空気を察知したのだろうか。通りかかった依藤さんが、心配して声をかけてくれた。  彼女は、普段から何かと俺のことを気にかけてくれている。 「ああ、ごめん。なんでもないよ」 「……本当ですか?」 「いや、それがさ……凄く面白い動画を見てしまって。笑いが堪えきれなかったんだよ」 「そ、そうなんですね……それなら、いいんですけど……」  腑に落ちない、といった様子ながらも依藤さんは一緒にいた女性社員とともに別の席に座った。  面白い動画、か。そうだな。ある意味、面白いかもしれない。こんな経験、普通はできないだろうし。  仕事が終わると、俺は事実の確認をするために風夏の家を訪ねることにした。  彼女は黒だ。それは、もうわかっている。でも、万が一あの男に脅されて仕方なくやっていたとしたら……?  その可能性も捨てきれないので、直接本人に聞こうと思ったのだ。  風夏が住んでいるマンションに到着し、インターホンを鳴らしてオートロックを解除してもらう。  会うのを拒絶されるかと思いきや、意外にも彼女は素直に要求に応じてくれた。 「……それで、なんなんだよ? あの動画は」  部屋に通されるなり、俺はすぐにそう問い質した。  すると、風夏は張り裂けんばかりに口の端を吊り上げて、 「見ての通りだけど? 私、体も心もあの人のものになったの」  そう言ってのける。ああ、やっぱり……と一縷の望みが絶たれた。  でも、違う。俺が一番聞きたかったのは、そういうことじゃない。 「じゃなくて!! なんで、わざわざあんな動画送ってきたんだよ!?」  百歩譲って、風夏がコソコソ隠れて浮気をしていたならまだわかる。  けれど、自分が寝取られる姿をわざわざ動画に収めて彼氏に見せつけてくるというのは一体どういう心理なのか。それが一番知りたかった。 「んー……強いて言うなら、楽しいから? あと、好奇心かな」  風夏は、あっけらかんとした態度でそう返してきた。 「……?」 「一番信頼している相手からああいう風に裏切られたら、光くんどんな顔するんだろう? って。それが気になって、仕方がなかったから」 「つまり、娯楽の一環で俺を絶望の淵に突き落としたかったと……?」 「うーん……まあ、一応そうなるかなぁ」  にわかには信じ難かった。今、目の前にいる女は本当に俺が知っている風夏なのだろうか。 「でも、全部、光くんが鈍感なのが悪いんだよ? 私、光くんと付き合う前から色んな人と関係を持っていたのに……光くん、全然気づかないんだもん」 「どういうことだ……?」 「それなのに……ずーっと、私のことを恋人に尽くす一途な清楚系彼女だと信じ込んでいて。なんかもう、純粋すぎてやきもきしちゃった。同級生からの告白を断り続けていたのだって、悪評が立たないようにわざと他校の人を選んでいたからだったのに」 「なっ……」 「──でも、これで何度私を寝取られても気づかない鈍感で純情な光くんもようやく夢から覚められたね」  俺の顔を覗き込みながら、風夏が満面の笑みでそう言った。  血色の良い赤い唇と、肩からこぼれ落ちる長い黒髪が妙に艶やかで──それがより一層、悪女っぽさを引き立てていた。 「それじゃあ……なんで、俺にこだわっていたんだ!? そんなに沢山相手がいたんなら、もっと早く放流すれば良かっただろ!?」 「誰よりも、コントロールしやすかったから。一番、真面目だし私のことを盲目的に信じてくれていたしね。だから、出世するのを待っていたんだけど……」 「……は?」 「一向に出世しそうになかったし、そうこうしているうちに私のほうが人気作家になって年収が高くなっちゃったし。……ぶっちゃけ、必要なくなったのよ。だから、最後に楽しませてもらおうかなって思ってあの動画を送ったってわけ」  楽しげに種明かしをする風夏の笑顔は、どこか嗜虐的だった。 「光くんも、これを機に自分を見つめ直したほうがいいよ? ()()()()()()()()()()ばかり書いていないでさ」 「──っ!」  そう言われた途端、自分の中で何かが音を立てて崩れた。 「……気持ち悪いだって?」 「うん。ずっと前から、そう思ってたの。なんで、あんなつまらない小説を一生懸命書いているんだろうって。どうせ、読んでいる人なんてほとんどいないんでしょ?」  つまらない、気持ち悪い──あの小説を貶すということは、ウィステリアをはじめとした俺の大切な読者を貶すことと同義だ。  ごく僅かだけれど、それでも自分の小説を気に入ってくれている人たちは確かに存在する。その人たちを貶める発言だけは、絶対に許せない。 「あの小説を読んでいる人も、きっと光くんと同類なんだろうなぁー。ま、これからも底辺同士仲良くやっていればいいんじゃない?」 「お前……俺のことを貶すだけならまだしも、俺の読者まで馬鹿にするのか!?」  怒号を上げ、手を振りかぶり──風夏の頬を平手打ちしようとした。  けれど、すんでのところで思い留まる。 「どうぞ、叩くならご自由に。……でも、わかっているよね? もし、ちょっとでも怪我をさせたら不利なのはそっちだよ?」  言って、風夏は今にも通報せんばかりにスマホを見せつけてくる。 「お前……よく、こんな非道な真似ができるな」 「え? 私の何が悪いの? 悪いのは、むしろ私の心を繋ぎ止められなかった光くんのほうだよ? 捨てられたくなかったら、もっと頑張れば良かったのに」  きょとん、とした表情で風夏はそう言い放った。 「……」  言葉を失った俺は、風夏をキッと睨みつけると、逃げるように部屋を立ち去った。
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